2017年12月28日木曜日

群体を作る個虫 超個体的個体制の昆虫

 個虫(こちゅう)というのは、群体(コロニー)を構成する生物の各個体で、ヒドロムシ類でのポリプなどです。
 ヒドラのポリプは種によって群体タイプの他に単体タイプもあります。
 群体を形作る珊瑚(サンゴ)のそれぞれの個体は、個虫です。
 今西錦司人間以前の社会』〔1951年 岩波新書〕に、群体の詳しい考察が書かれています。
―― 全集版『人間以前の社会』「第三章から引用しますと。

 腔腸動物で海底に固着生活をしているものは、花虫類(サンゴを含む)でも、ヒドロ虫類(ヒドラを含む)でも、ほとんどその大部分が、群体をつくっている。ただし、偽群体にすぎないものもある。種類がたくさんあって、いろいろな形態を示すが、重要な共通点は、だい一に、一つの群体は、その全体が生理的につながっていること、だい二に、一つの群体には、少なくとも、栄養を担当する部分と繁殖を担当する部分との、分化が見られること、すなわち、栄養を担当する部分が切れて、そこから無性生殖的に繁殖することがあろうとも、いつかは繁殖を担当する部分が生じ、それをとおして有性生殖がおこなわれる、ということである。
〔今西錦司全集 第五巻『人間以前の社会/人間社会の形成』1975年 講談社 (p.68)

―― 続く第四章では、社会性昆虫について、次のように語られています。

親バチは、はじめは、個体維持も種属維持も、一匹でまかなってゆける、社会学的な個体であった。しかしそれが、一匹でまかないきれなくなったところに娘バチの必要が生じた。そこで親バチと娘バチとの分業がはじまり、前者が産卵、後者が産卵以外のいっさいをひきうける。けれどもそれと同時に、自分で食物を求めたり、子供を養ったりすることを放棄した親バチは、もはや社会学的な個体でなくなる。一方で、産卵を放棄した娘バチもまた社会学的な個体ではなくなって、親バチと娘バチとが一体となったところに、はじめて個体維持と種属維持とを全うしてゆく、社会学的な個体に匹敵したものが認められる。それゆえ、これを「超個体的個体」というのである。
〔同上 (p.94)

―― この「超個体的個体」という語は 1951 年に今西錦司が造語したものです。
 いっぽう、超個体“superorganism” の翻訳語としても用いられています。
 そういう超個体をなす社会性昆虫については、ジョン・メイナード・スミスとエオルシュ・サトマーリの共著生命進化8つの謎(“The Origins of Life” 1999) に、次の記述があります。

 さまざまな異なる種での社会性の程度は、強弱の程度の差による物差しに載せてみることができる。大部分の生物学者は「真社会性」と言われるものに興味をもっている。真社会性の動物とは、定義上、次の三つの条件を満たしていなければならない。
 (1) 生殖に関する分業。すなわち一部の個体だけが生殖すること。
 (2) コロニー内部で世代が重なり合っていること。
 (3) 育児個体が協同して子の養育を世話すること。
 この定義によれば、多細胞生物個体の各細胞たちは真社会性となることに注目しておくべきだろう。…… 真社会性はアリ、ミツバチ、スズメバチ、そしてシロアリでよく知られている。似た程度の真社会性がハダカデバネズミ、ブチハイエナ、リカオン(アフリカの野犬)、そして特に顕著なヒメグモの一種 (Anelosimus eximius) の場合をはじめ一部の社会性のクモでも認められることは、それほど知られていない。
 社会性動物のコロニーは、コロニーのレベルで適応性を示しているという意味で「超生物体」と見られることがあり、これはある程度もっともなところがある。たとえばシロアリが築いた塚は、空調システムとして役立つ通気路をもっている。この比喩で言えば、女王と生殖する雄は多細胞生物の生殖系列に当たるし、生殖しない個体は超生物体の体細胞ということになるだろう。けれどもこの比喩には用心しなければならない。数匹、それどころか多数の女王がいても、効率のよいコロニーがある。
〔『生命進化8つの謎』長野敬訳 2001年 朝日新聞社 (pp.197-198)

―― こういう昆虫の社会性について、最初にいわゆる〈超有機体 (super-organism)という表現をしたのは、
ウィリアム・モートン・ホイーラー昆虫の社会生活(“SOCIAL LIFE AMONG THE INSECTS” 1923) でした。

 成虫の生活期間の延長と家族の発達とから、必然的に重大な結果が生じる。すなわち、親と子供との関係がますます緊密になり、相互依存的になるので、われわれは 1 個の新しい有機的単位、あるいは生物(学)的全体、いわゆる超有機体 (super-organism) に直面するのであって、じっさい、その中では生理的分業により、これを構成する各個体が種々の方向に専門化し、相互の安寧や生存そのものにとって不可欠なものにまでなっているのである。
〔『昆虫の社会生活』渋谷寿夫訳 1986年 紀伊國屋書店 (pp.16-17)

―― そういえば以前、「スーパー・オーガニック 超有機的進化」と題してハーバート・スペンサーの進化論を参照したのは、今年の冒頭(1月4日)のことでありました。

 以上考察してきたスペンサーにおける進化概念は、今日の分子生物学の知見における「中立」説にもとづくとその本質的な特徴がより明確に浮上してくる。中立説は、ダーウィンの提示した自然選択における「適者生存」概念に新たな解釈を加えて展開された理論である。従来の「適者生存」概念には、自然環境に対して適用する種が進化を遂げ、逆に適用することのできない種は進化することができずに絶滅する、という二元的な進化現象観が前提におかれていた。しかし、中立説では「適用」と「不適用」のいずれにも属さないニュートラルな位置にある「中立」の変異をミクロレベルで保有する種が理論化されている。すなわち「適用」「不適用」の種は従来通りの進化、絶滅を繰り返し、その一方で「中立」の種も自然環境の影響を受けて存在し続ける。しかしその途上で、「中立」の種も分子や遺伝子といったミクロレベルにおいて確実に多様化し、長い時間をかけて可視的な変化を発現させる場合がある。これが「中立」説の骨子である。
〔挾本佳代『社会システム論と自然/スペンサー社会学の現代性』2000年 法政大学出版局 (pp.191-192)

 ダーウィンの『種の起原』に先立つこと、二年、
 1857 年に、〝スペンサーの〈進化論〉〟は上梓されたといわれています。
 スペンサーは『生物学原理』(1864-7) の第 4 章 (§202) などでポリプについて触れていますが、『社会静学』(1851) からの引用を参照すれば、群体について次のように語られています。

「まさに部位の合体(融合 coalescence )と部位ではないものの分離 ―― これはつまり、機能の細分化の増大と同じことであるが ―― は、社会の構造が複雑化する中で生じる。最も初期の社会有機体はほぼ一つの要素の反復から成る。すべての人間が、戦士、猟師、漁師、大工、農夫、道具職人である。共同体のどの部分も他のあらゆる部分と同じ義務を果たしている。それは、それぞれが薄いひと切れであるポリプの身体が胃であり、筋肉であり、皮膚であり、肺であるかのようなものである」。
〔『社会システム論と自然/スペンサー社会学の現代性』 (p.218)

 地球を超生命体とする〈ガイア仮説〉や、〈地球村(グローバル・ヴィレッジ)〉の思想は、エレクトロニクス時代に、〈グローバル・ブレイン〉の発想をもたらしているようです。
 社会的超有機体の概念は、現代になお強い影響を与えているのです。
 そしてファンタジーの世界でなく、いまや魔法のような科学が日々を席巻しています。
 進化したファンタジーは、いずれ現実と区別がつかなくなるのでしょう。


群生する個体:群体を作るポリプ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/systems/polyp.html

0 件のコメント:

コメントを投稿