西田幾多郎三十三回忌「幾多分身帰寸心、遮莫誰見智過於師」
久松真一が最初に聴講した西田幾多郎の講義は、『西田幾多郎全集』にも収録されている、大正二年の京大での講義「宗教学」であったという。
『理想』 1978 年 1 月号 No.536 に掲載された対談(昭和 52 年 10 月 24 日)で、八十八になった久松が、そう語っている。
対談のあったその年、西田幾多郎の墓がある妙心寺の霊雲院で幾多郎の三十三回忌がおこなわれたが、高齢のためであったろうか、久松真一はそれに参加できなかったという。
以下、『理想』誌上の対談に基づいて記述する。
久松真一は、幾多郎にささげる手向けを、かわりに托した。「三十三年一刹那」、と。
「幾多分身帰寸心、遮莫誰見智過於師」と続く句は、『臨済録』からの借用であるという。
潙山云、如是如是。見與師齊、減師半德。見過於師、方堪傳授。
潙山云く、如是如是。見の師と斉しきは、師の半徳を減ず。見の師に過ぎて、方に伝授するに堪えたり。
(いさんいわく、にょぜにょぜ。けんのしとひとしきは、しのはんとくをげんず。けんのしにすぎて、まさにでんじゅするにたえたり。)
〔参照:岩波文庫『臨済録』 (p.198) 〕
「幾多分身帰寸心」にある、「寸心」というのは、幾多郎の号であるという。中村元『佛教語大辞典〔縮刷版〕』 (p.814) には、「寸心 (すんしん)」は「こころのこと」とある。
久松真一は、さらに「殺仏殺祖是酬恩」、とした。
岩波文庫『臨済録』には、「逢佛説佛、逢祖説祖」 (p.54) とあり、「逢佛殺佛、逢祖殺祖」 (pp.96-97) とある。
いやしくも「西田哲学」の継承者となろうとするものならば、師の幾多郎が壁となって立ち塞がったなら、それをただ乗り越えようとするのではなく、いっそのこと蹴散らして行けと、そう告げているようだ。
なんだか、「北斗の拳」を読んでいるような気もするが、これは「西田哲学」の直弟子による、談話のひとこまである。
それから、十余年、1990 年代には西田幾多郎没後 50 年の、記念企画があいついだが、久松真一が残したその「教え」は受け継がれたのだろうか。同じ問いの繰り返しはまだ終わらない。
戦後五十年の「西田哲学」とトポスの学と〈場〉の理論
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/topica.html
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