2017年6月28日水曜日

「やられたらやり返す」戦略の邂逅

 まずは下手(したて)に出て様子を見る。
 そうプログラムされている。
 それが協力的な態度を引き出すコツなのだ。
 見栄は禁物だ。自滅への道しるべなのだから。
 ―― だがしかし。
 相手がいじめっ子だったら、毅然(きぜん)として抵抗する。
 やられっぱなしじゃダメだ、即座に反撃せねばならない。
 相手のやり口をそっくりまねればいい。
 やりやすいヤツだと思われたら、カモにされるだけだ。
 徹底抗戦もいとわない。その覚悟も必要だ。

 自分と同じやり口のヤツなら危険はない。
 最初に下手に出た、こっちの態度をそっくり返してくれるに決まっている。
 そう。全部、決まっているのだ。
 変更はない。単純なプログラムだからだ。
 融通もきかない。だから、一度でも間違えれば、そのまま突っ走ることになる。
 もう少し、改良の余地がある。
 さいわい、クローンには、ときにコピー・エラーがある。
 間違いにだって、利用価値はあるのだ。だから ――。
 改良型に、そのうち出会えるかもしれない。
 そうすれば、この役目も終えることができるかもしれない。
 戦略的クローンの未来も、そう悪くはないかも、しれない。


Robert Axelrod ; Cooperation 協調性の進化
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/Axelrod.html

2017年6月26日月曜日

非ゼロサムゲームに勝つということ

 ゼロサムゲームは、ようするに「ケーキ分割問題」だった。
 非ゼロサムゲームは、それとは違う。
 その、非ゼロサムゲームに勝つ、には、戦略の視点を変えなければならない。
 それが「繰り返し型の囚人のジレンマ・ゲーム」で見えてくる。
 ジレンマ・ゲームに勝利する、ということは、ともにゲームを戦っている相手に勝つことを必ずしも意味しない。
―― 唐突に、知る。
 そのゲームが、相手に勝つ、すなわち相手よりまさる、ことを目標としないことに。
気づいたのだ。

 ともに戦っている相手に勝つ、のではなく、ゲームそのものに勝つ、ことを目的とすべきなのだと。
 そのためには、ゲームをともに撃破する友として、かつては戦火を交わした相手と共闘する必要さえ出てくる。
 これは、一種の〝ドラゴンボール理論〟だ。
 より強大な〝敵〟が現れたとき、それまでの戦闘は一時休戦状態となる。のみならず、一転、戦友にさえもなる。
 本当の〝敵〟は、ゲームそのものだったのだ。
 つぎなる〝敵〟には、ジレンマ・ゲームさえも戦友とすればよい。
 運命と戦い、運命を友として。

2017年6月24日土曜日

ナイス・ガイス・フィニッシュ・ファースト

 次の引用文に見られるごとく、リチャード・ドーキンスは 1976 年当時から、利己的な遺伝子がいかにして利他行動を表現型として発現させるにいたったか、をテーマとしたに相違ない。

この本の意図は、ダーウィニズムの一般的な擁護にあるのではない。そうではなくて、ある論点について進化論の重要性を追求することにある。私の目的は、利己主義 (selfishness) と利他主義 (altruism) の生物学を研究することである。
〔リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』増補版 (p.16)

 それから十余年後、『利己的な遺伝子』の 1989 年版で追加された、
12 気のいい奴が一番になる」は、ロバート・アクセルロッドの成果を受けて書かれたものだ。その文中にも述べられていることであるが、ドーキンスはアクセルロッドに、ウィリアム・ハミルトンを紹介している。
 このいきさつは、アクセルロッド『つきあい方の科学』の第二版 (London, Penguin, 2006) に寄せた序文(1)から、その後の自著にさらに引用して触れられているので、そちらの邦訳で参照すると、次のような記述内容となる。

 私はロバート・アクセルロッドという、知らないアメリカの政治学者から突然に、タイプ原稿を受け取った。原稿には「繰り返し囚人のジレンマ」ゲームを競う「コンピューター試合」をとりおこなうと述べられていて、私にも参加を呼びかけていた。もっと正確に言うと ―― そしてコンピューター・プログラムは意識的な洞察力をもたないという理由によって、この区別は重要である ―― その原稿は、競技に出せるようなコンピューター・プログラムを投稿するよう、私に呼びかけるものだった。私は参加できるようなプログラムを書けなかったのではないかと思う。しかしこのアイデアには大いに興味を引かれたので、かなり受動的なものではあったが、その段階でこの企てに対する一つの貴重な貢献をした。私なりの党派心から、政治学の教授であるアクセルロッドには進化生物学者との協働が必要だろうと感じたので、私たちの世代ではもっとも傑出したダーウィン主義者である W・D・ハミルトンへの紹介状を彼に書いたのである。アクセルロッドはすぐにハミルトンと連絡をとり、二人は共同研究をした(1)

 ハミルトンは実際にはアナーバーにあるミシガン大学の、アクセルロッドと同じ研究所の教授だったが、私が紹介するまで、二人は互いに面識がなかった。二人の共同研究は結果として「協調の進化」と題する論文となり、賞をもらったこの論文は、のちにアクセルロッドの同じタイトルの本の一章となった。したがって、この本の誕生における裏方としての自分の役割をちょっとばかり手柄にしたい思いである。
〔リチャード・ドーキンス『ささやかな知のロウソク』 ドーキンス自伝Ⅱ (p.280)

 また、初版でも『利己的な遺伝子』第 8 章以降は、ロバート・トリヴァースの名が多く用いられ、第 11 章では「本書の内容が、R・L・トリヴァースのアイデアに負うところのあること」が公言されているが (p.311)

親切行為とそれに対する恩返しの間に時間的ずれが介在する条件下で、遺伝子の利己性理論は、相互的な背中掻き関係、すなわち、「互恵的利他主義」の進化を説明できるのであろうか。ウィリアムズは、先に名前を上げておいた一九六六年の著書の中で、この問題を簡単に論じている。彼は、ダーウィンと同様な結論に到達した。すなわち、遅延性の互恵的利他主義は、互いを個体として識別し、かつ記憶できる種においてなら、進化することが可能だというのである。トリヴァースは、一九七一年の論文で、この問題をさらに詳しく論じている。この論文を書いた時に、メイナード=スミスの進化的に安定な戦略 (ESS) の概念は、まだ彼の手元になかった。もしこれが利用できていたなら、彼は当然それを活用したはずだと私は考えている。それは、彼の理論を表現するのにぴったり合った方法を提供するからである。彼は、「囚人のジレンマ」―― ゲームの理論の有名なパズル ―― に言及しているが、これは彼がすでにメイナード=スミスと同じ線に沿って考えを進めていたことを示している。
〔リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』増補版 (p.293)

と、あり、
その、トリヴァースは、アクセルロッドとハミルトンの共同論文を読んで、快哉したのだった。

  Axelrod, Robert, and William D. Hamilton. 1981. “The Evolution of Cooperation.” Science 211:1390‐96.

アメリカの政治学者リチャード・アクセルロッドと共同でハミルトンは、たえず裏切る (perpetual defection) という戦略とともに、やられたらやり返す (tit for tat) という戦略がナッシュ均衡であることを数学的に証明した。すなわち、反復的にかかわり合う場合には、自然淘汰は、短期的に適応度を下げるような社会行動を選り好みするだろう。互恵的利他行動は、囚人のジレンマと融合された。そして、たえず孤立するという戦略は、いつでも一つの選択肢としてあるが、協力のルールは細菌にとっても十分あてはまるほど単純であった。「協力的な生物は不釣り合いなほどの生きる上での利益を得られる」と、アクセルロッドとハミルトンは書き出し、そしてトリヴァース個人としては、それが「超弩級」の発見だと考えた。彼は、ある晩クラシック音楽をかけて椅子に座ってこの論文を読んだあと、「私の心は高揚した」と、ハミルトンに手紙を書いた。
〔オレン・ハーマン『親切な進化生物学者』 (pp.433-434)

 まさに生存の闘争が協力を余儀なくしていく、その理論が急速に進化していく、現場に彼らは当事者として立ち会っているのだった。
 見知らぬ人間のために自分のいのちさえも惜しまない、そういう善良さは、紛れもなく宗教とは無縁の世界からここに顕現するのだ、と。

2017年6月22日木曜日

優生論者フィッシャーが利他行為理論のきっかけとなる

 ロナルド・フィッシャーは、1890 年にイギリスで生まれた。数学的には比類なき天才だった。彼は優生主義者だったが、視力障害を理由に軍務にはつくことができなかった。その点では自身を無能だと思わざるを得なかったろう。それでも彼はダーウィンの理論に数学的な根拠をもたらして、集団遺伝学の創始者ともいわれることとなる。
 フィッシャーは、少なくとも、若かりし頃には優生主義者だった。そしておそらくは生涯ダーウィン主義者だった。
 ダーウィンの第三子レナード・ダーウィン少佐は、彼に経済的な援助も行なう、有力な支援者の位置にいた。
 優生論者というのは、人類の遺伝子に「優劣」の価値観を投影するものだ。そういう価値判断は自然選択にも当然、影響を与えた。生き残った「適者」は、自然の摂理に選ばれた良いものでなければならない、ということになる。
 フィッシャーの情熱が、自然選択によって性比が 1 対 1 となる条件を明示した。
 たとえ彼の業績はその思想にもとづくものであったにせよ、理論が設定したその数学的な条件というのは思想的価値観とは無関係だ。
 設定された条件とは、遺伝子をとりまく環境のことだ。環境が変われば性比も変わるのは当然となる。
 彼は、優生主義者だったけれども、優生学者ではなく、あくまでも数学者だった。20 世紀最大の数理統計学者ともいわれる。
 フィッシャーの『自然選択の遺伝的理論 (The Genetical Theory of Natural Selection) 』は、1930 年に出版された。

 ウィリアム・ハミルトンは 1936 年、エジプトのナイル川の島で生まれた。両親とも、ニュージーランド人だった。彼はケンブリッジ大学を卒業して、ロンドン大学の大学院に進んだ。
 ハミルトンが、フィッシャーに面会したときには、フィッシャーの心は別の場所にあるようだったと伝えられる。
 その頃のケンブリッジ大学の教授たちは、フィッシャーの理論には触れたくないようすだった。
 ロンドン大学のライオネル・ペンローズは『優生学紀要 (Annals of Eugenics) 』の雑誌名を『人類遺伝学紀要 (Annals of Human Genetics) 』に変更したばかりだった。
 性比が 1 対 1 となるというフィッシャーの理論をもとに、ハミルトンは利他的行為の進化を解明できると確信していた。
 他人には見えないものが見えたのだと思った。当時は周囲の誰もハミルトンを知らなかった。
 けれども。孤立していた彼が 1963 年に『アメリカン・ナチュラリスト』に投稿した 3 ページの短文はそのまま受理され、また別に『理論生物学雑誌』に送っていた長めの論文は、査読者ジョン・メイナード・スミスの指摘を経て、翌年、二部構成で完成されることになる。

  Hamilton, W. D. (1964). The genetical evolution of social behaviour, I, II. Journal of Theoretical Biology, 7, 1‐52.
 その完成のためにハミルトンは、ブラジルのジャングルへと研究に赴いた。

修正した原稿「社会行動の遺伝的進化、第一部および第二部」を再投稿するまでに九か月かかった。世界のことなど忘れていた彼は、この間に、ジョン・メイナード・スミスが、短いほうの『アメリカン・ナチュラリスト』の論文を引用するだけで、論文「血縁淘汰と群淘汰」を執筆・刊行し、その中で、「包括適応度」に「血縁淘汰」という惹句を与えたことを知らなかった。
 …………
ブラジルから戻ったハミルトンは独自のニュースをもっていた。……
メリトビア・アカスタは一例だ。これは小さな寄生バチで、雌はマルハナバチの生きた蛹(さなぎ)の体内に卵を産みつける。卵が孵化すると、幼虫はこの蛹の体を食べて外に出るが、その前に、唯一の男兄弟である一匹だけしかいない雄と交尾してからである。結局のところ、母バチにとって、蛹という限られた肉体を利用するために、できるかぎり多くの卵を産み、ただ一匹の雄に授精させるのは理に適っている。
〔オレン・ハーマン『親切な進化生物学者』 (pp.231-232, p.237)

 上の引用文献のタイトル『親切な進化生物学者』の原題は
“The Price of Altruism” だ。
 主人公ジョージ・プライスの名と「利他主義の対価」がもじってある。
 数学的天分に恵まれ身勝手なジョージは、ボロボロになりつつ、アメリカからイギリスにわたった。彼は、そこでハミルトンの論文に巡りあい、やがて回心して、利他主義者となる。
 プライスがその後『ネイチャー』に投稿した論文は、短くすれば掲載可能という評価をメイナード・スミスから得た。にもかかわらずその論文「枝角、種内闘争、および利他行動」は未発表のままとなった。
 メイナード・スミスは、プライスと共同研究を行なうことになる。
 そうして利他主義者たちは、「進化的に安定な戦略 (ESS) 」のなかに、理論的な根拠を与えられることになった。

  Maynard Smith, J. & Price, G. R. (1973). The logic of animal conflict. Nature, 246, 15‐18.

 ESS (Evolutionarily Stable Strategy) は、メイナード・スミスによって洗練されて
1982 年に『進化とゲーム理論 (Evolution and the Theory of Games) 』という、単行本となった。
 フォン・ノイマン、それに、ナッシュ ―― 時代を築いた利己的な数学の天才たちは、ゲーム理論で、利他主義の秘密と結びつけられる次第となる。
 そのためには、優生主義者フィッシャーの理論に加えて身勝手なプライスの天才がさらに必要なのだった。


George Robert Price ; altruism 利他主義のプライス(利他行動の進化)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/altruism.html

2017年6月20日火曜日

細胞内共生:協力の進化

 単細胞生物にも、細胞内で役割の分担が観察できる。
 それは多細胞生物のような生命個体内部での機能の役割分担だ。
 前回にも出てきたゾウリムシなど、細胞内の器官である細胞小器官(オルガネラ)に各種あって、あたかも多細胞生物のごとき様相を見せる。そういうわけで単細胞なりに生きるための機能はそこそこ充実している。
 なかでも有名なオルガネラに、ミトコンドリアがある。ミトコンドリアがなければ、酸素をエネルギー源に使えない。
 そのミトコンドリアはもともと独立した細菌だったという。
 それが、原核細胞が真核細胞になるきっかけでもあったろう、たまたま細胞同士が合体して、新しい細胞となったのである。
 合体前のもともとの細胞の得意技を発揮することで、お互いの不利をおぎないあい、強力なタッグが生まれた。
 そのうちいつのまにか、完全に融合した依存関係になった。ミトコンドリアは、自立するために必要ないくつかの遺伝子をおのれの染色体から失った。
 こういうのを、細胞内共生体という。今回のタイトル細胞内共生がはじまる。
 そもそも、DNA が合体してできている染色体からして、遺伝情報の染色体内共生であろう。
 生命は、共生関係を発達させることで、進化していったと思われる。
 なれば、多細胞生物同士の共生関係も、その延長上に容易に想定可能なのだ。
 お互い協力しあうことで、強力な生き物となることができる、と遺伝子レベルで、知られているはずだ。

 なぜに、生命に共同行為が発生するのか。理由はひとつでも充分だ。
 そのことは、遺伝子に刻まれているはずなのである。
 細胞レベルで、考えてみたら、そういうことになった。
 ただし各種遺伝子が発現するためのスイッチがいつどのように入るか、それも個性という多様性のひとつなのだし。

2017年6月17日土曜日

遺伝子多様性を加速する戦略

 ウイルス (virus)
遺伝情報をになう核酸 (DNA or RNA) とそれを囲む蛋白殻からなる微粒子、
と『広辞苑』にある。
〝生命の断片〟ともいえるウイルスが生きているといえるかどうかは境界線上にあるようだ。

 原核生物に属する単細胞の微生物バクテリア
細菌はいろんな方法で染色体の遺伝子の交換を行なって多様化を進めるという。

 有性生殖が進化を加速し種をもたらした
ゾウリムシは単細胞生物だが、ある程度の周期で減数分裂をすることが知られている。
減数分裂で起きる〝交叉〟による遺伝物質の交換の結果、
「ほとんど無限の多様性をもった配偶子の組合せが生じる」とされる。
(「」内は、リチャード・ドーキンス著『延長された表現型』邦訳の「用語解説/交叉」から引用)

 多細胞生物はカンブリア紀に爆発的多様性をみせた
多細胞の生命体の出現は約六億年前といわれる。
同じ遺伝子をもちながら、個体内で機能の異なるクローン細胞として分裂していく、
多細胞生物が、種の進化を加速させたことは容易に想像できる。

 人為選択
チャールズ・ダーウィンは「人為選択」に対する用語として「自然選択」を用いた。
「人為選択」とは人間による動植物のいわゆる「品種改良」のことである。
これに「優生学」が同梱されて明治期の日本に輸入された。
高橋義雄著『日本人種改良論』(明治十七年九月出版)という本がある。
「男女配偶ヲ求ムルノ際ニハ唯内国人ニ就テ良質美性ノ人物ヲ撰フノミナラズ」云々、
と書かれている。
明治十九年には加藤弘之が「人種改良ノ弁」を発表した。曰く。
劣等な日本人の改良には国際結婚もやむなしとした高橋義雄に対して、
加藤弘之は日本人改良の必要性は認めるものの、国際結婚には反対した。
自明の理として、雑婚が進むと、日本人の血がどんどん薄まりついには絶えてしまう。
これでは日本人の改良ではなく日本人の絶滅になりかねないというのである。
欧米でメンデルの法則が再発見されるのは、1900 年のことであり、
明治元年は 1868 年である、つまり、簡単な計算で明治三十一年が、1898 年だ。
先に、雑婚が進めば日本人の絶滅は自明の理のように書いたが、実はその根拠に乏しい。
しかしながらも当時としては、説明不要のことわりであったろう。
このような騒動が進行中の明治二十九年、福沢諭吉が「人種改良」をしたためた。
『福沢諭吉全集』第六巻から引用したい。
著作権者/慶應義塾 昭和三十四年 岩波書店発行のものより。
「福翁百話」人種改良(八十五) 344 ページ
爰に人間の婚姻法を家畜改良法に則とり、良父母を選擇して良兒を産ましむるの新工風ある可し。…………改良又改良、一世二世次第に進化するときは、牛馬鶏犬は其壽命短くして效驗を見ること速なるに反し、人類の改良は割合に遲々たる可しと雖も、凡そ二、三百年を經過する中には偉大の成績疑ふ可からず。

 遺伝子の組みかえ
都合のいい品種の開発が、必ずしも多様性を発現させることには、ならない。
それらの多くは管理された環境でしか生き延びられない「種」だろう。
そして新たにバイオダイバーシティの名の下に……。
合理性に基づく管理判断は、人類の可能性をもおびやかしかねない。
ひとの可能性というのもその多様性であり世代の存続可能性のことだ。

2017年6月15日木曜日

遺伝子がプログラムした神経系は心を創発するか

 ときに何かしらの意図が作用しているようにみえる、展開がある。
 電脳に判断力を求める取り組みと、想いが重なる。
 意識は脳の〝ゆらぎ〟から発現すると風が噂する。
 次の引用文で、ドーキンスは、一般的な理解からすれば逆説的な文章を書いていると、いえよう。

再三再四、生物学者に非ざる人たちが、遺伝子に事実上先見の明を導入することによって、私に群淘汰の一形態を認めさせようとしてきた。「遺伝子の長期的な利益は種というものの絶えざる存在を必要とし、したがって短期的な個体の繁殖成功を犠牲にしても、種の絶滅を阻止する適応を期待すべきではないのか?」というわけだ。私が自動制御やロボット工学の言葉を使い、遺伝的プログラム作成を指して「盲目的」と述べたのは、この手の誤りの機先を制しておこうとしたからなのだ。しかしもちろん、盲目的なのは遺伝子であって、遺伝子がプログラムした動物ではない。人間の造ったコンピューターと同じように、神経系は知性や洞察力を示しうるくらい十分に複雑になることだってできる。
〔リチャード・ドーキンス『延長された表現型』日高敏隆(他)訳 (pp.41-42)

 この邦訳引用文末尾で人間の造ったコンピューターと同じように、神経系は知性や洞察力を示しうるくらい十分に複雑になることだってできると明言され、つまりは人工知能が〝知性や洞察力〟を示すのと同じように、動物の神経系もまた〝知性や洞察力〟を示すことができるというのだ。
 原文を確認したわけではないけど、翻訳文がその趣意を正しく表現しているなら、人間にできることが〈自然選択〉のはたらきで不可能であるはずはないという論旨なのである。
 人間の科学技術はいまのところ、〈自然選択〉による進化の後追いをしているにすぎない。
 このことは、実は、「ブラインド・ウォッチメイカー」の主題の一つとして、著者の次作につながる。
 コンピュータとか、ロボットは、融通のきかない自動機械(オートマトン)だと当時すでに知れ渡っていた。
 執筆された時点で、一般的には、人工知能・人工生命にそれほどの期待感はなかったはずだ。
 近いうちに人間はチェスでコンピュータに勝てなくなる、といった確信はあったろうけれど。
 将棋はまだまだ無理だ、といわれていた時代だ。

 それも全部、過去の物語となった。


R. Dawkins, 1976‐1982. 加速する進化 Ⅱ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/replicator.html