〝世界を包む大風呂敷〟 ということになろうか。
昭和二十年に到達した「宗教論」(『場所的論理と宗教的世界観』)を完成させたあと、日本の敗戦を見ることなく、彼は死去する。
残された者たちは、その 〝広大な開拓途中の荒野〟 の眺望を呈していたともいえよう 〝拡げられた大風呂敷〟 について、さらに様々な見解を残していく。
その拡げられた風呂敷を閉じる作業に取り組む者も継承者である。
その大風呂敷をさらにさらに拡げていくのもまた、継承者である。
その中でも、西田幾多郎最後の「宗教論」は、彼自身によるその後の展開が遺されていないため、〝術語〟つまり彼の書いた〝用語〟の意味についての解釈が継承者によって異なるようだ。
今回のタイトルに掲げた 〈即非の論理〉 もそのひとつだ。
これは、西田幾多郎が鈴木大拙に宛てた手紙の中にある言葉である。
私は今宗教のことを書いています。大体、従来の対象論理の見方では宗教というものは考えられず、私の矛盾的自己同一の論理すなわち即非の論理でなければならないということを明らかにしたいと思うのです
このことに関する一例として、鈴木亨『西田幾多郎の世界』 にある「絶対無と般若即非の論理」の文中に、
仏教の般若即非の論理は鈴木大拙によって明らかにされたように、〈AはAに非ず、ゆえにAはAなり〉という構造をもっている。すなわち非=否定を媒介とする〈なり〉=肯定の論理を意味するが、この場合、形式的にいうならば、非即の論理と称すべきであろう。
と解釈されているのは、おそらく、誤解によるものであろう。
なぜなら、そもそも「仏教語」に〝即非〟は人名としてしか、項目がない。
ようするに〈般若即非の論理〉自体に「仏教」における認識が確立されているとは思われない。
さらに、鈴木大拙自身は、次のように書いている。
「仏説般若波羅蜜。即非般若波羅蜜。是名般若波羅蜜」。この形式を自分はまた即非の論理と云つてゐるのである。(『鈴木大拙全集』〔増補新版〕第五巻「金剛経の禅」, p.387 )
これによると「即非般若波羅蜜」から、「即非」の語が独立して用いられているようである。
鈴木亨氏によってこれ以外の根拠が示されているとも見えないので、原典に当たらずして、つまり事実確認もせず、哲学が論じられているとしか思えない。
それとも、当時の京都大学の〝宗教哲学〟では、〈哲学=西田哲学〉であり、かつ〈仏教=鈴木大拙〉ということにでもなっていたのだろうか。
継承者:ポスト「西田哲学」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/postN.html
御多忙中おそれいります。私は、西田氏が「風呂敷のようなもの」という比喩を用いて場所の論理を説明したという逸話について調べている者です。このサイトの最初の御文によりますと、「噂によるとそもそも、西田幾多郎は 〝すべてのものを包む風呂敷のようなものを考えていた〟 らしく、」とのことですが、その「噂」についてもう少しくわしいことを知るための文献とか情報源を御存知でしたら御紹介願います。
返信削除私が読んだのは、雑誌『現代思想』(1993 年青土社刊 第 21 巻 第 1 号)の
返信削除梅原猛氏と中村雄二郎氏の対談「西田幾多郎と京都学派」のなかの、
梅原氏の発言 (p.49) で、
〝西田は「私はすべてものを包む風呂敷のようなものを考えているんだ」と答えたそうです。〟
という一節ですが、
恐らくは
〝西田は「私はすべてのものを包む風呂敷のようなものを考えているんだ」と答えたそうです。〟
の誤植であると思われます。
またそこには続けて、中村氏の発言として、
〝西田哲学「風呂敷論」というのは鶴見俊輔さんだかが『思想の科学』に書いていたけれど〟
と、記述されています。
その他の情報としては、Google ブックス google books で、
"すべてのものを包む風呂敷のようなものを考えて"
と入力して検索してみると、
梅原猛氏の、いくつかの文献がヒットしますので、調査のきっかけにはなるかと思われます。