その夏、1947 年 7 月 10 日、『西田幾多郎全集』の刊行が岩波書店で開始されたのだった。
〈活字情報〉という文化を求めるひとびとが、岩波書店を取り囲む静かなる騒ぎとなった。
「第 1 巻の発売にあたっては、前日より徹夜でまつ人が長蛇の列を作り、たちまち品切れとなった。このころ新刊書の発売に際して、しばしばこのようなことがあった。」
と、『岩波書店五十年』 (p.259) には記録されている。
『写真でみる岩波書店 80 年』 (p.99) には、
「『西田幾多郎全集第 1 巻』の売出し日の 3 日前から、営業部の周りに購読者の行列ができた」
という説明文とともに、『朝日新聞』 1947 年 7 月 20 日朝刊 (p.2) からの、写真が掲載されている。
その写真は、19 日午前 2 時に撮影されたものであり、次の 250 部、19 日午前 8 時の発売を待つ徹夜組の姿なのだった。
当時は新刊書に行列はめずらしいものではなかったというが、写真付きの新聞記事にまでなり、おまけに、その十日後の「天声人語」でも話題にされるほどには、お祭り騒ぎだったということだ。
――
思うに、西田幾多郎は、当時からすでに話題となっていた〈近代の超克〉を乗り越えようとしていたのではなかろうか。
ポストモダンというのは、近代合理主義による論理の限界を身にしみて感じたところから、はじまる。
理論だけに頼らない表現が、追及されることになる。
もとより「禅」を長きにわたって体験していた西田幾多郎が、その〈不立文字 ふりゅうもんじ 〉の教えを知らぬはずがない。真理の法というのは、仏教的にも、言葉にはならないのだ。
おそらく西田幾多郎は、「禅」で論理的に語られることのないその〈不立文字〉 を、「哲学」で語ろうと試みたのだろう。
つまり〈近代の超克〉をさらに超克するという困難な道を彼は目指したのだ。
ポストモダン:近代の超克
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/postM.html
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