2016年5月13日金曜日

神に捧げる儀式は生存のための免罪符であるか

 ひとは、進化の過程で「意味」をそこに求めるようになったらしいのだ。
 そこにある危機を、未然に察知できる者たちが、おもに生き延びてきたためだ。
 だから、何事でもそれに象徴される意味を正しく理解できた者が、生きる権利を与えられるのだと、支配者たちは知っていた。
 ひとは、森羅万象の意味を知る必要があった。

 そのために、ひとは「神」を創造した。
 知らなかったことを、また不用意にしでかしたことを、許してもらうためだ。
 そして、最高の権威者によって、必然と定められたルールこそが、自分であるとの証明のために。
 彼らの必殺技を、神にささげる儀式という。それは、犠牲を支払い、神から免罪という、祝福を得る行為である。
 彼らは、神から、命を買う。彼らはその契約による商行為を「あがない」といい、神聖な行為と称する。

 神を思いのままに操ろうとしているかに見える彼らはみずから、「神のしもべ」と称している、らしい。
 身代わりの犠牲を献げれば、神の怒りがおさまることも……。
 彼らは、神のことなら、何でもお見通しなのである。彼らはそのことを「知っている」。

 そのように、神をわがごとくに知る人間は多い。
 デカルトなどによっても、神は明瞭に知覚されたので、それがすべての証明となったほどである。


犠牲をささげる他者存在としての……
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/quest/sacra.html

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