2018年7月23日月曜日

天神社 と 斎宮山

奈良県の桜井市観光協会公式ホームページに、
 小夫の村の斎宮山のふもとに南面して天神社が鎮座しています。創建された年代は明らかではありませんが、天神社の名の通り太陽信仰に関係した社で、天照大神を主神とする元伊勢の伝承地のひとつです。天児屋根命、品陀別命、菅原道真と合わせ天武帝の皇女、大来皇女を祀っています。大来皇女が天武二年に斎王として伊勢に赴く途中、ここで約一年半、潔斎のためこの地に滞在していたとされています良県桜井市小夫 天神社 斎宮山
と、紹介されている。

 この社(やしろ)は、有名な〈箸墓古墳〉から見て、ちょうど〝夏至の朝日〟が昇る、東北東 29.3 度のラインに所在する。
 北緯 34 度の夏至の日の出は、29.3 度なのである。偶然だろうか。それともいましがた計算を行なった自前の計算式に、都合のいいエラーでもあったのか。
 この角度についての話題は、小川光三氏の『大和の原像』で、図 ㉑「三角形を示す祭祀遺跡跡と三輪山をかこむ三ヶ所の斎場」(p. 120) の説明のなかで、箸墓古墳を西の頂点として形成される直角三角形として語られている。
 それを読んで、本当だろうかと、デジタルな地図上に、線を引いてみた。
 図示されているなかに、〈箸墓古墳〉の真東に〈天神山〉があることが描かれている。

  • 〈箸墓古墳〉の北緯は、34.53929 度である。
  • 〈天神山〉の北緯は、34.53917 度である。

 その北緯の差を長さに換算すると、約 13.3 メートルということになった。
 東西方向の距離は、約 6.7 キロメートルなので、これはまず真西といっていいだろう。

 山はそうそう動かせないので、〈箸墓古墳〉を、〈天神山〉を基準に築造したのだろう。
 そしてさらに、直角三角形を描くように、斎宮山のふもとに〈天神社〉を建立した。

 そう考えたとき、これが偶然でなければ、三輪山を東の頂点とする正三角形があるように、こちらも正三角形が描けるのではないかと、自然に思ったのである。
 自分としてはかなり厳密な計算に基づいて、座標間の角度などを算出しているつもりだ。
 もともとのデータとしている、緯度・経度がどの程度厳密な値なのかは、知らない。
 しかしながら、算出された角度の誤差は、1 度未満であろうと、予想している。
 遠くの山から昇る日の出の角度に、1 度程度のずれがあっても、あまり気にならないだろう。
 ちなみに、北緯 34 度の冬至の日の出は、東南東に 28.0 度である。そういうわけで、東経のラインはそのままに、北緯をそのあたりまでさげて、神社を地図上に探すと、〈威徳天神社〉という名の神社が見つかった。
 そうなのだよ。〈箸墓古墳〉から東南東に 29.57 度の角度に位置していたのだ。

 2009 年 5 月 29 日、〈箸墓古墳〉の築造年代について、国立歴史民俗博物館が発表した内容が報道された。
 放射性炭素年代測定による調査結果で、それによれば西暦 240~260 年となっている。
 それは、かの有名な〝魏志倭人伝〟に記録された〝卑弥呼〟の年代と非常によく合致する。
 日本書紀の「神功皇后紀」には、西暦 266 年の、中国の文献が引用されている。
 また『晋書』の泰始二年 (266) には、こうある。

十一月己卯、倭人來獻方物。并圜丘、方丘於南、北郊、二至之祀合於二郊。

 倭人がやってきた 11 月に、円丘と方丘の、つまりは夏至と冬至の二至のまつりを、南郊・北郊の二郊で併せて行った、ということのようだ。
 〈箸墓古墳〉は、〝前方後円墳〟なのである。それは墓というよりも、祭祀遺跡なのであろうとも、いわれている。


Google サイト で、本日、地図と引用文献を追加した内容のものを公開しました。

夏至と冬至:天神への祭祀
https://sites.google.com/view/geshi-lines/hijiri/tenjin

バックアップ・ページでは、さらに詳しく引用文献の情報など、書いてあります。

夏至と冬至:天神への祭祀 バックアップ・ページ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/hijiri/tenjin.html

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