2018年1月24日水曜日

経済学における 適応と絶滅

 M・ミッチェル・ワールドロップ/著複雑系(“COMPLEXITY” 1992) を通読した。
―― 第一章に出てくるキーワードは、〈収穫逓増〉もしくは〈ロック・イン〉だ。

新古典派の理論によれば、自由市場というものはつねに最高の、そしてもっとも効率的な技術をふるいにかけている、ということになる。たしかに市場にはそういう側面もある。が、それなら標準的な QWERTY(クワーティ)キーボードの配列、実質的に西洋圏のすべてのタイプライターとコンピュータ・キーボードに使われているこの配列を、いったいどう解釈したらいいのか? ( QWERTY なる名称は上段の列に配置されている左寄りの六つの文字を並べたものからきている)。はたしてこれがタイプライターのキーを配列するもっとも効率的な方法だろうか? けっしてそんなことはない。クリストファー・スコールズという技師が、一八七三年、タイピストの手を遅くするために、この QWERTY 配列を考案したのだ。当時のタイプライターは、タイピストがあまり速く打つと動かなくなったからだ。だがその後、レミントン・ソーイング・マシン・カンパニーがこの QWERTY 配列のキーボードを大量生産した。それで多くのタイピストがそのシステムを学び、それで他のタイプライター会社も QWERTY キーボードをつくりはじめ、それでさらに多くのタイピストがそれを学び……というようになっていった。もてる者はさらに与えられる、すなわち収穫逓増。そうアーサーは考えた。そして QWERTY は何百万の人々に使われている標準だから、実質的に永久に〈ロック・イン〉(固定)されている。
〔『複雑系』田中三彦・遠山峻征/訳 1996年 新潮社 (pp.40-41)


 よくある話だ、最初のわずかな差が拡大してどうにもならない格差へとつながっていく。
―― この経済学的概念が別のいい方で〝マタイ効果〟ともいわれるのは、聖書の語句に由来する。

おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、
持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
〔口語訳『聖書』「マタイによる福音書」第 13 章 12 節〕


 収穫逓増はまた〈ポジティブ・フィードバック〉とも表現されている。
 ポジティブ・フィードバックといえば、進化論では〈ランナウェイ・プロセス〉の説明に出てきたものだ。
 そういえば『複雑系』で、経済発展が技術的な進化になぞらえて語られていた個所があった。
―― スチュアート・カウフマンとブライアン・アーサーの対話として記述されている。

カウフマンはというと、アーサーの収穫逓増という概念に興味を覚えると同時に、困惑もしていた。「それが新しいということがなかなか理解できなかったよ」と、彼はいう。「なにしろ生物学者は、何年間もポジティブ・フィードバックというものを扱ってきているからね」。新古典派の世界観がいかに静的で変化のないものかを彼が理解するまでに、かなりの時間が必要だった。
…………
 経済の歴史を眺めれば、経済理論とは反対に、技術は少しも商品のようではないことがわかると、彼〔アーサー〕はカウフマンにいった。
…………
 さらにこの技術の網の中では、生物学的エコシステム同様、進化的創造と大量絶滅という出来事が起こり得る。たとえば自動車のような新技術が登場し、馬という古い技術に取って代わると、馬とともに鍛冶屋が、ポニー速達便が、水飲み場が、納屋が、そして馬の手入れをする人間が、消えていく。馬に依存していた技術のサブ・ネットワーク全体が、突然崩壊する。あのエコノミスト、ヨゼフ・シュンペーターがいった「破壊の嵐」である。しかしその車とともに、舗装道路やガソリンスタンドが、そしてファーストフード・レストラン、モーテル、交通裁判所、交通警官、交通信号などが登場する。物やサービスの新しいネットワークが成長を開始し、先に登場した物やサービスが切り開いたニッチを、新しいものが埋めていく。
 このプロセスこそ自分のいう収穫逓増の典型例だ、とアーサーはいった。新しい技術がはじまり、ひとたび他の商品やサービスのためのニッチが開かれると、そのニッチを埋める人間がその新技術を成長・繁栄させようとする。このプロセスこそ、ロック・インという現象の背後にある主たる駆動力だ。特定の技術へのニッチの依存度合いが大きければ大きいほど、その技術を変えることは難しくなる ―― それよりずっと優れたものが到来するまでは。
〔『複雑系』 (p.152, pp.153-154)


 そうなるともう、こういう〝複雑さ〟の観点において、生命と経済の理論に共通性が見えてくるわけだ。
 この対話の舞台でもある、サンタフェ研究所の設立を発案し、初代所長になった人物は、もとロス・アラモス研究所の研究部長だった、ジョージ・コーワンだ。
―― そういう専門家による考察が、〝複雑系〟の創発につながった。

 しかし生物学もコンピュータ・シミュレーションも非線形の科学もそれぞれバラバラに興味をもたれていたから、まだようやく緒についたにすぎない、とコーワンは思っていた。それは本能的感覚からだった。彼はここに根源的統合があるはずだと感じた。究極的には、物理学と化学だけではなく、生物学、情報処理、経済学、政治科学、そして人間世界の諸事すべてを包含するような統合である。彼が頭に描いたのは、ほとんど中世的ともいえる学識の概念だった。もしこの統合が本物なら、それは生物科学と物質科学をほとんど分け隔てない ―― 科学、歴史、哲学を分け隔てない ―― 知の手法になるだろうと、彼は思った。昔は「知の織物には継ぎ目がなかった」と、コーワンはいう。そしてもしかすると、ふたたびそんなふうになれるかもしれなかった。
〔『複雑系』 (p.83)


 こういうようないきさつからなんとなく理解できるのは、〝複雑性〟の解明には、衆知を集める必要がありそうだ、ということだ。
 学際的な科学者のネットワークが必要になるのだ。
 どうやら、それが「複雑系の科学」の根本にある理念らしい。
 そして〈複雑系〉の概念そのものが、混沌としていることもまた、周知の事実らしい。


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