2018年1月8日月曜日

闇と光が交わる場所に 生命が創発する

 昆虫社会に創発した〈超個体〉は、ひとつひとつの個体を職能でしか区別しない。
 するとそれをそのまま、人間社会に当てはめて考えるには、いささか無理がでる。
 人間の社会の相互作用は、個体の識別が前提となっている。

 人間には感情がある。
 感情は数値化できないうえに、合理的ではないから、ないことにしよう。
 などといって、構築された完全な理論では、そもそも前提が間違っていることになる。
 理論は完璧かもしれない。けれど、それを採用した現実は崩壊するのだ。

 中央統制的な理論は、プラトン以来の伝統だが、理想の組織もやがては腐敗するだろう。
 社会性昆虫のコロニーに限らずとも、集団や社会のネットワークの秩序は混沌の中から立ち現れるともいう。
 集団や社会には、区分としての境界がある。
 集団の内部が、外部と接触する領域を、周縁という。
 そこが新しいシステムの、創発の現場となる。

 その仕組みを〈カオス〉の理論にヒントを得て考察した試みがある。
 大澤真幸「社会システムの基底としての「カオス」は、
『現代思想』〔青土社、1994 年 5 月号〕に掲載された。
―― それは単行本、大澤真幸社会システムの生成』の、
第Ⅰ部 社会システムの基礎理論 「第 4 章」 に、収録されている。

外部は、出来事(コミュニケーション)が、システムの内部の要素に対しては当然に期待することが可能であるような形式を必ずしも持たない領域として、表象される。つまり、それは、過剰な複雑性を担った「システム環境」の空間的な投影なのである。「まれびと」のような外来する身体を利用するということは、規範的に正価値を帯びた秩序をもたらすために、わざわざ規範的な負価値を担う要素に訴求すること、つまり秩序をもたらすために、あえて秩序の反対物と連合している要素に訴求することを意味するだろう。言ってみれば、複雑性を縮減するために、敢えて過剰な複雑性を導入しているのである。
〔『社会システムの生成』2015年 弘文堂 (pp.182-183)

 そこでは、〈両義性〉という語がキーワードとなる。
 現場に投入された、契機となる〈力(パワー)〉そのものは、善でも悪でもない。
 たとえば、ヒーローは多くの場合、モンスターでもある。
 ハリウッド映画では、暗黒面に取り込まれまいとするヒーローが活躍をする。
 日本でも、初代仮面ライダーは、世界征服をたくらむ悪の組織ショッカーの改造人間であった。
 どうやら日本では、悪の出自をもつヒーローが好まれるようだ。スサノヲ的といえようか。
 極め付きというべきか、悪魔と戦うためには最強の悪魔の能力を手に入れなければ勝てない、デビルマンの物語がある。

 こぎれいなだけの秩序では、混沌に手をこまねくのだろう。
 あの世は、〈両義性〉とともに、到来する。
 そうして、混沌と秩序、闇と光が交わる場所に、生命が創発する。
 その周縁を〈カオスの縁〉というらしい。


超個体・群体・群知能
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/systems/colony.html

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