2017年5月6日土曜日

神の物語を科学する「創造科学」

 一神教が語られる『聖書』で、主なる神が複数形の箇所があります。

新共同訳『聖書』旧約聖書「創世記」 11 章 5 節から 7 節までを引用
 主は降(くだ)って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた、
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」。

 ここに語られた、神による「我々」という複数形の一人称は、子であるイエス・キリスト及び父なる神と解釈されて、やがては〝三位一体〟説へと発展していきます。
 解釈は自由です。ですから、自由な信仰の立場からの反対意見もあるようです。
 神ないし神々の物語をどのように信じるか、それともてんで信じないかは、各人の内面の問題でしょう。
 神の物語を「神話」といいます。神々の物語も「神話」です。
 神が単数形でも、複数形でも、同じ「神話」です。

 それはさておき、そのような神の物語を科学的に考察しようという社会的な働きがあります。
 再現性という点で壊滅的な弱点を有する進化論も、科学ではないと、疑われる展開もあるようです。進化論を疑うというのは、ようするに、検証不可能な進化論を科学的というなら、同じように、「創世記」も科学的らしいのです。
 特にアメリカ合衆国でそれは衰えることを知らず盛んに検討が続けられているようです。

 ここに深い、とても深い、事情があります。
 新世界アメリカはキリスト教徒の理念を体現すべき〈神の国〉でありつつ、政教分離という国策があるので、特定の宗教にかたよったものは、公立の教育機関では授業に採用されないからなのです。
――、っちゅうことなら、「創世記」を資料とした、「創造科学」の研究が自然科学として国家に認められたなら、『聖書』を堂々と授業に持ち込めるという次第なのであります。そういうことが真剣に画策される時代なのであります。
 でも、もし神の物語の記述が文献として、まともに科学されたなら、その都合の悪い場所も平等に扱われてしまうでしょう。

口語訳『聖書』旧約聖書「レビ記」 19 章 27 節
あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。

 この文言は、多くのひとびとにとっては、無視したいか、気にならないものでしょう。
 しかしながらもたとえば、ひとの道を『聖書』のいいつけを根拠として主張するなら、こういうこともすべて忠実に守られなければならないはずなのです。
 やはり宗教は自然科学とはジャンルが違うと思われるのですが、こういうところにも、科学的な根拠は見つけられるのでしょうか? それともこのあたりは科学とは関係ないのでしょうか。
 神の言葉に忠実でありなさいというひとは、こういう些細なことこそ、忠実でなければならないのではないかと、思ったりもします。
 あろうことか、聖書の語句に忠実であろうとするひとびとは、自分で聖書を読まないという風聞さえ耳にします。
 自分に都合のいいだけの信仰は、擬似科学と同じような、擬似信仰なのではないかと思われてなりません。

 云々、云々、と――。
 このあたりの新しい闘争が、創造論と進化論で、続いているわけです。
 日本では、もともとそういう闘争神話が浮世離れしているため、アメリカの世情が理解しがたいのですが。

 1968 年に、アメリカ合衆国の連邦最高裁は、反進化論州法が「国家と宗教の分離」を定めた合衆国憲法修正条項第一条に反するという判決を下しました。
 1970 年代後半に、自然科学の博士号をもち「創造科学」を研究する、「創造科学者」が登場します。
 創造論と進化論は対等の科学的な仮説だから、両者にあてられる授業時間は等しくなければならない、とする「授業時間均等化」が訴えられ、それに則した州法が、1980 年代にアーカンソー州とルイジアナ州で成立しました。
 1987 年、連邦最高裁は「均等化」法にたいし、「生物進化論は科学であるが、創造論は特定の宗教に基づいたドグマである」から「公立学校の科学の時間にそれを教えることは国教樹立を禁止する合衆国憲法修正条項第一条に違反する」という判決を下しました。
 1990 年代になると、かつてはダーウィンも学んだ、ウィリアム・ペイリの設計論が、復活しました。
 知的設計者を想定する、新しい科学です。
 進化全体に、知的な存在がかかわっていることを「知的設計(インテリジェント・デザイン)」説といいます。

ジョン・E・ジョーンズ判事は、二〇〇五年十二月二十日のドーヴァー判決で、次のように書いている。「 IDM[ Intelligent Design Movement, 知的設計運動(インテリジェント・デザイン・ムーヴメント)]の提唱者は、この設計者が宇宙異星人あるいは時空旅行する細胞生物学者であるかも知れないことを時折示唆するけれども、設計者が神ではないことを示すまじめな代案を、IDM 会員が提出したことは一度もなかった」。
〔フランシスコ・J・アヤラ『キリスト教は進化論と共存できるか?』 (pp.103-104) 〕

 興味深いのは、著者が違えば、創造論者に関して次のような記述も見えることです。

国有林や国立公園内の資源利用に利害をもつ林業、鉱業、畜産業の関係者とファンダメンタリストを中心とするキリスト教保守派は共和党保守派を支え、米国の反環境運動の中心に立っています。
 天啓的歴史観に立つファンダメンタリストにとって、全地球的な環境問題は終末が近いことを示す兆候にすぎません。全地球の環境を保護しなければならないとする環境主義は反キリストが支配する世界政府樹立につうじる道になるとし、地球を救うことができるのはキリストの再臨、神による新しい天と地、新しいエルサレムの樹立によるのだから、そのためには救いの福音をのべ伝える伝道をいっそう活発にし、祈りをもって終末に備えるのがクリスチャンの使命だ、とファンダメンタリストは主張するのです。
 …………
 進化論を拒絶するかぎり、ファンダメンタリストは生態学的視点を理解できず、現代の環境問題を十分に理解できなくなります。
〔大谷順彦『進化をめぐる科学と信仰』 (p.212) 〕

 多くのキリスト教の信仰者が環境問題に積極的に取り組むなかで、ファンダメンタリストは反環境運動を推進しているというのです。
 その理由が、進化論を信じないからだということのようです。
 これはもう、完全に信教の自由の問題が絡むので、自然と手をこまねく以外にどうしましょう。


信仰と創造科学と知的設計
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2017年5月4日木曜日

進化論と優生学そして〈数字〉への信仰

 1858 年 6 月 18 日、チャールズ・ダーウィンはアルフレッド・ラッセル・ウォレスから「変種がもとのタイプから無限に遠ざかる傾向について」という論文を受けとった。
 同年 7 月 1 日、リンネ学会の会合でダーウィンの研究とウォレスの論文が報告され、ダーウィンとウォレスは自然選択による進化論の共同発表者と認められた。
 1859 年 11 月 24 日、ダーウィンは『種の起原』を刊行する。
 ウォレスは、1864 年の「自然選択により演繹される人種の起源と人類の古さ」という論文以降、人間の知的道徳的精神は「指導魂(ディレクティヴ・マインド)」という超自然的な存在者によって導かれていると主張するようになる。
 以上は、丹治愛『神を殺した男』を参考にまとめたもの。
 同書には優生学についての記述もある。次は、その箇所の引用文。

 ちなみに、ダーウィンのいとこ(エラズマス・ダーウィンの孫)でもあり、『遺伝的天才』(一八六九)において近代優生学の父となったフランシス・ゴールトンが「優生学」という言葉をつくったのは、一八八三年、『人間の能力とその発達に関する研究』においてのことである。
 それ以後、ある種の結婚を禁止し(消極的優生学)、別な種類の結婚を奨励する(積極的優生学)優生学的運動は、メンデリズムの再発見(一九〇〇)以後に発展する遺伝学とあいまいにむすびつくかたちで、二〇世紀をつうじて不吉な力を発揮しつづける。
 たとえば、ゴールトンの弟子のひとりにカール・ピアソンがいる。ヴィクトリア朝中期の経済的繁栄の結果として労働者の生活水準(とくに栄養水準)が大幅に改善されていくなかで、自然選択の度合いを示す死亡率が急速な低下を示したことに危機感を覚えた彼は、「もし自然が行なう効果的ではあるが手荒い人種改良をわれわれが拒むのであれば、その仕事をわれわれみずからの手で引き受け、精神的・肉体的に劣る者が多産化せぬよう手段を講じなくてはならない」(バーナード・センメル『社会帝国主義史』)と主張していた。このような優生学のもつ不吉な本質は、ほどなくナチズムの反ユダヤ主義的政策のなかに顕在化していくことになる。
〔丹治愛『神を殺した男』 (p.51) 〕

 かくして〝科学的〟な新しい教義は、〈数字〉への信仰心をたかめていったわけだが。
 数字への信仰は、ダーウィンの進化論を待たずとも、すでに萌芽していた。
 1851 年に死去したサミュエル・ジョージ・モートンの研究は、さまざまな人種の頭蓋骨を収集して、それをできるだけ、自己の信念に従って正しく計測することだった。残念なことには、彼の信念の強さが、観察と計測の結果に相応の影響をもたらしたらしい。
 その信念とは、頭蓋骨の大きさから客観的に人種をランクづけられるというものだった。
 モートンの研究をたいへんに評価して「厳密で注意深い」と称賛した、オリヴァー・ウェンデル・ホームズには同名の息子がいた。オリヴァー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは、1927 年、ヴァージニア断種法を支持する最高裁の判決を申し渡した。

精神薄弱といわれている子どもを持つ若い母親のキャリー・バックは、スタンフォード=ビネー式で精神年齢九歳であると採点された。キャリー・バックの母親は当時五十二歳であったが、精神年齢を検査したところ七歳であった。ホームズは、二十世紀における最も有名で冷酷な言明の中で、つぎのように述べている。
 「公共の福祉が善良な市民たちに、その生命を要求する場合があることを一度ならず見てきた。現在まで国力を弱体化してきた人々に、このわずかな犠牲すら求められないとするならばおかしなことである。……三代もつづく痴愚はもう結構である。」
 …………
私は、一九八〇年二月二三日の『ワシントン・ポスト』紙の記事にショックを受けた……。「ヴァージニア州で七五〇〇人以上を断種」がその記事の見出しであった。ホームズが支持したあの法律が一九二四年から一九七二年まで四八年間も実施されていたのである。手術は精神衛生施設で、「未婚の母、売春婦、軽犯罪者、訓育上問題のある子ども」を含む精神薄弱や反社会的であると考えられる白人男女に主として行なわれていた。
〔スティーヴン・J・グールド『増補改訂版 人間の測りまちがい』 (pp.457-458) 〕

 知能指数が、人間の価値を定めようとする時代は、日本では、戦後の高度経済成長期以降も続いた。
 かつて優生学に関する資料を調べてみたことがある。
 すると「ゆとり教育」の話題まで、でてきたので、びっくりしたものだった。
 そのときの資料から、それに限定して引用させていただくと。教育課程審議会会長を務めたことのある三浦朱門氏の証言が紹介されているものから。

……〝ゆとり教育〟を深化させる今回の学習指導要領の下敷きになる答申をまとめた最高責任者だった。
「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。
 …………
 今まで、中以上の生徒を放置しすぎた。中以下なら〝どうせ俺なんか〟で済むところが、なまじ中以上は考える分だけキレてしまう。昨今の十七歳問題は、そういうことも原因なんです。
 平均学力が高いのは、遅れてる国が近代国家に追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが〝ゆとり教育〟の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」
 ―― それは三浦先生個人のお考えですか。それとも教課審としてのコンセンサスだったのですか?
「いくら会長でも、私だけの考えで審議会は回りませんよ。メンバーの意見はみんな同じでした。経済同友会の小林陽太郎代表幹事も、東北大学の西澤潤一名誉教授も……。教課審では江崎玲於奈さんの言うような遺伝子診断の話は出なかったが、当然、そういうことになっていくでしょうね」
 それまで取材したさまざまな事実、いくつもの言葉が思い出された。…………
〔斎藤貴男『機会不平等』 (pp.40-41) 〕

 20 世紀に、進化論と創造論と無神論と優生学とは、まさに〝科学的〟という同じ言葉で語られるようになった。
 アメリカでは、1920 年代から、ファンダメンタリストが反進化論運動を展開しはじめた。
 それについては「スコープス裁判」( 1925 年 7 月)での論戦が有名だ。
 同じ言葉で語ろうとして、進化論と創造論に、明確な、対立が生まれた。
 やがて〈創造科学〉が反進化論運動の先頭に立つが、それについては次回の話としたい。


1859 年:ダーウィンの衝撃
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2017年5月2日火曜日

カインの妻はアダムとイブの子孫ではないような

 有名な〝カインとアベルの物語〟は、旧約聖書「創世記」の第 4 章に描かれている。
 アダムの妻イブは、邦訳聖書ではエバとも表記されるが、彼らの最初の子供である長男がカインであり、同じく第二子のアベルが次男となることは、おおかたの共通認識となっている。
 人類というのは、この 4 人家族のことであった。はずなのだが。

 カインは弟殺しの罪で、当時、両親がエデンから移り住んでいたエデンの東から、追われて、同じくエデンの東に移り住んだらしいが、追放される際に〝砂漠の危険な無法地帯〟でなぶり殺しになることを極度に恐れていたように記述されている。
 が。だれに? ――殺されると、思っていたのか。
 人類はもはや、その時には他に、彼の父母しか残されていない状況下で、流浪の地で〝誰が〟カインに出会うというのか。
 どうやら、『聖書』では語られていない、別の人類創造の物語が、外伝として想定されているようだ。 ―― というわけで。

「最初の殺人」 ― カインの物語 ― と、都市文明(2016年3月4日金曜日)でも、このことは書いていた。

あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう。
〔『聖書 口語訳』旧約聖書「創世記」第 4 章 14 節〕

カインが殺されることのないよう、《神》はカインに「しるし」をつけ、
そして、このあとで、カインは妻を得て、子をもうける。

―― と、いう具合に、書いていて、かなり以前から、そういう疑念を抱いていたのだ。
そしてこのたび、進化論と並行して創造論などを調べていて、同種の見解を発見した次第だ、というのは。

 アガシはアメリカでの多起源論の指導的スポークスマンにもなった。彼はこの理論をヨーロッパから持ち込んだのではない。アメリカの黒人とはじめて接した経験が、彼をして黒人は別の種であるという人種理論に変えさせたのである。
 アガシは政治的教義として意識的に多起源論を受け入れたのではない。人種をランクづけることの妥当性は決して疑わなかったが、奴隷制の反対者として自分を数えていた。彼が多起源論を支持したのは、もっと早くから別の目的で行なっていた生物学の研究によるものである。まず、彼は信心深い創造論者であり、反進化論者として唯一のちのちまで留まった一流の科学者である。一八五九年以前は、ほとんどの科学者は創造論者であり、多起源論者にはならなかった。
 …………
 そこでアガシは、つぎのような論を提示する。多起源論は人間の単一性という聖書の教義を攻撃することにはならない。たとえそれぞれの人種が個別の種として創造されたとしても、人間は共通の構造と、共感によって結ばれている。聖書は古代の人々には未知だった世界の地域については語っていない。アダムの物語はコーカサス人種の起源のみに言及しているのである。……
〔スティーヴン・J・グールド『増補改訂版 人間の測りまちがい』 (p.85, 88) 〕

 つまりはようするに、ダーウィンの進化論に断固として反対していた、ルイ・アガシは、〈人種多起源論者(ポリジェニスト)〉であったということだ。
 彼の場合に、聖書に基づく創造論と人種多起源論は、まったく矛盾しないのだ。
 このあたりの事情は、相当に複雑な関係性をもつようなのだが……。

 1873 年に、アガシが亡くなると多くの科学者がダーウィンの進化論をうけいれた。と、これもまた共通認識のようで。
 ひとびとは真理という〈神〉にいたる学として自然科学を信仰しはじめる。
 以下、邦訳聖書の、原文資料など。


〔参考資料 1〕
口語訳『聖書』旧約聖書「創世記」第四章

 (pp.4-5)
 人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。カインは主に言った、「私の罰は重くて負いきれません。あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
 カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた。…………

〔参考資料 2〕
『口語 旧約聖書略解』創世記

 (pp.20-21)
〔四・一-一六〕 カインとアベルの物語。……【人はその妻エバを知った】「知る」とは結婚の行為に関連している。【カイン】という言葉の意味は「得る」である。……【アベル】の意味は「息」である。……【わたしを見つける人はたれでも私を殺すでしょう】作者は人類がいかにして増殖しているかについては説明を省略している。ここでカインの恐怖の理由は、殺された近親者の復讐というよりも、むしろ砂漠の危険な無警察の状態を意味するものであろう。……【一つのしるしをつけられた】彼が殺人者であるというしるしではなく、保護のためのしるしである。……【ノドの地】さすらいの地の意味。
〔四・一七-二二〕 カインの子孫と文明。文明の発達に並行したバビロニヤの物語はない。ローマの文明にはこれに並行したものがある。ラチユルスの古伝には、「ラチユルスはその弟レマスの血をもってローマの基礎を築いた」とある。都市の文明は血の上に建てられるのである。カイン族の文明は、ノアの洪水によって絶滅させられるまでつづいたものと信ぜられた。…………

2017年4月30日日曜日

新世界アメリカの独立と南北戦争

 1534 年、ヘンリー 8 世の公布した国王至上法によって国教会「イングランド教会」は成立した。これによってイングランドはローマ・カトリック教会から離脱した。

 このころの日本史をみると、織田信長の生まれた天文三年が、西暦で 1534 年のことになる。
 1603 年、スコットランド国王ジェームズ 6 世が、イングランド国王ジェームズ 1 世として統治を開始。「同君連合」のもと、“king of Great Britain” と自称したという。
 同じ、1603 年(慶長八年)、日本では天下統一を果たした徳川家康が「征夷大将軍」となって、江戸に幕府を置いた。

 1620 年、“Mayflower” に乗り込み、イギリスから、新世界へと向かった清教徒たちは、「メイフラワーの契約」で結ばれた。彼らが自分たちの居場所を確保するために、新天地アメリカで行なったのは、先住民を追い払うことだった。
 当時、キリスト教徒がまだ到達していないアメリカの西部は〈フロンティア〉と呼ばれた。

 日本語で「清教徒」と翻訳された「ピューリタン」が、祖国イギリスで起こした内戦を「清教徒革命」という。
 最近では「ピューリタン革命」のほうが通じやすいかもしれない。最終的にイギリス国王を処刑するに至った、市民革命のことだ。
 クロムウェルの率いるピューリタンを中心とする議会軍が王軍を打ち破ったこの戦いでは、対立するどちらの陣営も〈神の摂理〉を自軍の大義として掲げた。

1642 年 イギリスで内乱が勃発。
1649 年 国王をギロチン台で処刑して、共和制を樹立。クロムウェルによる軍事独裁の開始。
1660 年 王政復古。ところがまたも議会と対立。
1689 年 名誉革命。プロテスタントによる無血革命で、この年に「権利章典」が制定され、立憲政治の基礎が確立された。

 抗議する者・改革者の意味をもつ「プロテスタント」は、日本語で「新教徒」と翻訳されている。宗教改革でローマ・カトリック教会から分離した新教のキリスト教徒をさすからだろう。
 そのプロテスタントが主流となった植民地、新大陸アメリカの独立革命は、独立戦争と呼ばれている。

1775 年 アメリカ植民地は、ジョージ・ワシントンを独立軍の総司令官とした。
1776 年 アメリカの独立を宣言。
1783 年 パリ条約によりアメリカ合衆国の独立が承認された。

 …………
 われわれは、つぎの事柄を自明の真理と考える。すべての人々は、平等に創られたものである。すべての人々には、彼らの創造主によって、一定の譲渡すべからざる権利があたえられている。これらの中に、生命、自由および幸福追求の権利がある。これらの権利を安全ならしめるために、政府は人々の間に設けられたものであって、その正当なる権力は、被統治者の承諾から引き出されたものである。政府のいかなる形態も、これらの目的を破壊するにいたれば、人民にはいつでも、それを変更あるいは廃止する権利があり、また人民の安全と幸福とに最も効果的と思われる原則に基礎をおき、またそのように権力と形態とが組織されている新しい政府を設ける権利がある。………… 現大ブリテン王の歴史は、くりかえされた侵害と、簒奪の歴史であって、すべてこれらの州に絶対的な暴君政治をうち立てようとするのが、その直接の目的であった。このことを証明するために、事実を公平なる世界の前に提出せしめよ。…………
 故に、われわれアメリカ合衆国の代表は、一般会議に集合して、世界の最高法廷にたいして、われわれの考えの公正なことを訴え、これら連合植民地が自由かつ独立の国家であり、また当然あるべきこと、彼らが英国王にたいするすべての忠誠から解除されたこと、彼らと大ブリテン国とのすべての政治的結合関係が完全に解除されたこと、また当然さるべきであったこと、自由独立の国家として、彼らは宣戦講和、同盟締結、通商その他独立国家が当然なしうるすべての行動および事物にたいし完全な権利を有することを、これら諸州の善良なる人民の名前と権威によって厳かに公示し宣言するものである。しかしてこの宣言を支持するため、われわれは神の冥助に確固たる信頼をもって、われわれの生命、財産およびわれわれの神聖な名誉を賭して相共に誓うのである。
〈世界各国人権宣言集〉より

 アメリカの正義は、帝国支配からの独立を要求して、それを果たした。
 しかしそれは「人民」の解放であって、黒人奴隷はその「人民」に含まれていなかった。
 アメリカの独立戦争で、その事実を非難したイギリスにおいて、奴隷の解放が進んだ。

1807 年 イギリスで、帝国全体での奴隷貿易を違法と定めた奴隷貿易廃止法が成立した。
1833 年 イギリスで「奴隷制度廃止法」。
1850 年 アメリカで「逃亡奴隷取締法」。
1861 年 南北戦争勃発。
1865 年 南北戦争の終結。アメリカ議会は憲法に修正第 13 条(奴隷制の全廃)を制定した。
1870 年代 アメリカ南部の「リデムプション(復古)」で、白人優越主義者が組織化。
1896 年 アメリカの最高裁判所は、ルイジアナ州の鉄道列車での差別が合憲であると判決した。

 ハリエット・ビーチャー・ストウ(ストウ夫人)は、1851 年から『アンクル・トムの小屋』を奴隷制度廃止派の雑誌に連載し、1853 年それは単行本となって出版された。
 1870 年代になってから、ストウ夫人は白人優越主義を主張するようになったという。
 エイブラハム・リンカーンは「人民の人民による人民のための政治」というゲティスバーグの演説で有名だ。
 1863 年の南北戦争下に奴隷解放を宣言し、翌年大統領に再選されたが、南北戦争終結直後の 1865 年に暗殺された。
 1854 年、イリノイ州ペオリアでのリンカーンの演説が残されている。奴隷制廃止論者は黒人にたいしてどのような立場に立つべきかを述べたものだ。

「かれら黒人を自由にし、政治的・社会的にわれわれと同等にするのか。私の個人的な感じでは、それは許されることではない。私がそれを認めたとしても、周知のように、大多数の白人はそれに反対するだろう。こうした感情が、正義にかなった健全な判断かどうかは、どうでもいいこととは言わなくても、たいした問題ではない。一般の人びとの感情は、理にかなっていようといまいと、無視することはできないのである。となれば、われわれは、いずれにせよ、かれらを平等にすることはできない。」
〔ジョン・ホープ・フランクリン『人種と歴史』 (pp.57-58) 〕

 リンカーンにとっても「人民」というのは聖書を信じる「白人」のことだった。
 その当時の一般論としても、白人でない人間は、自由の国アメリカで平等に扱われるべきではなかったのだ。
 南北戦争後に、解放された黒人たちと、人種差別との戦いは、新しいアメリカの正義が世界から問われる継続された闘争だ。

 ところで南北戦争の直前には、アメリカはアジアの極東にも目を向けはじめ、日本に軍艦を派遣した。
 中国とは、すでに貿易が成立している。捕鯨船などの寄港地として日本の開国は求められたのだった。
 1846 年、アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドルが、浦賀に来航した。
 1853 年 6 月、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが、軍艦 4 隻とともに、浦賀沖に現れた。
 1854 年 1 月、ペリー提督は、今度は軍艦 7 隻とともに、ふたたび来航した。
 1858 年、日米修好通商条約締結。
 1868 年、江戸幕府崩壊、明治元年。


19 世紀:解放の神学 と アメリカ南北戦争
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2017年4月27日木曜日

進化する進化論と「戦略ゲーム」

 19 世紀に、ヒューエルが「サイエンティスト」という単語を発明しました。
 1834 年のこととされています。
 物理学が自然哲学から独立していく過程で、自然科学者の登場となります。文明開化後の日本でそれは「科学者」という言葉になりました。
 1859 年には、ダーウィンの進化論『種の起原』が発表されています。ダーウィン以前にも、さまざまな「進化論」があったようです。
 ダーウィンの進化論が衝撃的だったのは、その仮説が、神を必要としなかった点です。
 1865 年にはメンデルが遺伝の研究を発表しましたが、その発見はあまり注目されませんでした。それが〝再発見〟されたのは、1900 年とされています。その年に、波乱に満ちた 19 世紀が終わります。
―― 激動の 20 世紀は、1901 年から始まります。
 進化論は、20 世紀になって新しくできた「ゲーム理論」を味方につけて、さらなる進化を遂げようとしている感があります。
 ダーウィン以来、進化論も進化しなければ淘汰されてしまうのですよってに。
 その新しい理論が「進化ゲーム理論」です。
 進化ゲームにでてくる、ESS (Evolutionarily Stable Strategy) は、日本語で「進化的安定戦略」と翻訳されています。

MAYNARD SMITH, J. (1982) 
Evolution and the Theory of Games. Cambridge University Press.
メイナード=スミス, J. 『進化とゲーム理論』寺本英・梯正之訳(産業図書)

 上記資料が、その筆頭参考文献にあげられます。たとえば次のように紹介されています。

J・メイナード=スミスの力が必要であった。彼は、G・R・プライスと G・A・パーカーとの共同研究で、ゲームの理論とよばれる数学の一分野を利用した。…………
 メイナード=スミスが提唱している重要な概念は、進化的に安定な戦略 (evolutionarily stable strategy) とよばれるもので、もとをたどれば W・D・ハミルトンと R・H・マッカーサーの着想である。「戦略」というのは、あらかじめプログラムされている行動方針である。…………
〔リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』 (pp.113-114) 〕

 フォン・ノイマンが考案した「ゲーム理論」は、プレイヤーを、自分の勝利だけを目的とする完全に合理的な存在として始まりました。
 その想定は現実の問題ではなく数学の問題を解くために、設定されたのです。
 それが、経済学など現実の社会の問題にも適用できると、評判になりました。
 21 世紀にいたるも「ゲーム理論」は、進化を続け、コンピュータが人間に、将棋で勝つ時代が到来しています。
 人工知能が、人間のデザイン(設計)のもと、進化を開始したのです。


ESS : 進化的に安定な戦略
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/index.html

2017年4月25日火曜日

人間中心主義の進化論

 神から自由になること。
 これが、重大問題となる、らしい。
 自己判断の自由。その自由には大いなる責任が伴う。
 神に与えられた使命などはなく、存在の目的、そのすべての意味も、自分の自由にできることが、西欧の無神論の極限であるような気がする。
―― それが全部ではないだろうけれど。つまり権威と支配からの自由。

 その、理論的な根拠が、生命進化とその結果である人間としての自己存在であるらしい。
 よくわからないのだが。
 無神論になると自分が〈神〉とはいわずとも〈神の代わり〉になれるらしいのだ。

2017年4月22日土曜日

地球の温暖化と自然の多様性

 二酸化炭素というのが、地球の温暖化に最適な気体であることは、これまでのさまざまな研究によって、立証されているようです。
 するとにわかに、「地球の温暖化⇒地球の金星化」という線形の構図が短絡的に立ち現れてきたのでした。
 この因果関係は、かのホーキング博士の支持も得ているほどの人気ぶりだそうで、そのことは次の文章で知ることができました。

 二〇〇一年一一月に来日し、東大で講演した宇宙論のスターであるホーキング博士も、地球の温暖化問題に関連して発言し、新聞報道によれば、人類がこのまま二酸化炭素の排出を続ければ、金星のようになる、と警告したそうだ。しかし、人類の二酸化炭素放出によって地球が金星化することはない。地球はシステムとして地球温暖化に応答し、その地表温度を下げるからである。
〔松井孝典『地球システムの崩壊』「太陽系の現在:二酸化炭素の温室効果について」より〕

 一般常識的な前提として。地球から海がなくなるためには、現在の 1 気圧の条件下で、摂氏 100 度を超える環境に覆われ続ける必要があると思われます。
―― いまのところの環境ではそうはならず。暖かいのは二酸化炭素が原因であるとするなら。
「地球はシステムとして地球温暖化に応答し、その地表温度を下げるからである。」とされた理由は。
 地球の表面が暖かくなって、海面から大量に蒸発した水蒸気は、その後、大量の雨となって降り注ぎ、その際に、大気中の二酸化炭素を除去するので、結果として、地表の温度は下がっていく、ということのようです。
 これは地球に海があるからこそ可能な、生命維持のシステムとなっています。
 ここで、2010 年に刊行された書籍から、引用させていただきますと。

2007 年に気候変動に関する政府間パネル (IPCC) がアル・ゴア元米副大統領とともにノーベル平和賞を受賞したことで、地球温暖化を科学的に裏づける組織の重要性が理解されるようになった。
〔吉田正人「生物多様性の現状」『改訂 生態学からみた野生生物の保護と法律』所収 (p.1) 〕

―― この直後のことになりますが。
 2011 年の東日本大震災以降、原子力発電所の評判は悪くなりました。
 電力事情だけでなく、日本の論者のあいだで、それに伴って具合が悪くなったのは、二酸化炭素排出の抑制論なのでした。
 そもそも、人類による二酸化炭素乱造が地球温暖化を招くというのは、原子力発電所の推進派にとっては、好都合な話でした。それが、原子力発電所の安全神話崩壊と同時に、火力発電所が必要となってしまったのです。
 日本では、このような事情も絡んでいました。
 ところが、世界では、それ以前に問題が勃発していたのです。

 2009 年に〝クライメートゲート事件〟が発生して、二酸化炭素による温暖化論の元締めであるところの組織、国連のノーベル平和賞受賞者「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC = Intergovernmental Panel on Climate Change) に対しての信頼性が相当に失われたようなのです。この事件は、「二酸化炭素による温暖化論」に不都合な真実を覆い隠すために、データを捏造(ねつぞう)したとされているものです。
 少なくとも、データを改変するというのは、都合の悪いところがなければ、当事者の発想にすら出てこないでしょう。
 この事件の問題点は、科学者への信頼感に関わることなのですが。
 不都合な真実というのは、『不都合な真実』の著者アル・ゴア元米副大統領の側にも、あったでしょうか。

日本では無報道に近いが、年が明けた二〇一〇年二月には、一〇〇年ぶりという記録的な大雪に見舞われて震え上がるワシントンの議事堂前にエスキモーの雪の家が作られ、「アル・ゴアの新居」と書いた看板が立てられた。
〔広瀬隆『二酸化炭素温暖化説の崩壊』 (pp.25-26) 〕

 日本のメディアへの信頼感も、揺らぐような事態であります。
 〝クライメートゲート事件〟が日本では大きく報道されなかったのにも、それなりの理由とか因果律があるのでしょうから。
 これらを線形理論だけで解決できるとは、もはや誰もいえないでしょう。
 人間の構築した「因果関係」とは、結局のところ、主観に基づいて「自分に都合よく解釈された合理的な枠組み」以上の価値をもち得ないのでしょうか。

地球の自然と生命の多様性は、複雑なネットワーク構造になっていて、
「人間に都合よく解釈された合理的な枠組み」から、容易にはみ出ていくことでしょう。

 ひとによる自然の操作は、有名な話ですが、農耕にはじまりました。
 そのように、自然を操作する方法の発見は、自然を管理したり支配したりできることと、同じではありません。
 現在でも、日照不足などの少しの天候不順が、農作物の収穫に多大な影響を与えています。
―― あと、少しでいいから、日が照ってくれたらいいのに……と。願いは尽きず。

それでも、人間は地球を管理する能力があって、それが可能なのだと思い込みたいのだし、
神のごとき人々は、いずれは「人類保護計画」にも乗り出していくのかもしれません。


チューリング・パターン:自然という複雑系
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