2017年2月10日金曜日

ブレイクスルーの壁と「仮説」の放棄

 物理学の歴史では、理論がジレンマに落ち入ってどうしようもなくなったとき、それまでの理論の一部を棄てて一歩退くことによってブレイクスルーをなしとげることがある。このクラウジウスの発見もその一つである。後にアインシュタインが光を伝えるエーテルを棄てたのも、このような場合と同様であった。
戸田盛和『いまさら熱力学?』 (p.47)

「私の意見では、科学の進歩は仮定を落とすことでなされるのが普通だよ!」とボームは答えた。
 そのときにはただ面目なく黙らされたような気がしたが、私はデイヴィッド・ボームのこの言葉をいつまでも忘れることができなかった。歴史は彼が正しかったことを示している。科学上の大きな進歩は、正統的なパラダイムが、支配的な理論とは合致しない一組の新しいアイデアあるいは新しい実験的証拠と衝突したときにしばしば起こる。すると、だれかが大事にされてきた仮定、ことによるとほとんど自明のことと見なされ、あからさまに語られることのなかった仮定を放棄することによって、突然、すべてが転換する。新しい、もっとうまくいくパラダイムが生まれたのである。アインシュタインが特殊相対論を定式化したときにはこれが起きた。だれもが、考えることさえせずに、時間は絶対的で普遍的である、と仮定していた。古典物理学全体がこの信念の上に築かれていた。しかし、それは誤っていた。ニュートンの運動法則を電磁気と光信号のふるまいと矛盾させたのがこの根拠のない仮定だった。アインシュタインがこの仮定を落とすと、すべてがぴったり納まった。
ポール・デイヴィス『時間について』林一訳「第9章 時間の矢」 (pp.286-287)

 つまりそれまでは常識的なレベルで「当たり前」であったことが、疑われた結果としても、パラダイム・シフトは起こりうるというわけです。
 パラダイム・シフトとは、このことをふまえて「前提となる理論の放棄による拡張的移行」とでもいえましょうか。
 熱力学第二法則も、そういうパラダイム・シフトであったのです。
 察するに、そこに立ちはだかる〝壁〟とは、それこそ〝いうまでもない前提〟であることが多いというわけなのでしょう。
 ブレイクスルー (breakthrough) とは、そういう〝壁〟を突破することをいいます。
 上に引用させていただいたのは、たまたまいずれもアインシュタインによる〈前提の放棄〉なのですが、論者によって、〔例示される〕捨てられた前提は〈エーテル〉であったり〈絶対時間〉であったりします。
 それだけこの〝突破〟は、偉業であったということのあかしでしょう。

 逆にその〝いうまでもない前提〟を、〝いうべき前提〟としたのが、クラウジウスだったということにもなります。
 そしてそこにいたる準備を整えていった先人が、カルノーでありケルビンであり、またジュールやフーリエなどです。
 山本義隆氏の論文「力学と熱学」では、次のように語られていました。

 世の中には「当たり前」のことはいくらもあるが、そのあまたある「当たり前」から「熱は自発的には高温から低温にしか流れない」という唯一つを選びだして、それを「原理」としたことの重要性は、強調しすぎることはない。「力学理論の適用範囲がどうであれ、それは熱現象には適用されない」「自然哲学のこの部分は、力学理論には結びつかず、それに固有の原理を持つ」と喝破したのは、完全非可逆現象である熱伝導の解析化に初めて成功したフーリエである。
『熱学第二法則の展開』所収 (p.16)

 ところで。
 現在では、真空の何も無い場所で、瞬間的に〈物質〉と〈反物質〉が生成消滅することが理論化されているようです。
 まさに瞬時の生滅らしいのですが、真空の〝ゆらぎ〟には、無限のエネルギーが隠れているとしたら……
 エネルギー保存の法則も、この先には、どうなりますことやら。
――ですが。
 真空からエネルギーを取り出す〈永久機関〉というのは、いまのところ、非現実すぎるでしょう。
 ゲームや、ファンタジーのネタなら、そこそこにはリアルでしょうが。
 少なくとも現在の日本では「自然法則に反する永久機関の特許」が認められることはないようです。


永久機関 及び ヘスの法則
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/entropy/Hess.html

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