2016年10月30日日曜日

数値化された時が数直線上を動く

 もともと、というか常識的にというか、〝時〟が動くものであるのは、そもそも基準となった〝太陽〟が動くことで、〝時〟を定めたからだろう。
 つまりおそらくは原初、〝時〟というのは〝太陽〟の動きであり、それはもとより「動く」ものであった。
 けれども実際に動いているのは、〝太陽〟であって、それは、空間的な変化の相に相違ない。
 ちゃう。現在では、実際に動いているのは〝地球〟で、それは「自転」という回転なのだ。

 時を経て技術力により〝時〟は、文字盤上を無限回帰する時計の〝針〟の回転運動で定められるようになった。
 デジタル時計になって、原初に空間の変化の相であった〝時〟は、完全に数値化された。
 それでもあいかわらず、〝時〟は動き続ける。いまでは数字となって。
 そうやって、〝時〟はいつだって「動く」ものなのだと知られる。

 この、大前提は、本当なのだろうか?
――〈現在(いま)〉も同じように、仮想の数直線上を動き続けている。

2016年10月27日木曜日

1927年 ハイゼンベルク 「不確定性原理」

1900 年 量子論元年
1905 年 光量子仮説
1924 年 物質波
1925 年 行列力学(マトリックス力学)
1926 年 波動力学(波動方程式)
1927 年 不確定性原理

 量子論によれば、微視的世界では、〝光〟と同様に〝物質〟の観測結果は、〈粒子(つぶ)〉と〈波動(なみ)〉の両面から把捉する必要がでてくる。
 このことを、ボーアの〈相補性〉の概念というらしいが……。
 一般的には、ハイゼンベルクの「不確定性原理」もまた、〈相補性〉の概念の一翼を担う。
 てわけで、ここはまたも、ハイゼンベルクの著作から、引用させていただきまひょう。

たとえば、原子から出る輻射を扱うときにも「物質波」を使うと便利である。その振動数と強さとを使えば、輻射は原子内で振動する荷電分布についての情報を与えるし、その場合には波の像は粒子の像よりもずっと真相に近い。したがってボーアは両方の像の使用を支持し、互いに「相補的」であるといっている。二つの像はもちろん互いに相容れない、なぜかといえばあるものが同時に粒子(すなわち非常に小さい体積に閉じこめられた物体)であって、波動(すなわち広い空間内に拡がった場)であることはあり得ないが、しかしこの二つは相互に補足する。両方の像をあやつることにより、一方の像からもう一方の像へいき、またもどってくることにより、最後に、我々は原子的実験の背後にある奇妙なリアリティについての正しい印象を得ることができる。ボーアは量子論の解釈に当って数個所で「相補性」の概念を使用している。粒子の位置の知識と、速度または運動量の知識とは相互に補足する。もし我々が一方を高い精密度で知れば、他方を高い精密度で知ることはできない。しかも系の行動を決定するには両方とも知らなければならない。原子的事象の時間空間による記述はこれの決定論的な記述と相補的である。
W.ハイゼンベルク著/新装版『現代物理学の思想』河野伊三郎・富山小太郎訳 (pp.26-27)

物質波について、アインシュタイン関連の資料を追加しました。
(『アインシュタインここに生きる』を参照のこと)
  ↓
物理学の哲学
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/physics.html

2016年10月26日水曜日

1926年12月25日 昭和改元

『広辞苑』 第五版 によれば、かくの如し。

大正
 大正天皇在位期の年号。 (1912.7.30~1926.12.25)
昭和
 昭和天皇在位期の年号。 (1926.12.25~1989.1.7)
平成
 日本の現在の年号。 (1989.1.8~)

なぜか、大正と昭和は、1 日重なるのに、昭和と平成は日の重なりが生じていない。
これには戦前と戦後の意識の相違もあるだろう。

元号の過去 90 年を文章にしてみると。
 大正天皇の崩御の日、大正十五年 (1926) 十二月二十五日に、昭和と改元された。
 12 月を 25, 26, 27, 28, 29, 30, 31 日と、数えて昭和元年は、ちょうど 1 週間で終わる。
 1927 年 1 月 1 日は、昭和二年である。
 そうして、日本は昭和の新時代に突入する。
 昭和維新とも、流言した。そして――。
 昭和六十四年 (1989) 一月七日の昭和天皇の崩御に伴ない、その翌日をもって、平成と改元された。
 昭和六十四年も、これはあえて数えなくとも、ちょうど 1 週間だ。
 てことは昭和の時代は、62 年と 2 週間だったということがにわかにわかる。
 それから幾星霜を経て、今年は、平成二十八年。
 おそるべし。平成元年生まれが、あっという、まもなく三十路なのだ。

 豆知識として……。
昭和の最初の日というのは、日本で改良したテレビ受像用のブラウン管に、
「イ」の文字が映し出された日でもある。

2016年10月24日月曜日

1924年 ド・ブロイ 「物質波」の学位論文

 ちょうど 3 週間前の今月初頭(10月3日月曜日)に、似たような表題で書きました、が。
 その文中には、次のように記しました。

 ド・ブロイが「物質波」の構想を発表したのが、1923 年とされており、…………。

――と。
 今回は、それのフォロー及び訂正となります。というのは――。
 その後、量子力学の歴史を再度ひもといておりますと、ハイゼンベルク関連の書籍には、閲覧したもの(せいぜい二、三冊ですが)すべてに、ド・ブロイが「物質波」の論文を発表したのは、1924 年と、書かれているではありませんか。
 目を移せば、かの 『広辞苑』 第六版 (p.2466) には、次のようにありました。

ぶっしつは【物質波】
電子などの物質粒子が回折・干渉などの波動的性質を示すときの呼称。アインシュタインの光量子説を物質に適用し、一九二四年ド=ブロイが導入。プランクの定数を運動量で割ったものに等しい波長を持つとした。ド=ブロイ波。

 今月 3 日に参考にした資料は、1 年以上前に自分でまとめたメモ――箇条書き数行程度の年表――でしたので、その作成に際して参照した原資料らしきを再度手当たり次第に尋ね求めて、ようよう 『物理学辞典』 (培風館、2005 年)にその記述が発見できました。(参考資料・文献の記録は大切であると、つくづくに身に沁みました。)
 結果、自作年表の該当箇所は〝1924年〟に本日訂正して、おりまして。
 〝構想を発表したのが、1923 年とされて〟いるというのは、不適切であろうというわけなのです。
 〝構想を誰かに伝えた〟というあたりの表現が無難であろうかと……。
 原資料の内容を引用させていただきます。

 ド・ブロイ波
 物質波ともいい、1923 年に、L. de Broglie によって、「物体の運動に付随した仮想的な波」として導入された。粒子の運動量の大きさを p とすると、その波長 λ は、ド・ブロイの関係式 λh / p で与えられる( ℎ はプランク定数)。この波長 λ はド・ブロイ波長とよばれ、古典論の適用限界を示すのによく使われる。…………。
 de Broglie はさらに、…………、幾何光学と波動光学の関係が、古い力学と新しい力学の関係であることを予言した。それが 1926 年のシュレーディンガーの波動方程式の発見につながる。…………。de Broglie の研究は、1924 年の学位論文にまとめられている。
〔『物理学辞典』三訂版 (p.1616)

 この記述によると、すなわち、ド・ブロイが「物質波」の概念を導入したのが 1923 年で、それをまとめた論文は 1924 年に発表され、「それが 1926 年のシュレーディンガーの波動方程式の発見につながる」ことになった、という経緯になるようです。
 ちなみにその間の 1925 年には、マトリックス力学(行列力学)と呼ばれる、量子力学の基礎が完成しています。
 最後に、ハイゼンベルク自身のそのあたりに関する記述も、邦訳で、引用させていただきましょう。

一九二四年に、フランスのドゥ・ブローイは、波動の記述と粒子の記述との間の二重性を、物質の素粒子に、第一にまず電子にまで拡張しようとした。彼は、光波が運動する光量子に対応するのと同じように、ある物質波が運動する電子に「対応」させられることを示した。その時にはこの文章の中の「対応」という語が何を意味するかは明らかでなかった。しかしドゥ・ブローイは、ボーアの理論における量子条件が物質波に関して何を述べているものと解釈されるべきかという考えを出した。核のまわりにまわる波動は、幾何学的な論拠から定常波でなければならない。そうして軌道の周は波長の整数倍でなければならない。このようにしてドゥ・ブローイのアイデアは、電子の力学において常に異分子であった量子条件を、波と粒子との間の二重性と結びつけた。
…………
 量子論の明確な数式化は、ついに二つの相異なる発展から現われてきた。一方はボーアの対応の原理から出発した。…………。一九二五年の夏にマトリックス力学、あるいはもっと一般的に量子力学とよばれる数学的体系に到達した。
…………
シュレーディンガーは、ドゥ・ブローイの核のまわりの定常波に対して、波動方程式を設定することを試みた。一九二六年の初めに、水素原子の安定状態のエネルギーの値を彼の波動方程式の「固有値」として導き出すことに成功し、さらに与えられた一組の古典的な運動方程式をこれに対応する多次元空間の一つの波動方程式に変形する、もっと一般的な処方を与えることができた。もっと後になって、彼の波動力学の式は前にできた量子力学の式と数学的に等値であることを彼は証明することができた。
〔W.ハイゼンベルク著/新装版『現代物理学の思想』河野伊三郎・富山小太郎訳 (pp.12-13, p.14, p.15)

 おそまつさまでございましたがな。

2016年10月21日金曜日

西田哲学的〝時空統一体〟

 単純な見解として、
〝高さの欠落した空間〟は三次元空間として意味をなさない。それを一般に〝平面〟という。
 同様に、
〝時間の欠如した空間〟は四次元時空として意味をなさない。それは通常〝平面的〟に捉えられる。
 相対性理論も、
〝ミンコフスキーが取り入れたローレンツ変換により時空が統一された〟
時間と空間の相互補足性の理論として、哲学的に捉えられたかも知れない。
そこには、〝量子力学の相補性の概念〟も垣間見られる。

 殊にローレンツ Lorentz やミンコウスキー Minkowski などによつて唱へらるゝ物理学上の相対性原理に於てはこの傾向が益々徹底して時間と空間とさへも相対化せられるやうになつた。
新版『西田幾多郎全集』第十二巻「現代に於ける理想主義の哲学(第七講)」 (p.73)

上記引用文は、大正五年 (1916) の講演記録であるが、
次の著作は、昭和十五年 (1940) のものだ。

 物質的世界と云ふのも、右に云つた如く、既に空間時間の矛盾的自己同一の世界、多と一との矛盾的自己同一の世界でなければならない。時間空間の相互補足性と云ふのも、かゝる世界の矛盾的自己同一を意味するものであらう。
新版『西田幾多郎全集』第九巻「日本文化の問題」 (p.16)

 このように語られる時間と空間の理論は、〝絶対現在〟と表現される〈永遠の今〉においてすべての時空が内包される。

 西田哲学の〝絶対時空〟は、〝時空連続体〟というより、
〈永遠の今〉の表現である〝時空統一体〟とでもいうべきであろうか。


イデア:時空統一体
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/unity.html

2016年10月19日水曜日

〝時を忘れる〟時の構図

 〝時を忘れる〟ひとときというのは、〝我を忘れる〟時間でもあろう。
 するとこの場合には〝時は我なり〟という構図が見えてくる。

 ひとは、そうやって自分の時間を生きているけれど。
――誰かと。
 〝同じ時間を生きた〟ことと、〝同じ時代を生きた〟ことには、空間的な違いが感じられる。
 〝同じ時間〟には、空間的に近接した「景色までも含めて共有する」印象がある。
 〝同じ時代〟で、共有されているのは、きっとどこまでも続く「同じ空」なのだ。
 「同じ空の下にぼくたちは生きてきた」という、空に媒介された距離感を含む風景がそこにある。

 ならば「時間を忘却した時代をぼくたちは生きてきた」というのはどうだろうか。
 それは〝時に追われて生きる時〟を意味するかも知れない。
 おそらくは「ぼくたちは自分の時間よりも時間そのものを大切にしている」。
 動く時計の針によって刻まれる時間をまるで先取りできるかのように。

 生きている自分を意識する時間の至福と不幸がある。

2016年10月17日月曜日

時が「動く」ための絶対基準

 それから現実の世界と云ふものはいつでも何か絶対の現在と云ふやうなものに接して居る。さう云ふ風に考へなければならないと思ふのですな。
新版『西田幾多郎全集』第十三巻「現実の世界の論理的構造(第五講)」 (p.233)

その無数の時をつゝむものが即ち永遠の今なのである。かゝる永遠の今のいづれの点に於ても時は消えて又新に生れる。かくて時は常に新しくどこからでも始まる。その無数の時が表から見られた時、それは一つの点に収まるとも考へられる。その一点がすべての運動をつゝむのである。その永遠の場所に於て種々なる時が可能になる。それ故に種々なる時は場所の意味を有ち、空間的な意味を有つ。
新版『西田幾多郎全集』第十三巻「生と実在と論理」 (p.124)

 すなわちここに、絶対基準が、必然である。
 永遠の場所である〈永遠の今〉において、すべての〈時〉が可能になる、らしい、のだ――。
 無条件に、その〝前提〟を〝根柢〟とする。

 ところで。もし、〈瞬間〉が一瞬前も消えてなくなっているというなら、
どのように〈無数の瞬間〉が同時存在し、
数直線状の〈時間〉を切断した切断面を〈空間〉という如き説明が可能であるか?

 そもそも、これでは直線を切った、一次元の切断面が、
零(ゼロ)次元とはならず、三次元であるというようなイメージを喚起させる
解釈ではあるが、その曖昧さはとりもなおさず基準座標としての、
〈絶対時間〉というような〝観念〟の導入を前提条件としたであろう。

 さらに〈瞬間〉が同時存在する必然として、因果律を楯に説明は可能だ。
 瞬時に消滅する〈時〉において、過去が現在にそして現在が未来にそれぞれ関係性をもって〝働きかける〟ためには、過去と現在、そして、現在と未来が、同時存在的でなければ働きかけることができないのは、存在しないものに〝働きかける〟ことができないことからも自明であろうとされる――。
 これは、プラトンの「パルメニデス」 156D~E あたりをヒントにしたものとみなされているようだ。
 西田幾多郎は論文で、プラトンによる〝イデアの影〟説を援用していう。

私が前論文において、世界が絶対矛盾的自己同一の影を映す所に、イデヤ的といった所以である。
岩波文庫『自覚について』西田幾多郎哲学論集Ⅲ「絶対矛盾的自己同一」 (p.77)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/sublation.html#idea
 ――リンク先は新版『全集』第八巻からの引用文――

 もし〈時〉が〈時〉に対して動くというなら、
対する〈時〉と、
それに対される〈時〉とは、
どう異なるか。異ならないのか。