うまいこと遠心力が働いて、水が落ちなくなる原理を、逆に考えてみませう。
――ということなのでしょう。
ニュートンはこのバケツをコマのごとくに回転させる実験について、語っているようです。
表面張力よりも強い遠心力の働きで、水面のフチ側の水位が高くなるということです。
つまり、回転しなければ、中央部分がわずかながらでも盛り上がるはずが、回転の作用で、中央部分が、少しずつへこんでいくという現象についてです。
このことからも明らかなように、基準となるべき絶対空間に対して相対的に運動が行なわれるというのです。
ところが、マッハがこれに待ったをかけました。
あの、エルンスト・マッハです。衝撃波でも有名な、音速のマッハです。
バケツを静止させて、その周囲で宇宙全体を轟々と回転させた場合には、水の中央部分がへこんでいかないというのは、いったい誰が確かめてそういっているのか、と。
確認もされないままに、「いうまでもなく」それが事実だと、権威が語っているにすぎません。
このことは、マッハの追悼文で、1916 年にアインシュタインが論じています。
一般相対性理論が最初に発表された翌年のことです。
アインシュタインは語ります。いうなれば――
権威である彼らは、「何をいうまでもないことに対していおうとするのか」と、若造にいきどおるというのです。
そのせいで、相対性理論などという、わけのわからぬ妄言がもてはやされるようでは、権威の失墜するさまはもはや見る影もないでしょうから。
そういうわけで、理論上は、コマのように回転する人物は、世界の中心で回っているのか、それとも、世界がその人物を中心に回っているのか、区別できない、などということも考えられてしまうのです。
だから、世のなかの真ん中にいたければ、どこでもその場でくるくると回り続ければ、
「世界はわたしを中心に回っている」と、宣言することすら、可能になるという始末です。
どうやら、〈マッハの原理〉というのは、そういう結論すらも導いてしまうという恐るべき理論のようです。
1918 年のアインシュタインの一般相対性理論の論文で、〈マッハの原理〉という名称は文献に初登場したということになっています。
アインシュタインの一般相対性理論は、そういう視点からの考察も、一時は考えられていたということなのです。
一般的な言葉で表現される〈マッハの原理〉とは次の解説に記されるようなものであります。
「あらゆる質量、あらゆる速度、したがってまたあらゆる力は相対的なものなのだ。相対的なものと絶対的なものを区別する必要はない。そんなものに出くわすことはありえないし、その判定を迫られることもない。そう区別したところで、何らかの知的利益やその他の利益がひき出されるわけでもない。」
〔エルンスト・マッハ『時間と空間』訳者解説より(『マッハ力学』邦訳 211 ページからの引用)〕
〈マッハ原理〉をたずさえて、正月に独楽を回せば、我々は、独楽の周囲で回転しているまぼろしかもしれません。
Mach's Principle : マッハの原理
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/Mach.html
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