つまりここから、敵対者 〈サタン〉 は、ついに「古き竜」と同一視される道を辿る というか、合体していくことになるわけです。
また、イエスの活動以降は聖書の闘争神話に新たなる局面が加わったようで、それは、異教の神との闘争のみならず、キリスト教内部での「正統」と「異端」の論争にまで発展していきます。
そこまでを、ひと区切りとして、漠然としてはいますが感想めいたものをひとつの問いかけとして記しましたので、次にコピペします。
――
なんだか、〈Lucifer〉 というキーワードで、思考停止に陥っているような気がしないでもない。
つまり、「いうまでもなく」というのは、日本語にもよくある思考停止のキーワードなのだが、海外でも同様に、「みなさんよくご存じの」〈ルシファー〉という次第であるような気がするのだ。
そして、もしかすると、その延長上に、「正統」と「異端」の論争があるのではなかろうか。
無論――「いうまでもなく」、「正統」とは自説のことであり、「異端」とは自説に対立する他の諸説のことであって、最終的に勝者が「正統性」を勝ち取りその他は「異端」として世間から排斥されることになる。
学者・研究者であれば、自説の正統性などではなく、何が正しいのか、を論証すべきであろうことは誰しも認めることに違いないのだ。
ところが、結局は、自己の正当性のみをふりかざして、それが「唯一の真理」であると主張して、歴史は、そのように繰り返されてきた。
すなわち西欧の多くには、「唯一の神」が論拠の大前提としてあるのだから、そこに「唯一の真理」がなければならないのだろう。
ところが旧約聖書には複数の可能性が記述されていることは、すでに見てきたとおりだ。そのことは、新約聖書でも、同様なのである。
彼らの『聖書』のもとに選択肢はひとつではないことが、そこに示唆されているのだ。
――
さて……。
この数か月間、『聖書』に関して日本人には不案内であろう〔と推測される〕ことがらを、列挙し、原典やら学説やらを調べつつ書き連ねてきたのではあります、が……。
ここに至り、どうやら「本当のこと」は西欧の(少なくともアメリカの)キリスト教徒でも、ほとんどの大衆は知らないようだと、そういうことが書いてある書籍に遭遇してしまいました。
それを読めば、まるで、本当のことを伝えれば、信徒たちの信仰が揺らぎかねないような、教会の態度ではありませぬか。
この世の王とは、やはり教会のことなのですか?
正統と異端 ―― イエス以後・新しい闘争の時代
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/Messias/newCombat.html
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