2017年11月6日月曜日

調子こいて 浮かれた脳が 進化したとして

 〈配偶者選択〉の淘汰圧が、浮かれたホモ・サピエンスの男を作ったとして、
 男どもは生きるのに直接役に立たないような、夢物語を語りたがるにしても、
 女たちを喜ばそうと血道をあげた果てに、名もなき勇者の多くは野垂れ死に、
 同じ遺伝子が、あるときは女の役割りを演じ、またあるときには男の境遇で、
 夢物語のなにがしかは文化と呼ばれて、生きることの憂さを晴らしてくれる。

人間の脳が目立って大きくなったのは、
孔雀の雄の尾羽がやたらと目立つように進化したのと似たような理由だと、
ジェフリー・ミラー『恋人選びの心(“THE MATING MIND” 2000) には書かれています。
日本語版(長谷川眞理子訳 2002年 岩波書店刊)は二巻本として出版されています。

 全容は、現物を手に取って確認していただくしかないのですが。
 脳の〈ランナウェイ・モデル〉では、男女双方向からの〝選り好み〟を理論づけることができないので、―― 次の引用文のごとくに ――、
第 4 章において別の考え方が提示されます。


突然変異が長期にわたって蓄積していくのを避けるために、有性生殖はわずかなチャンスに賭ける。今、平均的な数の突然変異を持った両親がいるとしよう。二人とも、子どもに自分の持つ遺伝子の半分を伝える。ほとんどの子どもは、両親が持っているのとほぼ同じ数の突然変異を受け継ぐだろう。しかし、あるものは幸運にも父親と母親の双方から、平均以下の数の突然変異を受け継ぐかもしれない。そういう子は、平均よりもよい遺伝子を受け継ぎ、よりよく生存して繁殖するチャンスを持つだろう。突然変異量が相対的に少ない彼らの遺伝子は、将来の世代に広がっていくだろう。別の子どもは、もっとずっと不運かもしれない。彼らは、父親と母親から、平均以上に多くの突然変異を受け継ぎ、まったく胚発生することができなかったり、幼くして死んでしまったりするかもしれない。彼らが死ぬと同時に、そのからだにあったたくさんの突然変異も、進化の闇の奥に消えていく。
…………
からだと心における個体の遺伝的変異の多くは、おもてに現れてくるものだ。ある形質は、別の形質よりも多くの情報量を持つ。クジャクの尾羽のように、個体差の非常に大きい複雑な形質は、とくに情報量が多いだろう。形質が複雑だということは、その発達に、多くの遺伝子がお互いに影響しあいながら関わっているということだ。それは、より複雑であるゆえに、より多くの遺伝情報を総括している。そして、目に見えるレベルでからだと行動において個体差があるということは、配偶者選択のときに、その遺伝的な差異を感知することができるということだろう。性淘汰が働くときには、このような形質には特別の注意が払われるようになるだろう。
 このような形質は、「適応度指標」と呼ばれている。適応度指標は、その動物の適応度をことさらに宣伝するために進化してきた生物学的形質である。
…………
 性淘汰では、動物の感覚能力が、なんらかの形で彼らが選んでいる配偶者候補の突然変異のレベルに結びつかないとならない。適応度指標は、適応度を実際に見せる形質であるから、結びつきはここで起こる。それらが表すものが配偶者選択の対象となり、配偶者選択で有利になるものが、性淘汰によって進化する。適応度指標は、性淘汰に、有害突然変異をすくいとらせるためのふるいなのである。
…………
いったん、脳が潜在的な適応度指標として配偶者選択の対象となると、脳はもうそれに抵抗することはできない。求愛行動によってなんらかの適応度を表さなかった人は、誰も恋人としては選ばれなかったのだ。彼らの祖先の、小さくて、有能で、無駄なことは一切せず、石橋をたたいて渡るタイプの、突然変異を頑強に拒む脳は、彼らとともに絶滅してしまった。そのあとに、大きくて、コスト高で、危うくて、派手な、私たちの脳が進化したのである。
〔日本語版『恋人選びの心』Ⅰ (p.143, pp.144-145, p.146, p.147)


―― 「適応度指標」と呼ばれる考え方から導かれるものが、ザハヴィの〈ハンディキャップ原理〉に近いものになることは、著者自身によって示されます。


予算を無視した高価な信号よりも予算を考慮に入れた高価な信号のほうが、ずっと容易に進化する。この予算の制約に対する敏感さは、生物学者たちが「条件依存性」と呼んでいるものだ。これは、適応度指標は適応度に依存しているという直感を反映して、「適応度依存性」と呼んでもよい。
…………
 ザハヴィのハンディキャップの原理と条件依存性の考えは、同じものを違う面から見ただけである。
〔同上 (p.178, p.180)


―― 〈配偶者選択〉の淘汰圧が、こうして浮かれたホモ・サピエンスの男を作ったとして。
それが脳のとてつもない巨大化をもたらしたとして。調子こいていろんな文化ができたとしても。

 それぞれの生き物を特徴づける形質(表現型)の見事さに驚嘆しつつ、それが特異なものであれば配偶者選択によるものであるとするのは、そう無理な設定でもないでしょう。
 このさいおおまかにいって、〈適者生存〉は、〈適者繁殖〉のための必要条件と、いえるでしょう。
 進化に目的があるとするなら、それは〝生存〟ではなく〝繁殖〟だとするのは、理にかなっています。
 進化は、世代交代をしなければ、成立しませんから。繁殖は、進化の絶対条件になります。
 そのためには特に大型の哺乳類などは、繁殖期まで成長するためにも、数年は生き延びる必要がでてきます。
 すると〝生存する適者〟であることは、その存在の目的ではなく、手段であることは明白となってくるでしょう。
 繁殖が終われば、すぐに死んでしまう生き物も、その命の目的は達成できているわけです。
 たまたま生きているのは、おまけでしょう。
 生きてるだけでも儲けものというのは、実際、丸儲けと考えて差し支えないかと、思えてくる次第です。
 そうすると、誰でもみずから利益還元祭というのは、余生の必需品として。どうせなら。

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