2017年10月3日火曜日

威信を誇示する〈ハンディキャップ原理〉

 先日来、アモツ・ザハヴィ/アヴィシャグ・ザハヴィ著『生物進化とハンディキャップ原理』をざっと読んだのです。
 前回にも書いたけれど、原著 “The Handicap Principle” は 1997 年の出版です。
 日本語版は、大貫昌子訳で、2001 年に白揚社から発行されています。
 著者アモツ・ザハヴィは、〝テルアヴィヴ大学自然保護研究所動物学教授〟とあります。
 アヴィシャグ・ザハヴィは、彼の夫人で、〝 1969 年から 1988 年まで、イスラエル国立農業研究所ヴォルカニ・センター植物生理学教授〟と紹介されています。

 日本語版ハードカバーの表紙と背表紙に「解説:長谷川眞理子」と記されています。
 解説者の名が宣伝、アピールされるのは、あまりみかけません。
 訳者のプロフィールには在米翻訳家とあり、訳書紹介のなかに『QED・私の量子電磁力学』が記載されています。
 その邦訳本の原題は QED: THE STRANGE THEORY OF LIGHT AND MATTER で、著者はリチャード・ファインマンです。
 QED: ……” の日本語版は 1987 年に『光と物質のふしぎな理論』(副題:私の量子電磁力学)というタイトルで岩波書店から発行され、2007 年には、岩波現代文庫『光と物質のふしぎな理論 ―― 私の量子電磁力学』として刊行されています。
 長谷川眞理子著『クジャクの雄はなぜ美しい?』〈増補改訂版〉第 1 章の終わりに、そのファインマンの著作から、引用がありました。

ファインマン先生は、クジャクの雌の配偶者選びの研究を知らずに亡くなりましたが、彼が次のように述べたとき、それはまったく正しかったのです。
「皆さんもきっと、あのクジャクやハチドリの羽のまばゆいほどの色はどうしてできるのだろうと不思議に思ったことがあると思いますが、これでわかったはずです。どのようにしてあの輝かしい色に変化してきたかということも、また興味ある問題です。私たちがクジャクに感心して見とれるときには、何世代もの間つれあいを選ぶ鋭い目を持ち続けた、あのぱっとしない雌鳥たちに大いに敬意を表さねばならないと思います。」(『光と物質の不思議な理論 ――私の量子電磁力学』、岩波書店より)

 さて ――、生き物の世界で不自然なほどの装飾といえばまずはその〝クジャクの尾羽〟でしょうが、
本当はあれは尾羽ではない。尾の上にかぶさっている上尾筒という羽が長く伸びて美しくなっているのであり、本当の尾羽はその下にあってつつましいものだ。
と、解説に書いてありました。そういえばこのことは『クジャクの雄はなぜ美しい?』〈増補改訂版〉でも触れてあったと記憶にあります。
 さまざまの事情はさておき。
 その、上尾筒(じょうびとう)は、実はクジャクのオスがハンデとして身につけたディスプレイだというわけなのです。
 それが〈ハンディキャップ原理〉の中心を構成します。―― 『生物進化とハンディキャップ原理』は、〈ハンディキャップ原理〉を提唱した本人による、一般向けの手引書です。
 解説にも述べられているごとく思考の回路をひっくり返させるような、意表をついたアイデアが述べられた本です。

 群れをなして生活する鳥類、哺乳類などが、捕食者をいち早く捕捉した際、発見者が警告の言動を行なうらしいことは、ずいぶんと以前から知られていました。
 それはいずれも仲間に報せるための〝警告の叫び〟の一種だと、考えられていました。ところがそれは、捕食者に対しての〝警告〟なのだという話に、一転してしまうのですから、天地もひっくり返ろうというものです。
 被食者(たべられてしまうがわのもの)が、捕食者(たべてしまうがわのもの)を威嚇するというか、自分の強さを誇示して、食べられるのを未然に防いでいるというのです。
―― こんなに強靭かつ勇猛優秀なワタシを食べようとしているアンタは、そのあいだ腹ペコのままなのさ。
―― だから、未練たらしくしてないで、もっと弱っちいヤツ等のいる場所にいきなされ。

 ここで強さを誇示する余裕をもたない被食者のなかでの弱者は、威嚇する間もなく、いち早く逃げ出してしまいます。
 威嚇してくるような被食者には目もくれず、捕食者は、とっとと逃げ出した弱者に狙いを定めるというのですから。
 効果的な威嚇は、効率的な生存には欠かせないわけです。

 このシステムでは、真実優秀な個体でなければ、威嚇した瞬間に、カブリとやられてしまうだけでしょう。
 捕食者も命がけなのですから、安直なイカサマに引っかからないだけの眼力は、共進化で獲得する方向へと進むでしょう。
 そして両者ともに、その資質を発現させるための「コスト」の負担に耐えられる能力がなければなりません。
 ザハヴィはこれを〈信号選択〉と呼びました。
 マネのできない有能さこそが、互いにやり取りされるメッセージとして生き残るわけです。
 信号は、本物だけが、個体の生き残りをかけて選ばれ進化していくのです。

 この理屈は、ダーウィンの〈雌雄選択〉にも応用が可能です。
 クジャクのオスは、勇者の証明である勲章をジャラジャラとぶら下げひきずりながら誇り高く、まさに雄々しさをみせびらかしつつ生きているという次第なのです。
 そういうわけでインチキ野郎には到底マネのできない、〝負荷(ハンデ)〟をしょって生きていくことこそが、モテる秘訣なのだそうです。
 人間の男でも、やたらと重い物を持ち上げたがる〝祭り(イベント)〟に生きザマを求めたりします。
 やはり他者の追随を許さない運動能力の持ち主はカッコイイのです。
―― そのことわりを、邦訳された本文から引用してみましょう。

 自然選択はしばしば相反する二つの異なった過程を含むものと、私たちは考える。その一つは直接的な効率性をめざす選択で、信号以外のすべてに働く。これは信号を除き、効率がよく浪費の少ない特徴を作る選択で、私たちはこれを実用的選択と呼ぶことにしたい。もう一種の選択はいかにも「浪費」と見えるような「高価な」特徴や形質を生むもので、これによって信号が進化するのだ。その高価さ、つまり発信者が信号に投入する大きな努力こそが、その信号の真実さを証明するのである。この過程を「信号選択」と呼ぶことにしよう。
〔『生物進化とハンディキャップ原理』 (p.78) 〕

 ハンディキャップとは恣意的なものではない。特定のハンディキャップは、ある特定の資質や能力を正直に表すための信号として、進化するのだ。そしてこの自然選択のうちの「信号選択」という一チャンネルは、能率性を目指す単純な「実用選択」の逆に働くのである。
〔同上 (p.158) 〕

このあたり、なかなかに納得力を喚起される議論に満ちていました。
第 12 章にある威信と利他行動の進化 ―― 利他行動はハンディキャップかというセクションでは、次のごとくです。

 ひとたび利他行動を、その実行者の能力と意図を示す信号として見れば、利他主義はもはや進化の謎ではなくなる。利他行動に注がれる努力は、その信号の信憑性を保証する要素なのだ。利他行動のコストつまり無駄は、言うなればあの華麗で巨大な重い尾を生やして背負って歩かなくてはならないクジャクが強いられるエネルギーの浪費や、複雑なあずまやを作らなくてはならないニワシドリの無駄な努力と、ちっとも違ったところはない。こうした信号も他のどの信号も、それにかかるコストは、その信号がたしかに信用できるもので、発信者は正真正銘彼の宣伝どおりの者なのだということを証明するハンディキャップなのだ。そう考えれば、利他主義の進化を説明する特別な進化のしくみなど、もはや探す必要はない。それどころか利他行動を信号とする私たちの説明は、チメドリなどの鳥だけでなく、人類も含む哺乳動物、おまけに社会性昆虫にも単細胞生物にさえも当てはまるものと、私たちは信じる。
〔同上 (p.243) 〕

―― ここで利他行動とはハンディキャップであり、オスの威信をかけたモテるためのディスプレイだというわけです。実力がなければ保護などかないません。
 だからこそ、実質を伴わないという、評判の、フィッシャーの〈ランナウェイ・プロセス〉は否定されるのです。イカサマなインチキ野郎のペテン師からは子孫繁栄の栄誉は未来永劫、取り上げられてしかるべきなのです。
 かくして〈ハンディキャップ原理〉は、勇者を選別するための装置として、機能していくことになります。
 このあとも、魅力的な論はもちろん続くのですが、実は先の引用文の直前に、しばし納得できない理屈があったのです。
それは。

 私たちがここで提唱するハンディキャップの原理は、フィッシャーのモデルとは異なり、求愛の結果配偶者も手に入ればライバルにも勝って退けることのできるその動物の資質と、それが示す特定の誇示との関係を説明するものである。私たちのモデルによれば、その誇示のコストあるいは「浪費」こそが、その信号の信憑性を増す要素そのものなのだ。このモデルでは、雌はただ単に他の雌が皆選ぶからというだけの理由で、派手な雄に惚れこむ面食いの尻軽女ではなく、とりわけ立派なディスプレーをするだけの力のある雄を選ぶことによって、その子のために最高の父親を選んでいるのだ。
〔同上 (p.78) 〕

―― という叙述は、
このモデルでは、雌はただ単に他の雌が皆選ぶからというだけの理由で、派手な雄に惚れこむ面食いの尻軽女ではなく、とりわけ立派なディスプレーをするだけの力のある雄を選ぶことによって、その子のために最高の父親を選んでいるのだ。
という説明文を、次のように書き換えても、同じ意味を表現している気がするのです。
―― 個人的な好みよりも多数派の意見にしたがうことで、堅実性と将来性と安定を求める安全パイ指向型ではなく、とりわけ派手なディスプレーで目を引いて力のパフォーマンスを見せつけようとするオスに目移りする尻軽女は、その子のために最高の父親を選んでいるはずなのだ。

―― こうなると、ただのわるくちにしか、思えず。
 そういうこともあって、本文もなかばあたりから、理論というより、強引な理屈で自論を展開している感じになってきたような印象があるのです。
 ザハヴィが語るのは、誇り高き勇者の物語が中心となっているようです。
 むろん、個人的な感慨にすぎません。
 でも個人的には、なんだか、統一的な理論を求めるあまりに、ほかの可能性を排除していく姿勢に、旧約聖書の神に通じるものを感じてしまったのです。
 ハンディキャップの原理の考え方はもっと広まっていてもいいと思うだけに、なんだか残念な展開なのでした。
 人間の女性にも、キズついたひとが好きなタイプ、だという意見はあるようです。
 こんなになってそれでもまだ生きている、というあたりがいいのでしょう。


進化的に有利な ハンディキャップ (ハンディキャップ原理)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/Zahavi.html

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