一即十 (いちそくじゅう) と同じであり、「十は一に含まれる」とする見解である。
わかりやすくいうなら、十は、一があることによって、成り立つ ということだ。
噂によれば、西田幾多郎の弟子である山内得立は、師の西田幾多郎に面と向かって、
「先生の一即多はいっしょくた」だ、
といったらしい。この噂の出場所を訪ねて、『理想』 という雑誌に辿りついた。
それは、高橋里美の思い出話として、記述されていた。
また次の話を聞いた時は、私も思わず噴き出した。「山内君が西田さんに先生の一即多はいっしょくたじゃないですかといったそうだ」。
〔渡辺義雄「高橋里美先生の一面」『理想』 333 号 (p.52) 〕
高橋里美が、西田哲学に関するよもやま話として、語った ものらしい。
話は変わるが、アインシュタインが、1905 年の〝特殊相対性理論〟を発表した年に、別の論文で言及していることがある。
〈ボルツマンの原理〉 という。ボルツマンの墓には、〈ボルツマンの方程式〉 が刻んである。
熱力学の 〈エントロピー増大の法則〉 にかかわるものである。
ちなみに、〈ボルツマンの方程式〉は、量子論の元祖でもあるプランクが、最初に作成している。
この、〈エントロピー増大の法則〉は、熱力学の第二法則であり、宇宙はいずれ「熱死」する、という結論を導くものだ。
だからそれは 〈涅槃原則〉 ともいわれる。
ひらかなで「ねはんげんそく」、英語は “nirvana principle” である。
すなわち――。
時間が、一方通行なのは、「生命」の特権ではない。宇宙全体の〈原則〉なのである。
ところが、この〈エントロピー増大の法則〉は、物理学を基盤とするはずの西田哲学には含まれないようだ。
だから、〈時間の矢〉 により繰り返しがきかないのは、「生命」に限って語られることになる。
西田幾多郎はまた、〝時空の相対性〟を「時間と空間はたがいに相対する」と解釈したりもする。
西田哲学の基礎となる論理構成が正しいとする前提に立てば、理解が困難になるのは、もっともな話だと思われる。
西田幾多郎が築いたものはすごいと思う。けれども人間なのだし、欠点もあるのだ。
一即多(いっしょくた):時間・空間・人間 - 生命 -
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/issyokuta.html
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