2017年10月16日月曜日

進化の〈セントラルドグマ〉

 現代の進化の総合説〈ネオダーウィニズム〉の理論が、いわゆるラマルク説〈獲得形質の遺伝〉を否定するのは、いくらキリンが切磋琢磨して首を伸ばそうと、首を伸ばした努力に見合う突然変異を DNA に起こさせるような能力はそなわっていないのだから、「首の長さは努力の賜物(たまもの)」という理屈は金輪際無理なのだ、という信念によります。
 これは、遺伝子型は表現型に影響を及ぼすけれども、その逆の作用はあり得ない、という前提によっています。

発現ではまずは DNA から RNA が転写され、タンパク質をコードする遺伝子の場合は mRNA からタンパク質がつくられる。この遺伝子発現にかかわる遺伝情報の流れの大原則を分子生物学におけるセントラルドグマ[中心命題]といい、DNA 二重らせん構造を発見した人物の一人、クリックによって提唱された。
〔田村隆明著『分子遺伝学』 (p.29)

―― つまりこの〈セントラルドグマ〉によって定められたルートを逆に進む現象はあり得ないということです。

 発生学の歴史をたどると、たった一つの細胞からどうやっておとなの生物ができあがるのかについて、二つの対立する学派がありました。後成説(レシピとケーキの関係)の学派と前成説(青写真と家の関係)の学派です。もしも私たちが青写真発生学の世界に生きていたとしたら、獲得形質の遺伝も可能だったでしょう。ラマルク理論では、ある世代に生じたからだの変化が次の世代に組み込まれるために、からだから遺伝子に向かっての情報の流れが必要です。もしも発生が青写真的に起こっているのならば、からだと遺伝子(または DNA 、遺伝子が遺伝に関する情報を担っているところの物質)という発生的プロセスの両端は同じ構造を持っているはずです。形は違ってももとは同じというわけで、自動的に、指示のプロセスは逆行も可能なようにできてくるでしょう。そうなると、表現型(ワイズマンの言う体細胞 ―― 目、翼、貝殻、花びらなどなど、遺伝子が自らの影響を表現したもの)は、遺伝子型(生物の遺伝的ななりたち、それが持っている特定の遺伝子のセット)に読み直されることが可能で、その情報がまた次の世代の表現型に読み返されることが可能となるでしょう。
〔ヘレナ・クローニン著『性選択と利他行動』長谷川真理子訳 (p.76)

―― この引用文の前提にある共通の理解が必要なので、説明しよう。
「レシピとケーキの関係」では、調理過程という環境の作用が大きく影響するので、目の前の「ケーキ」からもとになった特定の「レシピ」を決定するのは困難だけれども、「青写真と家の関係」では、目の前の「家」から「青写真」を再現するのは容易である、という、たとえ話が、その界隈には流布されているのだ。
 そういうわけだから、このたとえのように、遺伝子型から表現型が形態形成される際には、環境の影響が大きいので、同じ遺伝子型でも、表現型に違いが起きるだろう、という予測は容易となります。
 だから人間ではそこらへん実際どうなのだろうと、一卵性双生児の成長過程に、興味がもたれるわけです。

―― ラマルク説は、〈用不用説〉ともいわれます。
「不用なものは退化する」という説明なんかに使われます。

英国では、一九世紀の後半までには、(ダーウィン自身も含めて ―― ただしウォレスは違いましたが)ほとんどのダーウィン論者が「用の遺伝」の概念を進化を生み出す補助的経路として認めていたのです。彼らは、自然選択こそもっとも強力な要因だと考えていましたが、それ以外のメカニズムが少しは手助けしてくれることも歓迎したのです。「用の遺伝」の概念、さらにもっと一般的に獲得形質の遺伝ということに反対の声をあげたのは、ドイツの著名な生物学者で熱心なダーウィン論者であった、アウグスト・ワイズマンでした。
〔『性選択と利他行動』 (p.65)

―― てことは、もう一度説明しよう。
ようするにダーウィンの進化論は、最初、〈獲得形質の遺伝〉を補助的な説明として受け入れていたのだ。
 それを問題視したのがワイズマン (August Weismann) ということになります。カタカナでは、ワイスマンともヴァイスマンとも表記されるようです。
 ダーウィンは、1882 年に死んでいます。そして〈獲得形質の遺伝〉を捨て去ったダーウィンの進化論〈ダーウィニズム〉は強化されて新世紀を迎えることになります。
 新世紀初頭には、すでに〈ネオダーウィニズム〉という呼び名が、この強化型ダーウィンの進化論にあたえられていたようです。

 新世紀の進化論では、遺伝する獲得された変異というのは、もっぱら有利な突然変異を起こした遺伝子だということになり、進化の〈セントラルドグマ〉は、20 世紀の半ばを過ぎて提唱されました。
 核となる中心的教義として進化の〈セントラルドグマ〉は揺るぎないものですが、それに逆行するのではなくて、まるで円を描くように一周して表現型は、直接、遺伝子型に影響を及ぼす時代が、新世紀には到来しました。
 それは、遺伝子操作であったり、人為的に選ばれた遺伝子をもつ配偶子を、人工授精の技術で、ひとりの人間として誕生させたりするものです。
 思いがけないことには……
 表現型としての人間の技術が、進化の〈セントラルドグマ〉を無効にする日は、未来へのルートにあるのでしょうか。

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