ところが、専門家の簡単な日本語の展開で、理解に苦しむことがある。
―― 1945 年 7 月、敗戦国ドイツに、米英ソ三ヵ国の首脳が集まった。
ベルリンのポツダムで行なわれた会談での記録だ。
ソ連のスターリン大元帥自身の、対日本戦への参戦は「 8 月中旬」に用意している、
という発言の記録が残っているにも関わらず、どうやらそれを受けた、
アメリカ大統領トルーマンの、スターリンは「 8 月 15 日」に対日本戦に参戦すると発言した、
という日記などへの記載によって、日本の研究者の間では、
ポツダム〔会談〕で、スターリンは「 8 月 15 日」に日本戦に参戦する旨の発言をした、
という具合になっているらしいのだ。
繰り返すが、「 8 月 15 日」にソ連が参戦すると記録したのは、
アメリカのトルーマン( 7 月 17 日付日記)であり、
ソ連のスターリンは、ヤルタ会談での約束通りに「 8 月中旬」には参戦すると、
( 7 月 17 日の昼間)トルーマンに直接伝えたのである。
寡聞にして、閲覧できた文献・記録を確認した限りでは、そうなっている。
根拠としての、スターリンの発言個所が、その他にあるのならば、明示してほしいのである。
そういう混乱があると、〝ナガサキ〟に投下された原爆のいきさつについての解釈にも、
ささいな誤解の積み重ねが、事実として主張されているのではないかと、思われてしまうのである。
すなわち、ソ連は、8 月 15 日の約束を 1 週間前倒しして、8 月 8 日に、日本に宣戦布告した、という解釈である。
それで、慌ててアメリカは、急遽、二発目の原子爆弾を、8 月 9 日に、長崎に投下した、というのである。
事実としてはソビエト連邦のスターリンは、ヤルタ会談での約束に基づいて、期限ぎりぎりまで待ってから、日本へ宣戦布告し、それから作戦を遂行しただけだ。
ヤルタ会談からの、経緯については、また次回にでも、改めて確認したい。
今回は、そういうことではなく、〝ナガサキ〟の、日本側の資料を検討してみたいと思っていたのだ。
ヒロシマ・ナガサキの日 2
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/Nagasaki.html
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