2016年7月23日土曜日

プラトン 〈想起説〉の問題提起

    メノン
 おや、ソクラテス、いったいあなたは、それが何であるかがあなたに全然わかっていないようなものを、どうやって探求するおつもりですか。
というのは、あなたが知らないもののなかから、どのようなことをとくにえらんで、探求の目標にすることができるのでしょうか。あるいは、幸いにしてあなたがそれをさぐり当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのでしょうか――もともとあなたはそれを知らなかったはずなのに。

    ソクラテス
 わかったよ、メノン、君がどんなことを言おうとしているのかが。
君のもち出したその議論は、論争家が相手をやりこめるのによく使うものだということを、知っているだろうね? それはこういう議論なのだ。
「人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っている以上、その人には探求の必要はないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」――。

    メノン
 あなたには、この議論が正しいとは思えませんか、ソクラテス。

    ソクラテス
 ぼくはそうは思わないね。

 引用文は、「メノン」の一節。適宜改行した。
『プラトン Ⅰ』世界古典文学全集 第 14 (p.249)

 もう数年前のことだ。――とある 『グリンネルの科学研究の進め方・あり方』 という本を読んでいて、その 27 ページに、

 プラトンは 『ソクラテスの弁明』 の中で、メノンに「発見は可能なのか?」という問題提起をさせている。

とあったのが、その問題提起の初見だった。

 [メノンが問う]:それが何かをまったく知らない場合、どうやってそれを探すのですか? どういう方向にそれを探すのですか? 探していたものがそれだと、どうやって知るのですか?

 [ソクラテスは答える]:お答えしましょう。人は、知っているものも、知らないものも探せません。知っているものを探せないのは、すでに知っているものを探す欲求がないからです。知らないものを探せないのは、どんなものを探すべきか知らないからです。

 かなり忠実に引用したつもりだが、どうしても、先の引用文とは、ソクラテスの見解が真逆になってしまう。
――どういう事態が起きているのか?

 どうやら、否定するために、正確に再現した相手側の主張が、こともあろうに当の著者の主張として、
「その本にこのように書かれている」 という引用の仕方をされるのは、常套手段らしいが、プラトン相手にそれをするというのは、どういう「科学研究の進め方・あり方」なのだろうかと、不思議になったものだ。
 それが恣意的な引用であったとしても――、
ソクラテスやプラトン相手の場合は、単純な間違いで、事なきを得られるのだろうか?


プラトンの〈想起説〉への問い
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/Platon.html

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