スティーヴン・ジェイ・グールド『ワンダフル・ライフ』(“WONDERFUL LIFE” 1989) によって、その物語は大きく世に広まったと、いろんな書で語られている。けれども、グールドの功績の大きさと、誤解された解釈の弊害が、併記されるのは、どういうわけなのだろう。
そのことから、物語は別の展開を見せることになるのだけど、例示された突拍子もない誤解力についてまずリチャード・ドーキンス『虹の解体』(“UNWEAVING THE RAINBOW” 1998) から、引用する。
『ワンダフル・ライフ』を読んで、この本が、〝カンブリア紀の門は共通祖先をもたず、なんとそれぞれ独自に生命の起源として現れてきたのだ!〟と主張していると受け取ったある哲学者との会話について、ダニエル・デネットが聞かせてくれた。デネットが、グールドにはそんなつもりはないんだ、と話すとその哲学者はこう言った。「じゃあ、一体全体この大騒ぎは何なんだね?」
〔日本語版『虹の解体』福岡伸一訳 2001年 早川書房刊 (p.275) 〕
―― 上の引用文は、ドーキンスが書きとめた、伝聞の記録だ。
ダニエル・デネット本人の伝ではどうだろうか。デネットは『ダーウィンの危険な思想』(“Darwin's Dangerous Idea” 1995) で、次のように語っている。
たしかにバージェス頁岩動物相の繁栄と終焉は、前後の他の動物相の繁栄と終焉より漸進的ではなかったかもしれないが、だからといってそれが、生命の系統樹の形について何かラディカルなことを示していることになるわけではない。
これではグールドのポイントをはずしていると言う人もいるかもしれない。つまり、「バージェス頁岩動物相の華々しい多様性の特別さは、それらが単に新しい〈種〉だったというだけではなくて、〈そっくり新しい門〉でもあったということなのだ。これらは、〈ラディカル〉に新しいデザインだったのだ!」というわけだ。私は、これは、グールドのポイントではないと信じている。というのは、もしそのとおりなら、回顧的な戴冠という人騒がせな間違いになってしまうからだ。すでに見たように、〈あらゆる〉新しい門(ほんとうに新しい王国!)は、ただの新しい亜変種としてスタートした後に、新しい種になるのでなければならない。
〔日本語版『ダーウィンの危険な思想』山口泰司監訳 2001年 青土社刊 (p.400) 〕
―― この引用文中の「」(鉤括弧)内の一節は、グールドの記述を揶揄(やゆ)的に改竄(かいざん)したものと思われる。
グールドの記述そのものではないというのは、参考文献が示されていないことでも推定できるが、それともうひとつ、すぐあとの 402 ページには日本語版『ワンダフル・ライフ』からの参照が〝渡辺政隆訳〟として、誤解のないような方法で引用されているのだ。―― 日本語版『ダーウィンの危険な思想』の担当者たちも、誤解が重箱状態にならないよう気を使うところだろう。
鉤括弧内に書かれたモトネタとしての、グールド『ワンダフル・ライフ』の本来の記述は、おそらく次のものであったろう。
バージェスから見つかる一五から二〇種類あまりのユニークなデザインは、解剖学上の独自性からいえば独立した門に相当する。
〔日本語版『ワンダフル・ライフ』渡辺政隆訳 1993年 早川書房刊 (p.144) 〕
―― さてさてそれでは、〝カンブリア紀の門は共通祖先をもたず、なんとそれぞれ独自に生命の起源として現れてきたのだ!〟という途方もない発言については、そこまでにいたるどういう経緯(いきさつ)があったのだろうか。
化石の資料は、前回にも書いたけれど、約 6 億年前の「エディアカラ化石生物群」にようやく、動物と認められる多細胞生物の出現が見られるらしい。
カンブリア紀を代表する「バージェス頁岩」の年代はおよそ 5 億 3000 万年前と推定されているようだ。
グールドは『ワンダフル・ライフ』で、カンブリア紀の現象とエディアカラの時代の間を、1 億年程度と見込んでいる。そのことは、日本語版の 79 ページに記述がある、
「エディアカラ動物群から、現生的な体の設計プランが固まったバージェス動物群まで、一億年の隔たりがある。」
それらの生物群の関連について、グールド自身の記述を日本語訳で見ると、次のようになっている。
ドイツのチュービンゲン大学教授でわが友人でもある古生物学者ドルフ・ザイラッヒャーは、私見では現役古生物学者としてはいちばん目の利く研究者なのだが、その彼が一九八〇年代前半にエディアカラ動物群に関して従来とはがらりと異なる解釈を提唱した (Seilacher, 1984) 。彼は消極的な論拠と積極的な論拠に基づいて自らの見解を二重に擁護している。消極的な主張とは機能面に関する議論で、エディアカラ動物は類縁関係があるとされている現生動物のように機能できたはずがなく、したがって表面的な形状にはいくらかの類似性が認められるものの、現生グループの同類ではないだろうと論じている。…………
〔文献 : Seilacher, A. 1984. Late Precambrian Metazoa : Preservational or real extinctions? In H. D. Holland and A. F. Trendall (eds.), Patterns of change in earth evolution, pp. 159‑68. Berlin : Springer-Verlag.〕
ザイラッヒャーがあげる積極的な論拠とは、エディアカラ動物のほとんどは単一の設計プランに基づく変異として分類学的に統合できそうだという主張である。…… このデザインは、現生するグループのどんな設計プランとも一致しない。そこでザイラッヒャーは、エディアカラ動物は多細胞動物におけるまったく別個の実験であると結論した。しかもそれは、カンブリア紀まで生き残ったエディアカラ動物はいないことから見て、これまでは知られていなかった先カンブリア時代終わりの絶滅において最終的に失敗してしまった実験である。
…………
ザイラッヒャーは、先カンブリア時代末のすべての動物が、多細胞動物において別個になされたこのもう一つの実験が設定した枠内に分類されるとは考えていない。彼はエディアカラ動物群が出土する地層にさまざまなかたちで残されたたくさんの生痕化石(足跡、這い跡、穿孔)も調べており、エディアカラ動物群が生きていた時代の地球上には現生的なデザインをもつ後生動物 ―― おそらくある種の環形動物 ―― も生息していたことを確信している。つまり、バージェスの場合同様、まさに最初から、いくつかの異なるデザインの可能性が存在していたのである。生命は、エディアカラの道をとることもできたし、現生グループの道をとることもできた。しかしエディアカラの道は完全に途絶え、われわれはその理由を知らない。
〔日本語版『ワンダフル・ライフ』 (pp.479-480, p.481) 〕
―― よくよく読めば、グールドが記述したザイラッヒャーの主張では、エディアカラからカンブリア紀につながる道は研究の一部としてちゃんと示されている。
ただここで紛らわしいことに、「エディアカラ動物群」のなかでも、カンブリア紀にまで生き残らなかったタイプの生き物を「カンブリア紀まで生き残ったエディアカラ動物はいない」と、グールドは、書いているのである。
まったくもって非常に紛らわしいのだけれども、「エディアカラ動物」というのは、「エディアカラ動物群」のなかで、子孫を残せないままに絶滅していった生き物たちを特定している、と読むことができる。
つまり、「エディアカラ動物群」のなかでも、限定されたエディアカラ特有の生き物たちを「エディアカラ動物」と称しているらしい。
そして、「エディアカラの道は完全に途絶え」たのだけれど、カンブリア紀にまで生き残った、その時代の生き物の子孫たちも同時に想定内である、ということなのだ。
ここでも、完全に途絶えた「エディアカラの道」というのは、その後に見られなくなったエディアカラ特有のパターンの意味に解釈すべきであろう。
デネットは、だから、グールドは誤解されたようなことをいっているつもりはない、と、擁護したのだと思われるのだが……。
自著の考察のなかで、デネットはこう述べている。
「私が思うにそれはグールドを自分の願望で誤読しただけのものだ。」
〔日本語版『ダーウィンの危険な思想』 (p.354) 〕
グールドは専門家なのだから、彼が専門とすることについては〝まっとうな〟ことをいっているに違いない、とそれぞれの読者によってそれなりに想定されて読まれるのだろう。
しかしながら、読み手側の〝まっとうな〟見解というのは、十人十色(じゅうにんといろ)であることも間違いなく推定可能であるということなのだ。
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