2017年1月26日木曜日

イギリス産業革命と『国富論』

the United Kingdom  ( of Great Britain and Northern Ireland )

1603 年、スコットランド国王ジェームズ 6 世が、イングランド国王ジェームズ 1 世として、その統治を開始しました。
 「グレート・ブリテン」というのは、その時代の「同君連合」と基本的には、同じ領域を指すように思われます。ジェームズ 1 世は、また、現在のイギリス国旗「ユニオンジャック」の原案を作った国王であることでも、知られています。
 その後、イングランドとスコットランドは清教徒革命と王政復古を経て、科学革命の時代へと移行していきます。
 1660 年の王政復古と同じ年が、ロンドン王立協会 (Royal Society of London) 設立の年とされています。
 1707 年には、イングランドとスコットランドは「合邦」して、ひとつの国となります。
 その世紀に、イギリス産業革命が興ります。
 蒸気機関で有名なジェームズ・ワット (〝ウォット〟のほうがもとの発音に近いといわれます) の生没年は、1736 ~ 1819 年で、その友人といわれる『国富論』の著者アダム・スミスは、1723 ~ 1790 年です。
 両者ともに、スコットランドの生まれで、当時は、イングランドよりもスコットランドのほうが学問的なレベルは、高かったともいわれています。
 ちなみに、百科事典『ブリタニカ』は、その当時に、スコットランドのエディンバラで初版が刊行されています。以前に調べた資料から、引用させていただきますれば――。

『ブリタニカ』 のアザミ
 エディンバラで、1768 年から 71 年にかけて刊行された百科事典『ブリタニカ』(初版は全 3 巻)は、スコットランドにおける学問研究のひとつの成果として、フランスの百科全書にも並ぶものであった。20 世紀には版権がアメリカ合衆国ヘ移るが、「スコットランド生まれ」を記念するアザミのデザインは、その後も長く表紙を飾り続けた。
図説『イギリスの歴史』増補新版 (p.134)

 そして、ワットのもうひとりの友人であった、ジョゼフ・ブラック( 1728 ~ 1799 年)は、熱理論の基礎を作りました。
 ところで、近代化学の父とは、フランス革命で処刑されたラボアジエをいいますが、化学革命はそのラボアジエによって始められたものをさすようです。――その最初期 1750 年代のなかばに、ブラックは二酸化炭素=炭酸ガスを発見しています。
 ブラックは、アイルランド人で、エディンバラ大学に学び、医学の学位論文のための実験で発見した気体(炭酸ガス)を固定空気と名づけました。

 アダム・スミスの遺稿を出版したグループのひとりは、ブラックなのですが、そのスミスの『国富論』は、1776 年の刊行で、それはアメリカが、独立宣言を行なった年です。
 「潜熱」という概念は、ブラックによりますが、ワットも、蒸気機関の研究のなかで独自にそれを発見していました。
 ブラックとワットという、化学と技術のふたりの巨頭と友人関係だったにしては、イギリス産業革命の機械化の波はさほど、スミスの『国富論』には反映されていないようです。
 ワットの蒸気機関が、回転型エンジンとして出現したのは、1782 年とされています。
 それは、中ぐり盤によるシリンダーの精密加工でワットの蒸気機関の精度にも貢献した、ウィルキンソンの工場に納入されたのでした。
 1783 年に蒸気船、1800 年代になって蒸気機関車が、登場することになります。
 最初に、高圧蒸気機関を搭載した自動車が走ったのは、1801 年のことでした。


駆動力としての ワットの蒸気エンジン
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/entropy/Watt.html

0 件のコメント:

コメントを投稿