メシアには「油そそがれた者」というもともとの意味がありますが、メシアにそそがれるその油は、オリーブオイルなのですね。その、オリーブの木の枝と油そのものに、ヨシュアはなぞらえられているわけです。
そこではヨシュアと、もうひとりゼルバベルという人物が、両者ともに、メシアの候補となっているようです。
ちなみに、ゼルバベルというのは、「バビロンの裔(バビロン生まれ)」という意味らしいです。
その、ヨシュアの罪を訴える検察側の「告発者」が〈サタン〉であり、それは「検察側の証人」のような役割りを果たしています。その役職名が、人格的存在に対する名称となって用いられている、最初の例が、この「ゼカリヤ書」ということのようです。
成立の年代は「ヨブ記」とほぼ同時期ですが、「ゼカリヤ書」のほうが少しだけはやいようなのですね。
そもそもは、「妨げるもの(道をさえぎるもの)」という意味で登場したサタンですが(「民数記」 22 章 22 節)、それが「敵対者」という意味でもっぱら使われるようになり(「サムエル記下」 19 章 22 (23) 節など)、その後、人格的存在となってからは、人類を告発する者として、また《神》の使い、すなわち天使として、そしてダビデを誘惑する者として、旧約聖書には、三度、その名を刻んでいます。しかし旧約聖書では〈サタン〉はついに、《神》の古くからの「敵対者たち」とは、合体することはありません。
その意味で、〈敵対者〉という固有名詞としての観点からは、この時点では未だ〈サタン〉は発展途上にあるといえるでしょう。
ダビデを誘惑するという、最後の例(「歴代誌上(歴代志上)」 21 章 1 節)では、もともとは〈サタン〉ではなく《神》によるものとされていた伝承(「サムエル記下」 24 章 1 節)が、ダビデを動かしたのは敵対者〈サタン〉なのだと、そう置き換えられてしまったといういきさつがあります。
信仰の深い(?)新しい記録者によって、それが真実であると、書き換えられたのです。
そしてその聖書における信仰の最初は、「契約」にほかなりません。
力ある、真実の《神》を畏怖し――おそれ――従うがゆえに、《神》はその信仰者を保護してくれるという、古来からの契約に基づいたものなのです。その古くからの――そう、旧くからの――契約を記した書が、『旧約聖書』というわけです。
敵対者〈サタン〉が人格的存在と化して、《神》は「正義」の神へと、こちらも変貌を遂げていきます。
ようするに悪いことは全部悪魔のせい、というのは、《神》は「すべての神」から「善なる神」に矮小化されてしまったからなのでしょうか。
the Joshua Tree
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