2018年6月27日水曜日

石上神宮の伝承

斬蛇剣の行方についての 異なる物語の記録をみていこう。


 ○ ここで参照する文献としてまず『式内社調査報告』を使用する。

石上布都御魂(イソノカミフツノミタマノ)神社
 (p. 331)
【由緒】 創立年代を詳らかにすることはできないが、日本書紀に「其素盞嗚尊断蛇之剣今在吉備神部許也」と、また「其断蛇之剣号曰蛇麁正此今在石上也」と記されており、種々の論考がなされているが、実証性に乏しい。…………
 (p. 333)
【所在】 現在の鎮座地は、赤磐郡吉井町石上字風呂谷一、四四八番地(旧赤坂郡石上村)である。…………
〔『式内社調査報告』第二十二巻 山陽道(人見彰彦)〕

石上坐布都御魂(イソノカミニマスフツノミタマノ)神社
 (p. 982)
【由緒】 社伝を正史と対照して略述すれば、主神布都御魂神は、建甕槌神が中洲平定の際に帯びていた平国之剣で、神武天皇の中洲平定に際して、熊野高倉下を介して天皇に奉って熊野平定の功をいたした(紀記に同じ)。天皇は即位後、物部連の遠祖宇麻志麻治命の忠節を褒めて、その神剣を授けた。宇麻志麻治命は、その父饒速日尊が天降の際に天神御祖から賜った天璽瑞宝十種を天皇に献り、亦神盾をたてて斎き祀った(旧事本紀)。その神気を称えて布留御魂神と云う(社伝)。この両神は以後宮中に奉斎されていたが、崇神天皇七年十二月、物部連の祖伊香色雄命が勅を奉じて石上邑に移し祭った(社伝)。次いで垂仁天皇三十九年に、五十瓊敷命が茅渟の菟砥川上宮にて剣一千口を作って石上神宮に蔵めた。後五十瓊敷命に命じて神宝を司らしめた(一説では、忍坂邑に蔵め、後石上神宮に移した。是の時神の乞によって、春日臣族の名は市河をして管掌せしめた。是が物部首の始祖である。)(以上書紀)。…………
 また、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬った十握剣は、その神気を称えて布都斯御魂神と號し、吉備神部の許に奉齋されていた(書紀神代巻神剣奉天段第三・一書。第二・一書では石上にありと記す)が、仁徳天皇五十六年十月、物部首市川臣が勅を奉じて、石上振神宮高庭之地に奉遷して、地底石窟の内、布都御魂横刀の左座 東方 に加え蔵め、其上に霊畤を設けて并祭した(姓氏録に加上)。
 (p. 984)
【所在】 天理市布留町布留山(丹波市町大字布留)。和名抄の山邊郡石上鄕。…………
〔『式内社調査報告』第三卷 京・畿内 3(石崎正雄)〕


 ―― 以上に引用した記述内容のなかで、注目すべきことに、スサノヲが八岐大蛇を斬った剣については「仁徳天皇五十六年十月、物部首市川臣が勅を奉じて、石上振神宮高庭之地に奉遷して、地底石窟の内、布都御魂横刀の左座 東方 に加え蔵め、其上に霊畤を設けて并祭した(姓氏録に加上)」と説明されている。
 次の資料から『新撰姓氏録』の該当箇所を引用する、と。

『物部氏の研究 【第二版】』〔篠川賢/著 平成27年09月10日 第二版 雄山閣/発行〕
 第二章 物部氏の祖先伝承
 (p. 126)
布留宿禰
柿本朝臣同祖。天足彦国押人命七世孫米餅搗大使主命之後也。男木事命。男市川臣。大鷦鷯天皇御世、達倭賀布都努斯神社於石上御布瑠村高庭之地、以市川臣為神主。四世孫額田臣。武蔵臣。斉明天皇御世、宗我蝦夷大臣、号武蔵臣物部首并神主首。因茲失臣姓為物部首。男正五位上日向、天武天皇御世、依社地名改布瑠宿禰姓。日向三世孫邑智等也。

 引用文中に「男木事命」とある「事」の文字は、原文では異なる文字が使われているが「事」で代用した。
 また、「大鷦鷯天皇」とは仁徳天皇のことであるけれども、ここには「仁徳天皇五十六年十月」というような具体的な年号の記述はない。―― 先に参照した『三種の神器』〔参考資料〕の記述では、「石上神宮の文献にはより具体的に、仁徳天皇の五十六年に市川臣が備前国の石上社から剣を遷して祀った」と、説明されていた。

 ○ 次に『神道大系』から石上神宮の社伝を参照する。
(佐伯秀夫による「解題」では、社伝「石上振神宮二座」の「成立は元禄六年(一六九三)十一月を下らないと思われる。」とされている。)

  石上振神宮二座
 (p. 45)
石上振神宮二座(イソノカミフルノカミツミヤフタハシラ)〔在大和國山邊郡石上布璢村、〕
 第一 建布都大神
 第二 布璢御魂神
  加祭之神一座
 第三 布都斯魂神

 (pp. 47-49)
素戔嗚尊斬蛇之十握剣剣、名曰天羽々斬、亦曰蛇之麁正、称其神気曰布都斯魂神、
旧事本紀曰、素戔嗚尊断蛇之剣、今在吉備神部許也、…………
新撰姓氏録曰、大鷦鷯謚仁德天皇御世、達倭賀布都斯魂神社於石上御布瑠高庭之地、以市川臣為神主、

天羽羽斬、自神代之昔至于難波高津宮御宇天皇〔謚曰仁徳為人皇十七代、〕五十六年、在吉備神部許〔今備前国石上社之地是也、〕焉、五十六年孟冬己丑朔己酉、物部首市川臣、〔布留連祖、〕奉勅、遷加布都斯魂神社於石上振神宮高庭之地、
高庭之地底石窟之内、以天羽羽斬加蔵于布都御魂横刀左座、〔為東方、〕是布都御魂横刀為中央之故、当其神器之上設霊畤、拝祭布都斯魂神、為加祭之神、
或説曰、中央座建布都大神為第一也、左座布都斯魂神為第二也、右座布瑠御魂神為第三、非是、布都御魂与布都斯魂、両剣長竝十握也、布都者断物之古語矣、御与斯〔或作之同音、〕是以別之而已、
右両剣者本連枝而[アニヲトヽニテ]、稜威雄走神之分身[ミコ]、是故竝祭于石上振高庭之地、
〔『神道大系』神社編十二 大神・石上 「石上」〕


 先の「新撰姓氏録」の内容は、簡便に「仁徳天皇の時代に市川臣が、布都努斯神社を石上布瑠村の高庭の地に賀(遷)した」という内容であったが、この社伝によれば、さらに詳しく「仁徳天皇の五十六年までは、〔備前国の石上社の地である〕吉備の神部のもとにあった天羽羽斬の剣は、五十六年孟冬(太陰暦十月)に、〔布留連祖である〕物部首市川臣が、石上振神宮(イソノカミフルノカミツミヤ)高庭の地に布都斯魂神社として遷し加えた」という、内容を読み取ることができる。

 これらをあらためて『式内社調査報告 3 』の記述に即してまとめると、
スサノヲの斬蛇剣は「布都斯御魂神として吉備神部のもとにあったのだけれども、仁徳天皇の五十六年十月、物部首市川臣が勅を奉じて、石上振神宮高庭の地に遷して、地底石窟の内、布都御魂横刀の左座(東方)に加え蔵められた」と、いうこととなる。

 このほかに、社伝には「フツノミタマは、タケミカヅチの神が国を平定したトツカノツルギのことで、その神気をたたえて建布都大神というのである」というような内容のことが書かれている。

 ○ 国家平定の霊剣フツノミタマについては、古事記と日本書紀のいずれにも記述があって『大系本 日本書紀 上』から引用すると、次の通り。

『大系本 日本書紀 上』「神武天皇 即位前紀戊午年六月」
 (pp. 194-195)
[原文] 時武甕雷神、登謂高倉曰、予剣号曰韴靈。〔韴靈、此云赴屠能瀰哆磨。〕 今當置汝庫裏。宜取而献之天孫。
[訓み下し文] 時に武甕雷神、登ち高倉に謂りて曰はく、「予が剣、号を韴靈と曰ふ。〔韴霊、此をば赴屠能瀰哆磨と云ふ。〕 今當に汝が庫の裏に置かむ。取りて天孫に献れ」とのたまふ。
(ふりがな文) (ときにたけみかづちのかみ、すなはちたかくらじにかたりてのたまはく、「やつこがつるぎ、なをふつのみたまといふ。〔ふつのみたま、これをばふつのみたまといふ。〕 いままさにいましがくらのうちにおかむ。とりてあめみまにたてまつれ」とのたまふ。)
 (pp. 195-196)
韴霊(頭注)  記の分注には「此刀名云佐士布都神、亦名云甕布都神、亦名云布都御魂、此刀者、坐石上神宮也」とある。旧事紀、天孫本紀では、宇摩志麻治命が長髄彦を殺して帰順したことを天皇が嘉して「特加?寵授以神剣、参其大勲。凡厥神剣?霊剣刀、亦名布都主神魂刀、亦云佐士布都、亦云建布都、亦云豊布都神是矣」とある。

 ここに記述されているのは「神剣投下」に際して、タケミカヅチの語った言葉である。この直前に、アマテラスとタケミカヅチの会話がある。
 それが、2018年4月10日火曜日のブログ「布璢御魂(フルノミタマ)」でも紹介した場面で、抜き書きすれば次の個所となる。

 神武天皇が熊野で苦戦しているようすを見て、アマテラスが、タケミカヅチに、
「汝更往きて征て(いましまたゆきてうて)」と要請するのだけれども、
タケミカヅチは、自分が行くまでもなく「予が国を平けし剣を下さば、国自づからに平けなむ」といって、〈フツノミタマ〉を投下するのだ。こうして〈フツノミタマ〉は国家平定の宝剣として、記録に名を留めた。

 こういうことからも、日本書紀で出雲の国譲りの際に、タケミカヅチとともに使者となったフツヌシは、〈フツノミタマ〉の神格化であろうと推測される。

 フツヌシ、タケミカヅチの両者ともに、イザナミの死に際して、カグツチを斬ったイザナキの「剣の刃よりしたたる血」から生まれた神なのである。
 葦原中国の平定に送り出された神々は、破壊のうねりのなかで、それを活力として誕生した。
 そして古来、霊剣〈フツノミタマ〉は宝剣として、新しい活力を得るための、生命力再生の祭り〈鎮魂(オホミタマフリ)〉の祭祀に用いられているという。

―― という具合だが。
 創造的破壊とは、しばしばいわれる言葉だけれど、新しい基軸を創造する〈創発〉のためには、相当な活力が必要とされるだろうことは想像に難くない。
―― イノベーション (innovation) は、シュンペーターが「新機軸・刷新・革新」の意味で使った語だ。いにしえにはイノベーションを達成するために、祭政一致の方策が用いられた。それもかなり荒っぽい方法で。


Google サイト で、本日、引用文献の情報を含むもう少し詳しいバージョンを公開しました。

The End of Takechan : 布都御魂
https://sites.google.com/view/theendoftakechan/worochi/futsu-no-mitama

2018年6月25日月曜日

天蠅斫之剣

〈天蠅斫之劒(アマノハハキリノツルギ)〉 とも称される、
スサノヲの 斬蛇剣にまつわる名称を あらためて原典で確認する。


 ○ 今回、原典として使用する文献は次のとおり。

 「古事記」〔日本古典文学大系 1『古事記 祝詞』(以下『大系本 古事記』と表記)〕
 「日本書紀」〔日本古典文学大系 67『日本書紀 上』(以下『大系本 日本書紀 上』と表記)〕
  ― 同 上 ― 〔日本古典文学大系 68『日本書紀 下』(以下『大系本 日本書紀 下』と表記)〕
 「古語拾遺」〔岩波文庫『古語拾遺』(以下『岩波文庫 古語拾遺』と表記)〕

 『大系本 古事記』「天照大神と須佐之男命 6 須佐之男命の大蛇退治」(pp. 86-87)
[原文] 十拳劒
[訓み下し文] 十拳劒(とつかつるぎ)

 『大系本 日本書紀 上』「神代上 第八段〔本文〕」(pp. 122-123)
[原文] 十握劒
[訓み下し文] 十握劒(とつかのつるぎ)

    同上   「神代上 第八段一書〔第二〕」(p. 125)
[原文] 其斷蛇劒、號曰蛇之麁正。此今在石上也。
[訓み下し文] 其の蛇[をろち]を斷[き]りし劒をば、號けて蛇の麁正(をろちのあらまさ)と曰[い]ふ。此[こ]は今石上[いそのかみのみや]に在[ま]す。

    同上   「神代上 第八段一書〔第三〕」(pp. 126-127)
[原文] 素戔嗚尊、乃以蛇韓鋤之劒、斬頭斬腹。~~。其素戔嗚尊、斷蛇之劒、今在吉備神部許也。出雲簸之川上山是也。
[訓み下し文] 素戔嗚尊、乃[すなは]ち蛇の韓鋤の劒(をろちのからさひのつるぎ)を以[も]て、頭を斬[き]り腹を斬る。~~。其の素戔嗚尊の、蛇を斷[き]りたまへる劒は、今吉備[きび]の神部[かむとものを]の許[ところ]に在り。出雲[いづも]の簸[ひ]の川上[かはかみ]の山是[これ]なり。

    同上   「神代上 第八段一書〔第四〕」(同頁)
[原文] 天蠅斫之劒
[訓み下し文] 天蠅斫之劒(あまのははきりのつるぎ)

 『岩波文庫 古語拾遺』「素神の霊剣献上」(pp. 125-126, pp. 23-24)
[原文]  素戔嗚神、自天而降到於出雲国簸之川上。以天十握釼〔其名天羽々斬。今、在石上神宮。古語、大虵謂之羽々。言斬虵也。〕斬八岐大虵。
[訓読文]  素戔嗚神、天[あめ]より出雲国の簸[ひ]の川上[かはかみ]に降到[くだ]ります。天十握剣[あめのとつかつるぎ]〔其の名は天羽々斬(あめのははきり)といふ。今、石上神宮[いそのかみのかみのみや]に在り。古語に、大蛇[をろち]を羽々[はは]と謂ふ。言ふこころは蛇を斬るなり。〕を以て、八岐大蛇[やまたのをろち]を斬りたまふ。

『岩波文庫 古語拾遺』 解 説  (p. 159)
 古語拾遺は、平城天皇の朝儀についての召問に対し、祭祀関係氏族の斎部広成が忌部氏の歴史と職掌から、その変遷の現状を憤懣として捉え、その根源を闡明しその由縁を探索し、それを「古語の遺[も]りたるを拾ふ」と題し、大同二年(八〇七)二月十三日に撰上した書である。

 これらの記述で問題とされるのは、スサノヲの斬蛇剣の行方だった。
 日本書紀の文中にある「石上」というのは「大和の石上神宮」であるのか、それとも「吉備の神部(備前国の石上布都之魂神社)」であるのか、ということなのだ。

 先に参照した『三種の神器』〔参考資料〕の記述には、

『三種の神器』 (pp. 122-123)
 また後に蛇の麁正は「石上に在す」、蛇韓鋤の剣は「吉備の神部の許に在り」、天羽々斬は「石上神宮に在り」といった相違も見られる。これらの所在地については、備前国に石上布都之魂[いそのかみふつのみたま]神社があるので、石上または石上神宮というのは大和国のそれではなく、備前国の石上布都之魂神社を指しているのだという意見もある。しかし大和国の石上神宮は古代にあって神宮の号が付される数少ない神社であることから、石上神宮と表記されていればやはり大和国の石上神宮のことで、備前国の石上布都之魂神社とは別だろうと思われる。

とあるけれども、古語拾遺に記された「今、在石上神宮」とは、撰上された 807 年現在での「今」であろうし、日本書紀の「今」は、それぞれの伝承が記録された時期にもよるのだろう。
 ちなみに、『三種の神器』の上記引用文中に「大和国の石上神宮は古代にあって神宮の号が付される数少ない神社である」といわれていることについては、次の資料が参考になろう。

『古代神社史論攷』 (pp. 3-4) より

 ○ 史料別の検討で、〈日本書紀〉については、まず

㋑ 固有名詞に「社」がつけられた例

として 9 例があげられ、続いて

㋺ 固有名詞に「神社」がつけられた例は『日本書紀』には全く見えない。

とあり、また、次の例を示して「神宮についてはこの三例がある」と補足される。

 ㋩ 固有名詞に「神宮」がつけられた例としては、

1  伊勢神宮 景行紀四十年。仁徳紀四十年。用明即位前紀。天武紀三、十、乙酉。天武紀朱鳥元、四、丙申。天武紀四、二。
2  石上神宮 天武紀三、八、庚辰。雄略紀三、四。
   石上振神宮 履中即位前紀。
3  出雲大神宮 崇神紀六十、七。
と、なっている。

 上記の〝 ㋑ 固有名詞に「社」がつけられた例〟というのは、出雲に関係したものでたとえば「斉明紀 五年是歳条」にある、次の記述があげられよう。

『大系本 日本書紀 下』 (pp. 340-341)
[原文] 是歲、命出雲國造〔闕名。〕 修嚴神之宮。狐嚙斷於友郡役丁所執葛末而去。又狗嚙置死人手臂於言屋社。〔言屋、此云伊浮琊。天子崩兆。〕
[訓み下し文] 是歲、出雲國造〔名を闕せり。〕 に命せて、神の宮を修嚴はしむ。狐、於友郡の役丁の執れる葛の末を嚙ひ斷ちて去ぬ。又、狗、死人の手臂を言屋社に嚙ひ置けり。〔言屋、此をば伊浮琊といふ。天子の崩りまさむ兆なり。〕
(ふりがな文) (ことし、いづものくにのみやつこ〔なをもらせり。〕 におほせて、かみのみやをつくりよそはしむ。きつね、おうのこほりのえよほろのとれるかづらのすゑをくひたちていぬ。また、いぬ、まかれるひとのただむきをいふやのやしろにくひおけり。〔いふや、これをばいふやといふ。みかどのかむあがりまさむきざしなり。〕)
【「琊」は 原文「王偏+耶」】

 ここに「言屋社」というのは、「出雲国風土記」の意宇郡にある「伊布夜社」とされ、延喜式巻十の「神祇 神名 下」では「揖夜神社」となっている。

斬蛇剣の行方についての 異なる物語の記録は、次回に追っていく予定。


Google サイト で、本日、引用文献の情報を含むバージョンを公開しました。

The End of Takechan : 天蠅斫之剣
https://sites.google.com/view/theendoftakechan/worochi/hahakiri-no-tsurugi

2018年6月21日木曜日

夏至の観測ライン上に建つ神社

〈太陽の道〉を示すもの: 日知りの民


 一説に、「聖(ひじり)」は「日知り(ひしり)」であるという。
 かつてそれは〈太陽の道〉を知り示し、「暦(こよみ)」を司るものたちだった。

 数日前、鳥取県立図書館の司書のかたから、『日本の歴史の根源』という本をご紹介いたただいた。
 同じ日に、鳥取県立図書館の別の司書のかたから、『続 秦氏の研究』という本をご紹介いたただいた。
 いずれの文献も、古くから和歌にも詠まれた「纒向の夕槻嶽(夕月岳)」についての考察を含むものだ。
 夕月岳は、応仁の乱で焼失する以前「穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)」があった場所だと、『大和志料』には書いてある。その『大和志料』を含め夕月岳の場所についてはさまざまに考証がなされていて、「纒」の一文字で「巻向山」を指すこともあり「纒向(まきむく)の」といわれるからには「巻向山の夕月岳」であるともされるけれど、この場合「纒向」はおそらく地域の名称・総称の意味であって「纒向=巻向山」と断定するのは少々乱暴な気もする。
(ちなみに『式内社調査報告 3 』(pp. 562-563) によれば、「穴師坐兵主神社」は「アナシニマスヒヤウズノカミノヤシロ」と訓むべきであるらしい。現在は下社「穴師大兵主神社」に上社「穴師坐兵主神社」も合祀されているが、上社は以前には巻向山中にあったという。)

 そもそも最初は、夕月岳ではなく、奈良県桜井市の三輪山北西部に位置する ―― 天理市との境界付近 ―― 穴師に鎮座する「穴師神社」について、調べていたのだ。その〝上の社〟である「穴師坐兵主神社」は〝応仁の乱の前には夕月岳にあった〟というのだけれども、その鎮座場所がはっきりせず、いつのまにかそれは巻向山だということになっている。
 だけど普通に考えて上と下の社があるのは、上の社(かみのやしろ)まで参拝するのは遠いので、手近に下社として遥拝所を設けて、便宜を図ったものであろう。
 そのことは『続 秦氏の研究』にも、記述があった。

 で、紹介された本の該当部分だけを読んでとりあえず図書の貸出手続きを済ませつつ、同日に図書館で国土地理院発行の 5 万分の 1 地形図「桜井」を A3 サイズで左右 2 枚に分けてカラーコピーしてもらい、夜更けにそれをきれいに張り合わせてから、『続 秦氏の研究』とか以前から借りていた同じ著者の『神社と古代王権祭祀』で紹介されている記述にしたがって赤やオレンジなどのカラーマーカーで線を引いてみた。
 するとどうだろう。夏至(げし)の観測ラインに沿って、いくつもの〝神の社〟が建立されているではないか。
 かつて〈太陽の道〉を知り「暦(こよみ)」を司るものたちが存在したのだ。
 びっくりしたあまり、これは関連の図書があるに違いないと確信するに至った次第である。

 翌日には、鳥取県立図書館のこれまた別の司書のかたから、『神社の系譜』という本をご紹介いたただいた。
 その本には、『続 秦氏の研究』と同じく、小川光三氏の本(『大和の原像』)が引用紹介してあった。―― 小川光三氏のその本はあいにく近隣の図書館にも蔵書がなく、現在のところ引用してある文献でしか内容を把握できていない。

 さて、下社が遥拝所として機能するための、位置関係というものがある。
 穴師神社の南約 1.8 ㎞ に位置する大神神社(おおみわじんじゃ)は、そこから拝めばちょうど夏至の日の太陽が三輪山の山頂から昇ってくる場所にあるという。大神神社の場合、有名な三つ鳥居は、拝礼の方角を示す「東向き」を禁足地として定める機能も有するようだ。
 その方角例を参考に、穴師神社の下社から見て夏至の日の太陽が昇る方向に上社があると想定すると、山に向かって下社から直線距離で約 900 m 離れた地点に「国土地理院の基準点・穴師」があった。地形図には標高 409 m の山頂として、示されている。

 おそらくは、そのあたりにかつて「穴師坐兵主神社」があったのだ。
 小川光三氏の『大和の原像』を参照すると、そういう結論が自然と導かれてくるようだ。夕月岳は、その場所なのだ、と。


夏至の観測ライン上にあると思われる神社をピックアップしてみよう


 基準線は、大神神社から三輪山(山頂: 467m)を拝するラインである。
 そのライン上、三輪山の先には、初瀬山の山頂 (548m) がある。
 またそのラインのすぐ南には、神武天皇陵と三輪山頂の南側標高 326 m 地点を結ぶ夏至の観測ラインがある。

その三輪山頂の南側ラインから始めて、北向きに平行にずらしていき、全部で 5 本のラインを描く。
それぞれのライン上で北から順に、神社名等をグーグルマップで調べた住所とともに記述していくことにする。
※ 標高で示される地点は、国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」の地図上で検索した緯度と経度を使用した。


● 神武天皇陵から三輪山頂の南側標高 326m 地点 を拝する

奈良県桜井市三輪 三輪山頂の南側標高 326m 地点

奈良県桜井市西之宮135 三輪神社

奈良県橿原市出合町145 春日神社

奈良県橿原市大久保町 神武天皇陵

奈良県橿原市山本町152 八幡神社


● 大神神社から三輪山の山頂 を拝する

奈良県桜井市白河 初瀬山の山頂 548m 地点

奈良県桜井市三輪 三輪山の山頂 467m 地点

奈良県桜井市三輪1422 大神神社

奈良県桜井市東新堂269 八阪神社

奈良県橿原市山之坊町304 山之坊山口神社

奈良県橿原市四条町192春日神社

奈良県橿原市東坊城町857 八幡神社


● 耳成山北側から三輪山頂の北東部標高 512m 地点 を拝する

奈良県桜井市白河760 高山神社

奈良県桜井市 三輪山の北東部・巻向山の北西部/標高 512m 地点

奈良県桜井市茅原 神御前神社

奈良県桜井市新屋敷181 春日神社

奈良県橿原市木原町490 耳成山口神社

奈良県橿原市木原町 耳成山

奈良県橿原市今井町4丁目4 今井町4-138 八幡神社

奈良県橿原市今井町3丁目162 春日神社


● 大兵主神社(穴師坐兵主神社)から笠山荒神社標高 503m 地点 を拝する

奈良県桜井市笠2415 笠山荒神社

奈良県桜井市穴師 基準点名「穴師」山頂 409m 地点

奈良県桜井市穴師493 大兵主神社(穴師坐兵主神社)

奈良県桜井市箸中1128 国津神社

奈良県桜井市箸中 箸墓古墳

奈良県桜井市芝 豊慶大神

奈良県桜井市大泉830 天満宮

奈良県橿原市東竹田町495 竹田神社

奈良県橿原市中町272 阪門神社(武内阪門神社)

奈良県橿原市葛本町 葛本神社

奈良県橿原市上品寺町37 稲荷神社

奈良県橿原市地黄町445 人麿神社


● 纒向遺跡の石塚古墳から龍王山の山頂 585m 地点 を拝する

奈良県天理市田町 龍王山の山頂 585m 地点

奈良県天理市渋谷町 景行天皇陵

奈良県桜井市太田 太田253-1 纒向石塚古墳

奈良県橿原市土橋町538 春日神社

奈良県橿原市土橋町537‐2 春日神社


Google サイト で、本日、グーグルマップで場所チェックしたバージョンを公開しました。

日知りの民:夏至の観測ライン上に建つ神社
https://sites.google.com/view/geshi-lines

2018年6月18日月曜日

八岐大蛇 と 踏鞴

八岐大蛇(やまたのおろち)とは〝踏鞴(たたら)の炎〟である、とも伝承される。

八岐大蛇とは、何であったのか。
スサノヲの蛇退治の神話にまつわる外伝がある。蛇を斬った〈剣〉の伝承を調べていくと、さまざまの資料から、別の物語が新たに見えてきた。
スサノヲの〈斬蛇剣〉の行方を追うきっかけとなった最初の文献から、以下に引用する。

〔参考資料〕
『三種の神器』〔稲田智宏/著 2007年06月15日 学習研究社刊〕 より引用

第二章 三種神器の神話的な背景
 宝剣
 (pp. 122-123)
 ① 大蛇を斬った剣
 素戔嗚尊が出雲の地で八岐大蛇を斬ったという剣は伝承によって相違が見られ、『古事記』および『日本書紀』本文では十拳剣(十握剣)、紀第二の一書で蛇の麁正、第三の一書では蛇韓鋤[おろちからさひ]の剣、第四の一書では天蠅斫剣、『古語拾遺』では天羽々斬という名の天十握剣だとされる。~~。
 また後に蛇の麁正は「石上に在す」、蛇韓鋤の剣は「吉備の神部の許に在り」、天羽々斬は「石上神宮に在り」といった相違も見られる。これらの所在地については、備前国に石上布都之魂[いそのかみふつのみたま]神社があるので、石上または石上神宮というのは大和国のそれではなく、備前国の石上布都之魂神社を指しているのだという意見もある。しかし大和国の石上神宮は古代にあって神宮の号が付される数少ない神社であることから、石上神宮と表記されていればやはり大和国の石上神宮のことで、備前国の石上布都之魂神社とは別だろうと思われる。したがって八岐大蛇を斬った十握剣の所在地は吉備国とする伝承と石上神宮とする伝承の二つが古典に見られるということだが、『新撰姓氏録[しんせんしょうじろく]』には仁徳天皇の御代に市川臣[いちかわのおみ]が布都努斯[ふつぬし]神社を「石上の御布瑠邑[みふるのむら]の高庭」に祀って神主となったとあり、石上神宮の文献にはより具体的に、仁徳天皇の五十六年に市川臣が備前国の石上社から剣を遷して祀ったという。


EMERGENCE II として新しい試みを模索中
Google サイト で、本日、同一内容を公開しました。

The End of Takechan
八岐大蛇 と 踏鞴
https://sites.google.com/view/theendoftakechan

2018年5月15日火曜日

ユング派的「竜との戦い」

 スサノヲの物語をきっかけとして〝蛇退治〟とか〝竜殺し〟ないしは〝神殺し〟の神話を追っていて、このたびは自己言及的〈ウロボロス〉の物語に行きついた。ご存知かと思うが〈ウロボロス〉は自分の尾をくわえた蛇の形象で表現される。
 旅のはじまりは、そもそもはどのようであったか、少々振り返れば。

奇稲田姫(クシナダヒメ)と たなばた伝説
――(2018年3月29日木曜日)から抜粋 ――

 日本で神々を天神地祇(てんじんちぎ)という。〝天の神、地の神〟の意味になるのだけど、〝天神〟が〈天つ神〉ならば、〝地祇〟は〈国つ神〉に相当する。
 土地に根差した固有の支配と信仰があって、祀り(まつり)が正しければ、豊年は保たれる。
 けれども、どんな支配や秩序も、やがては疲弊していく。
 そこへ新しい〈力〉を携えて、なにかがやってくるのだ。

 さて。出雲の地に素戔嗚(スサノヲ)が降り立った時、その土地は〈力〉を失いつつあった。斐伊川(ヒノ川)の〈国つ神〉は、大蛇(ヲロチ)だったけれども、このままではもはや田に、来年の稔りは期待できなくなっていた。
 日本書紀の一書によれば、天神スサノヲは、地祇であるヲロチにこういったという。
「汝は、畏(かしこ)き神なり」

 この物語はいわゆるアンドロメダ型の、英雄譚であるといわれる。
 が、単純な英雄譚とは異質だという気もする。このストーリーで、奇稲田姫(くしいなだひめ)は、〈櫛(くし)〉に変化(へんげ)して、スサノヲとともにヲロチと対峙するのであるから、アンドロメダ型のただの〝捕われの姫〟ではありえない。

 クシナダヒメが、巫女であったという推論は、調べてみると、昭和 30 年の文献にすでにあった。
 松村武雄『日本神話の研究 第三巻』〔1955年 培風館〕で詳細に論じられていて、同書では、八乙女(やおとめ)という「八人一組の巫女を認取する」〔同 (p.198) 〕という視点からまず、論が展開されていく。

―― 抜粋終わり ――

 ここに「アンドロメダ型」としたものは、いわゆる「ペルセウス・アンドロメダ型」と呼ばれる神話のことだ。
―― この神話型について、昭和 51 年に刊行された本に、簡潔な説明があった。

 八岐大蛇退治のスサノオは、神というよりは、むしろ民に危害を加える怪物を殺して、乙女を救う青年英雄である。オリエントやヨーロッパなどの叙事詩や伝説に出てくる英雄は、そうした人身御供に捧げられた乙女を救い、怪物や悪龍を退治し、乙女と結婚するという筋を持っていることが多い。いわゆる「ペルセウス・アンドロメダ型」と呼ばれる民譚がこれである。ギリシアのペルセウスが、海の怪物の餌食[えじき]にされようとしたアンドロメダ姫を救う話は有名であるが、イギリスのベオウルフ、聖ジョージ、ドイツのジーグフリートなどみなそうした英雄である。これはユーラシア大陸に広く分布する、世界拡布[かくふ]型の説話であるが、東アジアでは、中国、朝鮮、インドシナ、ボルネオ、フィリピン、アイヌ、ギリヤークなどに分布し、大林太良氏などは、これを文化文明の影響下の産物であろうと述べている(『日本神話の起源』)。
〔松前健/著『出雲神話』1976年 講談社現代新書 (pp.88-89)

 最初に書いたようにこの神話の旅は巡り巡って、とうとう〈ウロボロス〉の物語に行きついたのだった。
 エーリッヒ・ノイマン/著意識の起源史』〈改訂新装版〉(“URSPRUNGSGESCHICHTE DES BEWUSSTSEINS” 1971) は、冒頭に置かれたカール・グスタフ・ユングの「序文」(1949年3月)にも書かれているように、全編が〈ウロボロス〉で貫かれている。
 実にその後半部で唐突に、〝八岐大蛇退治〟の物語が図版で登場する。図柄の右半分に英雄と姫が配置され、向かい合わせとなる左側に、大蛇(竜)が描かれているものだ。
―― 歌川豊国筆「素盞嗚命・八岐大蛇」(東京国立博物館)の絵であり、そこに添えられた説明文は、次のごとくである。

図 75 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治するスサノヲ。その結果、非人格的で不滅な草薙の剣と、アニマとしての櫛名田姫を得る
〔改訂新装版『意識の起源史』林道義/訳 2006年 紀伊國屋書店 (p.389)

―― その図が指示されている本文の個所には次のように記されている。

神話の元型的諸段階を踏んでいくこうした自我の発達は、「竜との戦い」〔図 75〕の目的として明らかとなった方向・すなわち不死と永生の獲得・に向かっている。「竜との戦い」において超個人的で壊れないものを獲得することこそ、人格発達に関する限り、獲得された宝のもつ、究極の最も深い意味である。
〔同上 (p.388)

 この引用文の前後を見渡しても本文には、スサノヲは、登場しない、にもかかわらず、〝八岐大蛇退治〟をテーマとした図版がページを飾っている。
―― どういう次第であるのか、「訳者あとがき」を読むにいたって、原著にこの図はないことが明らかとなる。

 なお本文中には、イメージによる理解を助けるために原著にはない図版を挿入した。
〔同上「改訂版 訳者あとがき」 (p.612)

―― にわかに腑に落ちたところで、さて本文の全容は訳者の「解説」によっても概観できる。たとえば ……

 ウロボロスは蛇が自らの尾を食べていることによって自足を表わし、また円をなすことによって完全な一体化の状態、すべてのものが未分離のうちに融合し、渾然一体をなしていることを象徴している。したがって意識と無意識、母と子が一体となっている「原-関係」を表わすのにまことにふさわしいシンボルと言うことができる。
…………
 思春期になると元型がにわかに活性化する。元型はいろいろな具体的な姿をとって若者を襲う。あたかも英雄神話に登場するような多様なイメージをもって意識に対して出現する。これを著者は元型が分解・細分化・形象化して個人に体験される、と表現している。その最初の現われが原両親の分離であり、太母も細分化して、お伴の動物、迫害の手先である伯父・雄猪・野牛など、魔女やその姉妹、といった多様な姿をとるようになる。これはじつは自我が強化されたことに対応しており、自我が元型の世界を具体的に区別し、その中の対立を体験し認識できるようになったことを示しているのである。
…………
 ユングを多少とも学んだ者は「竜」が太母を意味し、「竜との戦い」が太母との戦いであると思っているので、父との戦いも「竜との戦い」の中に入ると言われると、いささかとまどいを感ずるかもしれない。しかしノイマンは「竜」を単に太母とのみは見ないで、ウロボロスが原両親となって、父と母とが分離してくる段階のものと捉え、その分離に応じて「竜との戦い」も重層的・段階的になっていると見ているのである。いわばこの段階の理論的整理は著者自身のよく発達した自我-意識の機能を使って綿密になされているのであり、その意味ではこの部分を十分に理解できるかどうかによって読む側の意識の発達度が測られるとさえ言えるかもしれない。ここではフロイトとユングの仮説との対決がなされ、ノイマンの独特の仮説が提示されているのである。
〔同上「解説」 (p.583, p.589, p. 593)

 ここで太母と称されるのは、ユングの〝元型論〟に登場する概念だ。
 ユング自身の論考の邦訳書元型論母元型の心理学的諸側面という論文が収録されているので、それが参考になろうかと思われる。試しにその索引でを探して該当ページを見れば、竜(すべての呑みこみ巻きつく動物、たとえば大魚と蛇)と本文中にあった。
 ユングによれば母元型の、特徴の一部であるらしい。

 そしてノイマンによれば、竜との戦いは、親から自立するための一歩のようだ。
 始源の〈ウロボロス〉がふたつに解体されることで、対立が発生し、世界に境界があらわれて、秩序づけられていく。
 すなわち対立とは、
より高い質的に異なる統一体の一部となる」〔同上 (p. 166)
ための、基礎らしいのだ。
 これは他者と相互関係にありつつ自己の内部における対立物との闘争を構想する弁証法と思われる。
 ただしここには、生命の特性であり、〈ウロボロス〉のもうひとつの根本的性質であるところの、自己言及の円環は見えない。
 この円環は、自己言及の最中にはじけて回帰すべき形を見失い、螺旋(らせん)を描きはじめる。
 全体だったはずの円形の時間は、自己言及することで同じ状態には戻れなくなるのだ。
 こうして旅は円環の回帰から螺旋へ捩れる。


ウロボロス
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2018年5月8日火曜日

中国の超能力研究:流体としての人体

 ひとの想念はたとえば〝音声〟という波動に乗せて発せられ、感覚器官を通じて伝達される。
 音波は、観測装置を使って計測可能なので数値(デジタル)化され、科学的な説明が行なわれる。
 同じように自然科学の研究領域には、電気的なエネルギーとして観測され数値化された〝気〟の波動も含まれるという。
 観測された〝気〟の波動は、〝気〟が体外に発せられたものであるけれども、それはたとえば想いに含まれる情報の一部が〝音声〟に変換されたように、〝気〟という想念の一部が物理的に観測可能な領域としての〝電気〟に変換されたあとの、数値なのかもしれない。

 岩波講座に収録された論稿「気の科学」に 20 世紀後半の中国で行なわれた超能力研究が紹介されていた。
―― 気の科学における「特異功能」の分野が、1930 年代からのアメリカの「超心理学」の研究と重なるという。

 ここでは、皮膚で文字・図形・色彩を認識する児童の事例について長い間調査研究をつづけている北京大学の生理学者陳守良グループの研究についてふれておくにとどめる(20)。一九七九年の調査例では、対象となった児童は一〇代前半くらいの少年少女で、四〇名の被験者のうち識別能力を発揮した例は一六名(四〇パーセント)。対象の状態(たとえば文字や図形を記した紙片を布袋に入れて手でさぐらせるか、黒いプラスチックの箱に密封したままにするか)によって的中率は変るが、大体二〇-四〇パーセントの児童が識別に成功している。また当初識別不可能でも訓練によって能力を発揮するようになる例が多い。また一人が的中させると、次々に的中者が出てきて、周囲に心理的影響が広がる。陳教授はこの点から、超能力というものにはわりに普遍性があると言っている。識別できる部位は外耳内、腋下、膝関節内側など、つまり陰ができる部分が多い。字や図形は脳の部分にイメージ化されて出現するが、書こうとするとすぐに消失する。児童は意識を集中してイメージの出現をただ待つだけである。一〇秒以内ですぐに答えられるような場合は正確に的中しており、一〇分以上かかるような場合は誤りや不正確さが増す。被験者を児童に限ったのは、一〇代後半になるとこの種の能力は消滅してしまう場合が多いからである。
 理論的見地からみてこの研究が興味をひくのは、それがいわゆる超能力者といった特殊な事例にとどまらず、ある程度の普遍性を示しているという点である。またアメリカを中心とするライン派の超心理学は、外部から観察したデータを統計的に処理して超能力の存在を推理し証明しようとするだけなので、データの解釈をめぐる批判をさけられない上に、超能力の発現に関する内面的イメージ体験や生理的メカニズムについては全く研究の手がかりがない。中国の研究はこれらの問題について示唆を与える点が多い(21)。もう一つ筆者の注意をひいたのは、これらの事例が東洋医学で重視する皮膚の感覚に関係しているという点である。この事例は精神医学でいう共感覚( synesthesia 耳で音をきくときに色彩を感じる事例)を連想させる。

(20) 陳守良・賀慕厳「関于人体特殊感応機能真実性的調査報告」、陳守良他「人体特殊感応機能的普遍性的問題」、王楚他「人体特殊感応機能的図象顕示過程」(銭学森等『創健人体科学』四川教育出版社、一九八九年)。
(21) 陳守良は日本の児童を対象に試験的調査を試み、中国の児童とほぼ同じ成績をあげている。日中の研究交流の現状は、学術的著作ではないが、次の書物に具体的に(学問的節度を守って)書かれている。TBSテレビ未知能力取材班『未知能力』青春出版社、一九九二年。
〔湯浅泰雄「気の科学」/岩波講座 宗教と科学 6 『生命と科学』所収 1993年 岩波書店 (pp.377-378)

―― この論稿では、超常現象に対する、カール・グスタフ・ユングの視点も交えて、語られている。

 ユングは、超常現象は基本的に通常の因果関係をこえた立場から理解すべきである、という見解をとっている。彼は、超常現象というものの本質は心理的出来事と物理的出来事の間に起る一種の同時的同調現象であるとし、それを共時性 (synchronicity) と名づけた。このよび方は『易経』の解釈から来たもので、本論の最初にのべたように、中国科学のまなざしが共時的ホーリズムにあるという見方にもとづいている。たとえば透視やテレパシーは、集合的無意識の領域を媒体として起る一種の遠隔作用であると考えられる。感覚可能な物質的領域には通時的な因果関係の法則が支配しているが、その背後には(感覚をこえているという意味において)超越的な領域が潜在している。そういう領域からの作用がはたらくときに共時的な同調現象としての超常現象が経験される、というのが彼の考え方である。
〔同上 (p.375)

―― 上記引用文中の中国科学のまなざしが共時的ホーリズムにあるという見方というのは、それ以前の、次の個所で解説されていた。

西洋では、まず時間の経過に注意しながら、空間内部に見出される個々の自然現象の変化の過程を観察する。そしてそこから、通時的因果関係にもとづいて現象を支配する法則を引き出そうとする。これに対して東洋では、まず空間の全体に展開しているすべての現象の全体的相互連関に注目しながら、現象の全体としてのパターン変化の様相とその意味を知ろうとする。つまり全体的様相の変化に即しながら個々の現象の意味をとらえようとするのである。このような見方は、還元主義とは正反対の共時的ホーリズム (synchronic holism) の態度とよぶことができる。
 歴史的にいうと、このような見方は、古代の『易経』や『道徳経』(老子)にみえる、「道[タオ]」(太極)のはたらきの陰陽交代の様相によって自然の運行を見る態度から来ている。その「道」のはたらきがやがて「気」とよばれるようになったのである。ユングは、『易経』の世界観が中国の哲学と科学の独特な考え方の源流になったことを指摘し、その基本的原理を共時性 (synchronicity) とよんで、西洋の科学における因果性と対比させている(6)
 医学の場合も、中国人はこのようなまなざしによって人体を観察してきた。したがって人体の組織は、宇宙に流れ動いている気のエネルギーの容器として、いわば波動論的な流体モデルに従って理解されるようになった。

(6) ユング・ヴィルヘルム著、湯浅泰雄・定方昭夫訳『黄金の華の秘密』人文書院、一九八〇年、一七頁以下。ユング著、湯浅泰雄・黒木幹夫訳「易と現代」(『東洋的瞑想の心理学』創元社、一九八三年)。ユング著、河合隼雄訳「共時性 ―― 非因果的連関の原理」(ユング・パウリ『自然現象と心の構造』海鳴社、一九七六年)などを参照。ユングのいう共時性については、湯浅泰雄『共時性とは何か』山王出版、一九八七年、参照。
〔同上 (pp.350-351)

―― ところでユングは〈集合的無意識〉という考え方でも有名だけれど、超心理学的に説明可能な「ポルターガイスト」現象にも通じるとして、〈トリックスター〉についての論考で次のように述べている。

トリックスターは集合的な影の像であり、すべての個人の劣等な性格特性の総計である。
C. G. ユング/著『元型論』[増補改訂版]所収「トリックスター元型」林道義/訳 1999年 紀伊國屋書店 (p.231)

―― 訳者による解説では、ポール・ラディンのウィネバゴ・インディアンのトリックスター神話研究をもとに、トリックスターの事例が紹介されていた。

トリックスターとは「悪戯[いたずら]者」「詐欺師」「悪漢」といった意味であるが、これは人類学や神話学において、神話の中の独特の性質をもった登場人物を指す言葉となった。
…………
ウィネバゴ物語でも、トリックスターは自分の右手と左手を争わせたり、また自分の尻に食物の番をさせておいて、尻がプープーと警告するのに眠っていて気づかず、食物が奪われると尻のせいにして尻を焼いて、結局自分がやけどするという具合に、信じられないほど愚かである。
〔同上「訳者解説」 (p.490, p.491)

 その解説のなかで、トリックスターの性質に言及して、
それは無秩序の精神、境界を無視する精神である。」〔同上 (p.491)
と語られている。
 すなわち、トリックスターは傍若無人(ぼうじゃくぶじん)をモットーとし、我が物顔に、世界を闊歩(かっぽ)する。
 そのとき、閉塞しかけた現実が、刹那に笑いで開放され、風刺が変化のきっかけを生むかもしれない。
 トリックスターの魅力は、秩序の破壊にとどまらない。秩序と無秩序の境界さえも無意味にしてしまうのだ。
 なんら悪びれもせず、この世の成り行きに、完全に無頓着(むとんちゃく)なのである。


トリックスター
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2018年5月1日火曜日

ハレとケ / 聖なる〈カオス〉

 西洋の悪魔〝デーモン〟も、もとはといえば、ギリシャ語の超自然的存在とか精霊をさす〝ダイモン〟だった。
 禁忌(きんき)を意味する英語の〈タブー (taboo) 〉は、ポリネシア語に由来する。
―― この〝聖なる禁忌〟の両義性を調べていて、吉田禎吾『魔性の文化誌』の「あとがき」に、フランスの宗教学者レナックの著オルフェウス(Orpheus, 1909) の文章を引用した記述があるのを見つけた。

【レナック『オルフェウス』からの引用文】
「ラテン語の聖 sacer という語は、聖と不浄の双方を意味しているので、それはまさしくタブーという語にあたる。聖 (sacer) なるものはすべて一般の使用から遠ざけられる」
〔吉田禎吾/著『魔性の文化誌』1976年 研究社出版 (p.245)

 この引用文の前後には、英語やフランス語、ラテン語だけでなく、ギリシャ語にもそういう両義的な〝いみ〟をもつ語のあることが記されていた。
 おそらく、この聖なる禁制の呪縛は人類に共通なのだろう。その感覚には畏怖すべき対象への〝いまわしさ〟がつきまとう。神もある意味〝不吉〟なのだ。
 日本語でも、慎み籠る期間などをさす「いみ」は、〈斎〉と〈忌〉の両方にかかる。
 実践される行ないとして、たとえば有名な四字熟語に「精進潔斎(しょうじんけっさい)」がある。〈斎〉も〈忌〉も、日常では禁じられた神聖な領域に接触するための準備であろう。
 そういう事前準備としての「物忌み」は、近い将来に予想される不吉を避けるために〝斎戒(さいかい)〟する行為なのだけれど、これは「斎(ものいみ)」と漢字一文字で書かれることもあるようだ。
 そんな次第で〈斎〉も〈忌〉も、根元にある思想としては共通する。超自然的な境域から到来する圧倒的なパワーに命が吹き飛ばされないようにするための、心構えを強靱にする準備なのだ。実践が伴わないただの呪文では役に立たない。
 その、圧倒的なパワーのみなもとを、古来〈ハレ〉という。〈聖(ひじり)〉とは〈ハレ〉との接触ということになる。
 聖域との接点として〝神の力〟をまとう場所を〈ハレ舞台〉という。すなわち、〈ハレ舞台〉でヒトは〝神の化身〟となるのだ。
 魂が神に触れる神がかりが、芸能の誕生である、といわれる。
 いっぽう〈俗〉とも称する日常を〈ケ〉という。そして、日常の力に衰えを感じる事態を〈ケガレ〉という。一説にそれは〝ケ枯れ〟なのだという。このとき〝ケ〟は毛髪などが生え伸びる生命力を示す。
 その〈ケガレ〉を払拭するために、祭りの〈ハレ舞台〉が用意された。〈ハレ舞台〉を通じて〝神の力〟が導入される。
―― この日常に蓄積していく〈ケガレ〉の観念は、増大する〈エントロピー〉に通じるかもしれない。

文化は、そういった視点から見ると、絶えず増大するエントロピーとの葛藤の過程として捉えることができる。その能力を失うと、エントロピーの増大によって、文化は無為[イナーシア]と退行に追い込まれる。これに対して、エントロピーを組み込むことに成功している文化では、「文化起動装置」が比較的順調に働いているということになる。
〔山口昌男/著『文化と両義性』2000年 岩波現代文庫 (p.103)

 物理的に、外部に開かれていない閉塞した世界では、きっと文化は停滞して衰えるのだろう。
―― 日常の〈俗〉に対しての〈聖〉を置いて、神聖の概念の両義性を論じたのは、エミール・デュルケムだという。

不浄なる事物ないしは邪悪な力が、本性を変えることなく、外的状況の単なる変化によって、神聖な事物ないしは守護的な力になることがしょっちゅう起きていて、またその逆も同様である。はじめのうちは恐るべき原理であった死者の霊魂が、ひとたび喪が明けると、いかにして守護霊に変貌するかはすでに見た。同様に、はじめは恐怖と反感しか引き起こさなかった屍体も、後になると崇[あが]められるべき聖遺物として扱われるようになる。
…………
 したがって浄と不浄とは、二つの別個の類[ジャンル]なのではなく、すべての聖なる事物を含む同一の類の二つの変種なのである。聖なるものには、一方の吉と他方の不吉の二種が存在するのであり、対立するこれら二つの形態のあいだには、断絶が存在しないのみならず、同一の客体が、本性を変えることなく一方から他方へと移行しうるのである。浄なるものから不浄なるものが作り出され、また逆も成り立つ。聖なるものの両義性は、このような転換が可能であることによるのである。
〔エミール・デュルケーム/著『宗教生活の基本形態』(下)山﨑亮/訳 2014年 ちくま学芸文庫 (p.367, p.368)

―― このあたりの〈聖〉と〈俗〉の考察は、次の文献に詳しい。

〈聖なるもの〉が「善き聖」=浄と「悪しき聖」=不浄の対極的な二項からなる、ある種の両義的観念であることを、わたしたちはデュルケムの所論によりつつ跡づけてきた。しかし、こうした〈聖なるもの〉を両義的にとらえる視点そのものが、原初的混沌としての〈聖〉が二極的に分化してのちの産物であることには、ふれておく必要がある。
…………
 禁忌[タブー]の語源であるポリネシア語の tabu は、神聖であれ不浄であれ、日常的世界から遠ざけられ接触を禁じられた対象[モノ]をさしている。禁忌にはいわば、二つのあい反する心的態度、つまり神聖ゆえの畏敬と不浄ゆえの忌避とが分かちがたいものとして孕まれている。分化以前の〈聖なるもの〉が、この禁忌 tabu なる語の背語にも透けてみえる。
 それゆえ、原初的には、世界は〈聖〉なる領域(混沌[カオス])と〈俗〉なる領域(秩序[コスモス])とに二分されていた、と想定することができる。両者は、たがいに浸透しあうことのない、厳しい浄化儀礼なしには接触することさえ禁忌された二つの領域であり、いたるところに設けられた可視的な、また不可視的な境界によって分割されていた。
〈聖〉と〈俗〉にわかたれた原初的世界においては、二つの領域をなかだちする祭儀の執行者は、〈俗〉なる人々から峻別された禁忌の対象であった。それは本来、共同体の全成員によってになわれる〈聖〉なる役割であったはずだが、社会の階層分化につれて出現してくる、シャーマン・呪術師・司祭などの専門聖職者によって独占されるようになる。
〔赤坂憲雄/著『異人論序説』1985年 砂子屋書房 (p.107, p.108)

 ここに「シャーマン」という言葉が出てきたけれども、新しい時代に来訪する「シャーマン」は〈サイボーグ〉であると提唱する論がある。
 それは、デジタル時代の、神話だ。
 現代の〈異人〉とは、AI を搭載したロボットであり、われわれは彼らを〝歓待〟して祝福されるのか、それともその逆の選択をするのかという、現代にまさに進行形の神話なのだ。
―― ジョージ・ザルカダキスの AI は「心」を持てるのか(“In Our Own Image: Will Artificial Intelligence Save or Destroy Us?” 2015) を読んでいくと第 6 章 神の帰還に、次の一段落が記されている。

 まるで旧石器時代の意識のビッグバンからちょうど一周してきたかのようだが、サイボーグは新しいシャーマンだと言える。グーグルグラスや、その他新しい増強型サイバーテクノロジーの産物を装着しているとき、私たちは新しいトーテミズムの記号を「ボディーペインティング」しているのだ。シュターデル洞窟の半人半ライオンは、二一世紀には半人半マシンに生まれ変わる。このように見たとき、サイボーグは、人工知能の新しいまだ見ぬ神々とコミュニケートしている。なぜなら、身体の部分をメカニカルな補綴物に置き換え続けていくと、最終的にはすべてがメカニカルな存在、知的ロボットに到達するからだ。サイボーグへの還元の論理的な帰結は、人の部分がなくなることだ。この新しいトーテミズムでは、知能のある非人間は、増強された能力、強い身体、遍在、不死という特徴を持つ。これは、すべて古い神の特徴だ。しかも、私たちは工場や研究所でこのような神々を実際に作ることができる。彼らは、私たちの似姿になっている実体のある神々である。サイボーグとしての自分を想像するときに見えるものは、無限の知恵と知識を持つ新しいデジタルの神と一体化した自分だ。皮肉にも、これら新しい神々が私たちに要求するものは、古い神々とは異なり、私たちの魂だ。神々と一体になるためには、人間性を諦めなければならない。
〔ジョージ・ザルカダキス/著『 AI は「心」を持てるのか』長尾高弘/訳 2015年 日経BP社 (pp.137-138)

 先の『異人論序説』からの引用文には、
原初的には、世界は〈聖〉なる領域(混沌[カオス])と〈俗〉なる領域(秩序[コスモス])とに二分されていた
と、あった。
 古き時代に周縁から復活の〝力〟をもたらしてきた〈カオス〉の境域は、神々の棲む〈聖〉なる場所だったのであり、それがそのまま禁忌を意味した。
 新しい神々は、まぎれもなく、〈秩序[コスモス]〉の側からやって来る。
 いにしえの、連続の世界に棲むアナログの神々は、ひとの心に、不連続なデジタルの神々の来訪を把捉する。
 そのとき〈混沌[カオス]〉は、原初の〈聖〉なる領域から駆逐されるのだろうか。
 それとも〈秩序〉から抜け落ちた〝取るに足りない〟領域に〝聖なる禁忌〟はひそむのか。


異人〈ストレンジャー〉
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