2016年7月25日月曜日

アウグスティヌスの〈指月のたとえ〉

人の指を以て (もって) 月を指 (ゆびさ) し、以て惑える者に示すに、
惑える者は、指を視て月を視ざるが如し。
人これに語って言 (いわ) く、
「我指を以て月を指すは、汝をしてこれを知らしむるなり。汝何ぞ指を看て月を視ざる」 と。
国訳大智度論(こくやくだいちどろん)『國譯大藏經』 論部 第一卷 (p.330)

 これは、ナーガールジュナ(龍樹)作とされている 『大智度論』 の和文を抜粋したものです。
 般若経の解説書なのですが、ここは有名な 〈指月のたとえ〉 を、わかりやすく説明しています。
 つまり、たとえば、
「あの月のようなものだ」といって、空を指さしたときに、
その指を見るばかりで、月に意識が向かないのは、普通なら誰でも愚かだと思うでしょう。

 言葉というのは、そういう指の働きをする手段にすぎないので、その指が示すものにこそ、意識を向けるべきだということです。
 西欧でも、『聖書』 の「文字は人を殺し、霊は人を生かす」(「コリント人への第二の手紙」第 3 章 6 節)からとられた、アウグスティヌスの有名な句、「文字は殺し、霊は生かす」が、繰り返し語られます。
 アウグスティヌスはまたこのことについて、次のように、書き記しています。

 それはあたかも、上弦の月とか、下弦の月とか、かすかにしか見えない星を見たいと思っていて、私が指を伸ばしてそれを指し示そうとする、ところが、私の指を見るだけの充分な視力をさえ具えていない状態に似ている。だからといって彼らは私を非難すべきであろうか。
キリスト教の教え『アウグスティヌス著作集 第 6 巻』 (p.20)

 世界で、同様のたとえが、いわれているのです。
 この 〈指月のたとえ〉 は、ブルース・リー主演の映画 『燃えよ! ドラゴン』 の冒頭にも登場しています。有名なシーンです。
 メイン・テーマの、曲が始まる直前の、挿話となっています。
 残念ながら、このたび再確認した DVD では、その「哲学的」な教えが、誤訳の字幕となって日本人には提供されていました。
 うろ覚えですが、再現すると――、

「考えるな! 感じるんだ」
 リーが、パシコーンと、弟子の頭を平手でたたき、いいます。
「たとえば空の月を指差すようなものだ」
 またも、ぱしこーん!
「指先に精神を集中するんだ。さもないと、敵を見失ってしまう」と。

 こういうような展開なのですが、ブルース・リーは、実は、
「指が示す先に精神を集中するんだ。さもないと、敵を見失ってしまう」 と、いうか、
「指先に精神を集中すると、敵を見失ってしまう」 と、いっているようなのです(英語で)。
「さし示す指に捉われると、敵を見失ってしまう」 と、伝えようとしているわけです(意訳すると)。
 ようするに、敵を月になぞらえて、弟子に教えようとしたのですね。

 ですから、指に意識を向けた弟子の頭をひっぱたいたわけです。
 まあ、それでなきゃ、せっかくの「哲学的」な教えが、「何のことやらさっぱり」な教えになってしまいますし。
 なにせ、リーは、少林寺の武術の流れを汲む達人の役どころなのですから。
 そういうわけで、たとえばなしを間違えて伝えたのは、ブルース・リーではなく、字幕製作者のほうでしょう。


アウグスティヌス:不可知的と知られる神 内在する神
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/immanency.html

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