2017年8月28日月曜日

バクテリアは遺伝子を ヒトはメッセージを交換する

 バクテリアが抗生物質投与など環境の激変に対して、近隣同士で相互に遺伝子を交換することでたちどころに適応していく事例は、DNA レベルでの情報媒体の柔軟性を物語る。
 ヒトはやがてそれを、実体の定まらない媒体(メディア)を使った情報の交換により行なうようになった。
 たとえばその情報交換は、言葉という音声を媒介して行なわれる。
 有形無形の情報の集積は、人口が多くなるほどに高まる。技術(テクノロジー)は人口に比例するともいわれる。
 人口の多さは、専門家の存在を許し、効率の良さが、加速していく。

 DNA 不要の次世代型複製子として「ミーム」が語られる。
 1976 年のドーキンスによる造語以降、文化子とも呼ばれ、継続して論じられ続けている。
 その新しい複製子の増殖能力がヒトの文化を急速に発展させた要因なのだ、と。
 それが進化するシステムの最新形態だ。

 マット・リドレー『繁栄』など繙けば、ヒトの交換能力がその新しい進化システムを可能にしたと知れる。
 冒頭まず、握斧(あくふ)について語られる。
 握斧 ―― ハンドアックスとは、発明から百万年間というもの、ほぼ同じ形状を保ち続けた石器だ。
 リチャード・ドーキンスが……「延長された表現型」と呼ぶもの、すなわち、遺伝子の外的発現の一部だった〔『繁栄』〔上〕 (p.81)、とその理由が解かれる。
 つまりその道具の作成は遺伝子にもとづくもので、容易に交換可能な〝表現型の延長されたオプション部分〟として人類に与えられた。
 だからこそ人類は握斧発明以来の当初百万年もの間、なんら疑念をもつことなく本能的に、同じものを作り続けたのだ……と、考えることができるという。
 百万年が経過した後、ようやく道具の改良がはじまった。
 それがにわかに加速するのは、人類の役割分担および物々交換の発明によると、考察は展開していく。

私に言わせれば、答えは気候や遺伝子、古代の遺跡、いや全面的には「文化」の中にすらなく、経済にある。人間はあることを互いにし始め、それが実質的に集団的知性を作り上げるきっかけとなった。すなわち彼らは、血縁者でも配偶者でもない相手と、初めて物を交換し始めたのだ。…… その結果、専門化が起き、それがテクノロジーの革新を引き起こし、そのせいでさらに専門化が促進され、交換がいっそう盛んになった。…………
 交換は発明される必要があった。ほとんどの動物は自発的に物を交換したりはしない。ほかのどんな動物種も物々交換をすることは驚くほど珍しい。……「犬がほかの犬と公平かつ意図的に骨の交換をするのを見たことがある者は誰もいない」とアダム・スミスは述べている。
 …… 互恵的行為は、(たいていは)違う時点で同じものを与え合うことを意味する。交換(物々交換あるいは交易と呼んでもかまわない)は、(たいていは)同時に違うものを与え合うことを意味する。それをアダム・スミスはこう言っている。「私のほしいそれをくれれば、あなたがほしいこれをあげよう」
〔マット・リドレー/著『繁栄』〔上〕 大田直子 ()/訳 2010年 早川書房刊 (pp.88-89)

 物の交換 ―― という発明。
 自他ともに価値を認めあう、それぞれ別の品を手放すことで、物々交換をするという行為を覚え実現するのが、どれほど難しいか。
「霊長類学者のサラ・ブロスナンはチンパンジーの二つの異なる集団に物々交換を教えようとしたが、とても苦労した」〔同上 (p.92)
と、具体的な研究事例があげられて説明がある。
 ここで他資料も交えて補足すれば、チンパンジーの所有権というのは、現に手にしているものに限られるらしい。
 だから、手を離した瞬間に所有権は失われる前提があるため、チンパンジーでは交換取引は成立しにくい。
 あえてたとえるなら、ドラマなどで描かれるヤクザ同士の取引現場の緊張感がこれに近いような気もする。
 相手がいつ、相互に交換に差し出した両方の品の所有権を発動させるか、わかったものではないのだ。

 そういう事情は依然と、変わらないにもかかわらず、交換経済は、ヒトの社会で成立した。
 すべての哺乳類で分泌されるという〈オキシトシン〉が重要な信頼のホルモンとして語られる。
 それは進化上の戦略としてかなり重要だったらしい。哺乳類のすべての種で化学的にまったく同じ形で存在するという。
 オキシトシンは優しさを活性化し、他人に気前よくふるまうことで快感をもたらす。
 でもそれだけでは、人類特有の経済活動を説明できないことにもなる。

―― ここで、信頼のシステムを引き出すための重要な条件となるのが〈評判〉だ。
 評判を背景とするヒト同士の交換は、安心感がともなえば互いの利益を増殖していく。
 それが、分業の制度をも可能にした。交換を前提として、それぞれが得意技を開発・披露していくのだ。
 物々交換の時代に、互いの評判を保証したのは、おそらく仲間意識であり、同じように信じる力や信仰でもあったろう。
 超自然の媒体が、相互の信頼を強固にしていく。
 同じ神を信じる者同士であれば、もし裏切った場合のしっぺ返しまでもが、想定内となる。
 各自における神との契約が、交換経済の保証書であった。

 本能的な仕組みを利用した食料や道具などの交換がやがて、道具などを作る技術の交換となり、それが記録された技術情報の交換へと発展していくのは、文字の開発以降ともなれば容易な話だったろう。
 前提として。安心できる交換には、確かな評判が必要であり、神によって保証された評判が、もっとも確実であった。
 だから、彼らには保証書としての信仰が必需品でもあったろう。
 それが、強靱な「神のミーム」のはじまりだったろうか。

 バクテリアの適応能力の高さは、即時に対応できる遺伝子の交換能力によるといわれ、現生人類の適応能力の高さは、遺伝子によらないその場での新しい交換能力にもとづく。
 いずれにせよ、進化のスピードは、情報の伝達能力の高さによる適応にもとづくだろう。
 ヒトの交換経済が、新しい形の、DNA 不要の次世代型「進化形態」をもたらした。
 それを見知らぬ同士で可能にしたのが、まず「神のミーム」だった……。
 そんなふうにも思われる。

 その次に、都市型経済で彼らの誠実さを保証したのが、「貨幣」だった。
 コインの誠実さは、持ち主の身分さえも問わない。
 通貨はだれにも平等な価値を保証する。
 紙幣は無制限の価値を生み出す新しい信頼の媒体として流通する。


超自然の媒介者
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/anima.html

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