世界で最初に〝原子爆弾を対戦国に投下した〟アメリカ合衆国の B29 爆撃機「エノラ・ゲイ号」を博物館に展示するという計画があったことについて、その訪問直後にも、触れた(2016年5月30日)。
B29 爆撃機エノラ・ゲイは、実際に、1995 年、空港敷地内に建設された博物館別館に展示された。
アメリカ合衆国の国立航空宇宙博物館が企画した「戦後 50 年の企画展」のことである。
当初は、日本側の協力による、「広島・長崎」の資料も展示される計画になっていた。
ところが、退役軍人会や議会などの〝圧力〟により、学術的資料は、国立航空宇宙博物館には必要ないという結論に至る。
その〈原爆展〉の企画が頓挫した後、ハーウィット館長は辞任を余儀なくされた。
彼はそれ以前に、こう語っている。
「博物館は、過去の歴史を伝えるだけでなく、今日に関わる問題を問いかける教育的役割も果たさなければならない」 (“Air and Space” Magazine, April‐May, 1992) 。
〔マーティン・ハーウィット著『拒絶された原爆展』「監訳者あとがき」より〕
上記「監訳者あとがき」から、順不同で引用してみたい。
予算の四分の三を国に握られているスミソニアン協会は、一年以上にわたる圧力を受けて、譲歩を重ねるばかりとなった。協会長官職がロバート・アダムズからマイケル・ヘイマンに替わった直後の九四年一〇月、航空宇宙博物館は展示案の大幅変更を発表した。原爆投下を「核時代の始まり」と位置づけた第一次案から、「日本が始めた戦争を終わらせた」とする案への大転換であった。
情報と知識を豊富に備えた市民の存在が大前提となるデモクラシー(民主国家)にあっては、国立博物館の役割は「市民に情報と知識を提供する」ことだと、ハーウィット氏はいう。その試金石ともいえる重大テーマが政治的圧力で打ち砕かれた。この論争の最大の敗者はアメリカ国民であると言わねばなるまい。
人類の戦闘史上最大の殺戮を果たしたエノラ・ゲイ号は、脈絡も説明もなく、ただ機体だけが展示されることになった。博物館学芸員たちの学問の自由は無視され、展示企画に賭けた彼らの努力は水泡に帰した。
つまり、1995 年当時は、正義の国「強いアメリカ」に疑念を抱かせるような考えは、〝反米的〟なものであったのだろう。
自由の国アメリカでも、予算獲得がからむと、学術も政治に敗北する、という一例である。
しかしそれは、市民・国民の総意によるとは限らない。
意見というのは、必ずしも多数の意見ではなく、間違いなく発言した者の、
――「意見を言った者」の意見なのだから。
その発言は、立場にも、左右される程度の、「揺るぎなさ」を誇る。
ヒロシマ・ナガサキの日 1
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/Hiroshima.html
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