〔高田紀代志「マクデブルクの半球実験」『日本大百科全書』 21 (p.837) 〕
この衝撃的な実験に関する伝承は、さまざまにあって、そのとき選んだ資料によっては、歴史的な事実も異なってくるかも知れません。
ふたつの実験が具体的に詳しく記載されている文献には、次のように書かれていました。
途中を省略せずに、引用させていただきます、と。
「マグデブルグの半球」とは、空気の圧力がいかに巨大なものであるかをアピールするために工夫された半球のことで、ドイツのガリレイと呼ばれたオットー・フォン・ゲーリケが行った公開実験で使われたものである。一六五四年、当時マグデブルグ市の市長も務めていたゲーリケは、神聖ローマ帝国の皇帝フェルディナンド三世を招いて、次のようなパフォーマンスを行った。
まず、直径一メートルくらいの大きな注射器の格好をして、ぴったりと接しあうシリンダーとピストンを用意した。ピストンにはロープをつないで人が引っ張れるようにしておき、一人でも簡単にシリンダーからピストンが抜き出せることを見せておく。そしておもむろに、ゲーリケ本人が発明した空気ポンプで、シリンダーに取り付けた栓から空気を抜いていった。すると、ピストンがシリンダー内部に引き込まれていくではないか。そこで、見物していた人々に、ピストンを引っ張って固定するように頼んだのだが、どんどん空気を抜いていくと、五〇人が一生懸命にロープを引っ張ってもシリンダーの中に押し込まれていった。この実験で、まず、空気の圧力の巨大さを人々に実感させたのだ。
次に、もっとびっくりするような実験に取り掛かった。縁に油を塗ってぴったり接合するようにした鋼製で中空の半球を二個取り出した。その大きさは直径三七センチくらいである。密着させた後、一方の半球に付けた栓から空気ポンプで中の空気を抜いていった。そして、この二個の半球の各々に付けた環にロープを結わえ、左右八頭ずつの馬に引っ張らせた。ところが、一六頭の馬が全力で引っ張り合ったにも拘わらず、二個の半球を引き離すことができなかったのだ。そこで、馬の数を増やしていっそう大きな力を掛けると、ようやく引き離すことができたが、そのとき大砲を撃ったときのようなものすごい音がした。後者の実験が、ゲーリケ自身の記述によるマグデブルグの半球物語なのである。
〔池内了『天文学者の虫眼鏡』 (pp.17-18) 〕
つまり、ゲーリケ本人が書いた著作物に、「マクデブルクの半球実験」のことは、報告されているようです。その実験の年が、一般的多数派としては、1654 年ということになっているけれども、云々……というのが、冒頭の資料の内容となります。
結局ここで確実だろうと推測できるのは、ゲーリケ本人が「マクデブルクの半球実験」についての記録を残している、ということです。
1654 年には、似たようなそのほかの実験が行なわれたかも知れません。
1654 年に、何が行なわれなかったかについての、記載は、冒頭の文中に見えるだけです。おそらくは、その主張が正解なのでしょうが。
それ以上は現在のところ、当面の資料では、未確認ということになりまして……。
先にも触れたように、さまざまな伝承があり、文献によっては、〈マクデブルクの半球〉のことは語られず、〈シリンダーの実験〉のことだけが記述されているものもありますよってに。
重要なことは、ゲーリケのパフォーマンスが、国内外の多くのひとびとの興味を引いた、というあたりでしょうか。
この衝撃から約半世紀のちには、イギリスで産業革命のための新しい動力が、開発されることになります。
シリンダー内の蒸気を冷やすことで、真空をつくってピストンを動かすという、それまで知られていなかった莫大な大気圧の力を利用する方法が、ついに実用化されたのです。
ニューコメン機関(大気圧機関):産業革命と技術革新
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/entropy/Newcomen.html
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