2018年1月5日金曜日

超個体・群知能・超生命体

 昨年末(12月29日)、NHK・Eテレ「今そこにある未来」(「人間ってナンだ? 超 AI 入門」特別編)が放映された。
 インタビュー映像で、人工知能 (Artificial Intelligence : AI) の未来像が語られていた。
 人間は〝バックアップ〟を備えることで不死になると、主張され、インターネットが〈超生命体〉となる可能性が、示唆される。
 どうやら〝バックアップ〟というのは、知識の〝バックアップ〟のことらしいが、おそらく個人的な記憶の〝バックアップ〟を意図している。
 しかしながら、神経細胞のネットワークは、〝バックアップ〟可能なものなのだろうか。

 人間はすでに個人情報をコンピュータに管理されはじめている。それに加えて完全な遺伝情報があれば、もはや人間は人間から生まれることはなくなり、必要に応じて、機械が人間を再構築する時代を迎えることになるかもしれない。
 そのとき、世代交代をしなくなった人間の進化は止まる。
 世代が新しくならなければ、成長はあっても進化はない。
 生物学の分野で、〈超有機体〉とも〈超個体〉とも表現される〈スーパーオーガニズム〉は、世代交代をする存在だった。
 だから、その〈超個体〉にはまだ進化があった。

 バート・ヘルドブラーとエドワード・O・ウィルソンの共著蟻の自然誌(“JOURNEY TO THE ANTS” 1994) では、昆虫のコロニーにおける「超個体進化」の可能性について、次のように述べられる。

1960 年までに、「超個体」という表現は、科学者の用語からはほとんど消え失せた。
 しかし、科学において、古い概念が完全に死んだためしはない。…… 現在では、生物個体レベルで鍵となるプロセスは形態形成だと考えられている。これは、細胞がその形と化学的特性を変化させ、全体として生物個体をつくり上げる過程である。もうひとつのレベル、つまりコロニーを解く鍵となるプロセスとは、個体がカーストや行動を順に変化させることによりコロニーを形づくる過程、すなわち社会形成だ。生物学全体にとって興味ある問題は、形態形成と社会形成の類似性、すなわち両方に共通する法則とアルゴリズムにある。その共通の原理が明確に定義される範囲においてなら、これらを生物学全般の重要な法則と見なしても的外れではあるまい。
 この見地に立てば、コロニーは科学者にとって、一時的な興味の対象以上のものということになる。
〔『蟻の自然誌』辻和希・松本忠夫/訳 1997年 朝日新聞社 (p.159)

―― そして〈超個体〉の概念は、1980 年代末の〈群知能〉の提唱とともに、「複雑系」をタイトルに冠する文献にも登場するようになった。

 群知能 (swarm intelligence: SI) は、1989 年に Beni, G.(ベニ)と Wang, J.(ワン)によって提唱された(たとえば [1] を参照)。SI は非知的エージェントの集団的な知的行動特性に基づくもので、特定の中央制御系を持たず、局所的なエージェント間の対話の相互干渉によりエージェントの集合全体の知的行動を創発するものである。
[1] G. Beni and J. Wang. Swarm Intelligence in Cellular Robotic Systems. Proc. of the NATO Advanced Workshop on Robots and Biological Systems, 1: 703-712, 1989.
〔電気学会 進化技術応用調査専門委員会/編『進化技術ハンドブック』 第Ⅰ巻 基礎編 「第 13 章 群知能」 2010年 近代科学社 (p.168)

 この地球上にはさまざまな生物が存在し、それぞれが自分のおかれる生活環境において生命を営み、子孫を残すために必死に生活をしている。そこでの生活環境はまさに生物学的複雑系とよぶもので、複雑な経路で物質やエネルギー、情報等がやりとりされ、生物は互いに相互作用しあいながらそれぞれのニッチを占めている [Mau99]
…………
群知能は、典型的には社会性昆虫とよばれるアリやハチ、魚や鳥の群などに見ることができる。そこでは、群を構成する個々はそれほど複雑な行動はみせないが、群になることによってあたかも高度な知能をもった一つの生命体のように振る舞う。そのような個体群は超個体とよばれる [SS97]
 [Mau99] スチュアート・マウフマン著、米沢富美子監訳、「自己組織化と進化の論理」;日本経済新聞社 (1999) 。
 [SS97] J・メイナード・スミス、E・サマトーリ著、長野敬訳、「進化する階層」;シュプリンガー・フェアラーク東京 (1997) 。
〔大内東(他)/著『生命複雑系からの計算パラダイム』2003年 森北出版 (p.1, p.2)

―― いちおう、念のため付け加えておくなら、参考文献の、
[Mau99] スチュアート・マウフマン著、米沢富美子監訳、「自己組織化と進化の論理」……とは、
スチュアート・カウフマン著『自己組織化と進化の論理』のことで、
[SS97] J・メイナード・スミス、E・サマトーリ著、長野敬訳、「進化する階層」……とは、
J. メイナード・スミス、E. サトマーリ著『進化する階層』の誤植であろう。
 ちなみに、進化する階層(“The Major Transitions in Evolution” 1995) では、〈超個体〉の概念に触れて、次のように記述されている。

 昆虫のコロニーと生物個体の類似は「超個体」の概念をもたらした。この類推にはある程度意味がある。個々のアリ、ハチ、シロアリは生殖能力を失い、彼らが遺伝子をひろめていくには、コロニーの成功を確保するしかない。体細胞が遺伝子をひろめるには、その個体の成功を確保するしかないことと同じである。それゆえコロニーは、その成功を確保するのに適した特徴をもっていると考えられ、最適化の概念を個体でなくコロニーに適用しても ―― たとえばオスターとウィルソン (Oster & Wilson, 1978) が著書のなかで昆虫のカースト制度に対してそうしたように ―― おかしくはない。
 しかし本書にとっては、超個体の概念はほとんど無益である。動物社会の起原を理解するには、生殖可能な個体が協同を進めていくなかでなぜ大部分が生殖能力を失ってしまったのか、それを問わねばならない。動物社会が維持されていることを理解するには、だましあいなどが起こって社会が破滅することがない理由を説明しなければならない。個々のワーカーは体細胞と違って、相互に関係はあるが遺伝学的に同一でない。それゆえコロニー内部で矛盾対立がひろく見られてもいいはずだし、実際にそういうことが起こっている。ワーカーが卵を生むとか、性比をめぐる対立とかの事例は、以下に論ずる。これまで論じた移行の場合と同じく、問題は、この対立がどうやってある枠内に収めらているかを説明することにある。
 Oster, G. F. & Wilson, E. O. 1978. Caste and Ecology in the Social Insects. Princeton University Press, Princeton.
〔『進化する階層』長野敬/訳「第 16 章 社会の起原」 1997年 シュプリンガー・フェアラーク東京 (pp.352-354)

―― この二段落に含まれる二ヵ所である。「索引」で確認しても、この二ヵ所以外にはないようだ。
 文献として特に『進化する階層』が選ばれた理由は素人にはよくわからないけれど、この個所を読んで、群知能というのは、分散型システムを体現することは多少なりとも理解できよう。

〈超個体〉の概念はいまのところ〝昆虫限定である〟という以外、スペンサーの〈スーパー・オーガニック〉と比較して違いは見つけられない。
そしていつしか、インターネットが〈超生命体〉となる可能性は現実的な議論となっている。

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