2018年6月27日水曜日

石上神宮の伝承

斬蛇剣の行方についての 異なる物語の記録をみていこう。


 ○ ここで参照する文献としてまず『式内社調査報告』を使用する。

石上布都御魂(イソノカミフツノミタマノ)神社
 (p. 331)
【由緒】 創立年代を詳らかにすることはできないが、日本書紀に「其素盞嗚尊断蛇之剣今在吉備神部許也」と、また「其断蛇之剣号曰蛇麁正此今在石上也」と記されており、種々の論考がなされているが、実証性に乏しい。…………
 (p. 333)
【所在】 現在の鎮座地は、赤磐郡吉井町石上字風呂谷一、四四八番地(旧赤坂郡石上村)である。…………
〔『式内社調査報告』第二十二巻 山陽道(人見彰彦)〕

石上坐布都御魂(イソノカミニマスフツノミタマノ)神社
 (p. 982)
【由緒】 社伝を正史と対照して略述すれば、主神布都御魂神は、建甕槌神が中洲平定の際に帯びていた平国之剣で、神武天皇の中洲平定に際して、熊野高倉下を介して天皇に奉って熊野平定の功をいたした(紀記に同じ)。天皇は即位後、物部連の遠祖宇麻志麻治命の忠節を褒めて、その神剣を授けた。宇麻志麻治命は、その父饒速日尊が天降の際に天神御祖から賜った天璽瑞宝十種を天皇に献り、亦神盾をたてて斎き祀った(旧事本紀)。その神気を称えて布留御魂神と云う(社伝)。この両神は以後宮中に奉斎されていたが、崇神天皇七年十二月、物部連の祖伊香色雄命が勅を奉じて石上邑に移し祭った(社伝)。次いで垂仁天皇三十九年に、五十瓊敷命が茅渟の菟砥川上宮にて剣一千口を作って石上神宮に蔵めた。後五十瓊敷命に命じて神宝を司らしめた(一説では、忍坂邑に蔵め、後石上神宮に移した。是の時神の乞によって、春日臣族の名は市河をして管掌せしめた。是が物部首の始祖である。)(以上書紀)。…………
 また、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬った十握剣は、その神気を称えて布都斯御魂神と號し、吉備神部の許に奉齋されていた(書紀神代巻神剣奉天段第三・一書。第二・一書では石上にありと記す)が、仁徳天皇五十六年十月、物部首市川臣が勅を奉じて、石上振神宮高庭之地に奉遷して、地底石窟の内、布都御魂横刀の左座 東方 に加え蔵め、其上に霊畤を設けて并祭した(姓氏録に加上)。
 (p. 984)
【所在】 天理市布留町布留山(丹波市町大字布留)。和名抄の山邊郡石上鄕。…………
〔『式内社調査報告』第三卷 京・畿内 3(石崎正雄)〕


 ―― 以上に引用した記述内容のなかで、注目すべきことに、スサノヲが八岐大蛇を斬った剣については「仁徳天皇五十六年十月、物部首市川臣が勅を奉じて、石上振神宮高庭之地に奉遷して、地底石窟の内、布都御魂横刀の左座 東方 に加え蔵め、其上に霊畤を設けて并祭した(姓氏録に加上)」と説明されている。
 次の資料から『新撰姓氏録』の該当箇所を引用する、と。

『物部氏の研究 【第二版】』〔篠川賢/著 平成27年09月10日 第二版 雄山閣/発行〕
 第二章 物部氏の祖先伝承
 (p. 126)
布留宿禰
柿本朝臣同祖。天足彦国押人命七世孫米餅搗大使主命之後也。男木事命。男市川臣。大鷦鷯天皇御世、達倭賀布都努斯神社於石上御布瑠村高庭之地、以市川臣為神主。四世孫額田臣。武蔵臣。斉明天皇御世、宗我蝦夷大臣、号武蔵臣物部首并神主首。因茲失臣姓為物部首。男正五位上日向、天武天皇御世、依社地名改布瑠宿禰姓。日向三世孫邑智等也。

 引用文中に「男木事命」とある「事」の文字は、原文では異なる文字が使われているが「事」で代用した。
 また、「大鷦鷯天皇」とは仁徳天皇のことであるけれども、ここには「仁徳天皇五十六年十月」というような具体的な年号の記述はない。―― 先に参照した『三種の神器』〔参考資料〕の記述では、「石上神宮の文献にはより具体的に、仁徳天皇の五十六年に市川臣が備前国の石上社から剣を遷して祀った」と、説明されていた。

 ○ 次に『神道大系』から石上神宮の社伝を参照する。
(佐伯秀夫による「解題」では、社伝「石上振神宮二座」の「成立は元禄六年(一六九三)十一月を下らないと思われる。」とされている。)

  石上振神宮二座
 (p. 45)
石上振神宮二座(イソノカミフルノカミツミヤフタハシラ)〔在大和國山邊郡石上布璢村、〕
 第一 建布都大神
 第二 布璢御魂神
  加祭之神一座
 第三 布都斯魂神

 (pp. 47-49)
素戔嗚尊斬蛇之十握剣剣、名曰天羽々斬、亦曰蛇之麁正、称其神気曰布都斯魂神、
旧事本紀曰、素戔嗚尊断蛇之剣、今在吉備神部許也、…………
新撰姓氏録曰、大鷦鷯謚仁德天皇御世、達倭賀布都斯魂神社於石上御布瑠高庭之地、以市川臣為神主、

天羽羽斬、自神代之昔至于難波高津宮御宇天皇〔謚曰仁徳為人皇十七代、〕五十六年、在吉備神部許〔今備前国石上社之地是也、〕焉、五十六年孟冬己丑朔己酉、物部首市川臣、〔布留連祖、〕奉勅、遷加布都斯魂神社於石上振神宮高庭之地、
高庭之地底石窟之内、以天羽羽斬加蔵于布都御魂横刀左座、〔為東方、〕是布都御魂横刀為中央之故、当其神器之上設霊畤、拝祭布都斯魂神、為加祭之神、
或説曰、中央座建布都大神為第一也、左座布都斯魂神為第二也、右座布瑠御魂神為第三、非是、布都御魂与布都斯魂、両剣長竝十握也、布都者断物之古語矣、御与斯〔或作之同音、〕是以別之而已、
右両剣者本連枝而[アニヲトヽニテ]、稜威雄走神之分身[ミコ]、是故竝祭于石上振高庭之地、
〔『神道大系』神社編十二 大神・石上 「石上」〕


 先の「新撰姓氏録」の内容は、簡便に「仁徳天皇の時代に市川臣が、布都努斯神社を石上布瑠村の高庭の地に賀(遷)した」という内容であったが、この社伝によれば、さらに詳しく「仁徳天皇の五十六年までは、〔備前国の石上社の地である〕吉備の神部のもとにあった天羽羽斬の剣は、五十六年孟冬(太陰暦十月)に、〔布留連祖である〕物部首市川臣が、石上振神宮(イソノカミフルノカミツミヤ)高庭の地に布都斯魂神社として遷し加えた」という、内容を読み取ることができる。

 これらをあらためて『式内社調査報告 3 』の記述に即してまとめると、
スサノヲの斬蛇剣は「布都斯御魂神として吉備神部のもとにあったのだけれども、仁徳天皇の五十六年十月、物部首市川臣が勅を奉じて、石上振神宮高庭の地に遷して、地底石窟の内、布都御魂横刀の左座(東方)に加え蔵められた」と、いうこととなる。

 このほかに、社伝には「フツノミタマは、タケミカヅチの神が国を平定したトツカノツルギのことで、その神気をたたえて建布都大神というのである」というような内容のことが書かれている。

 ○ 国家平定の霊剣フツノミタマについては、古事記と日本書紀のいずれにも記述があって『大系本 日本書紀 上』から引用すると、次の通り。

『大系本 日本書紀 上』「神武天皇 即位前紀戊午年六月」
 (pp. 194-195)
[原文] 時武甕雷神、登謂高倉曰、予剣号曰韴靈。〔韴靈、此云赴屠能瀰哆磨。〕 今當置汝庫裏。宜取而献之天孫。
[訓み下し文] 時に武甕雷神、登ち高倉に謂りて曰はく、「予が剣、号を韴靈と曰ふ。〔韴霊、此をば赴屠能瀰哆磨と云ふ。〕 今當に汝が庫の裏に置かむ。取りて天孫に献れ」とのたまふ。
(ふりがな文) (ときにたけみかづちのかみ、すなはちたかくらじにかたりてのたまはく、「やつこがつるぎ、なをふつのみたまといふ。〔ふつのみたま、これをばふつのみたまといふ。〕 いままさにいましがくらのうちにおかむ。とりてあめみまにたてまつれ」とのたまふ。)
 (pp. 195-196)
韴霊(頭注)  記の分注には「此刀名云佐士布都神、亦名云甕布都神、亦名云布都御魂、此刀者、坐石上神宮也」とある。旧事紀、天孫本紀では、宇摩志麻治命が長髄彦を殺して帰順したことを天皇が嘉して「特加?寵授以神剣、参其大勲。凡厥神剣?霊剣刀、亦名布都主神魂刀、亦云佐士布都、亦云建布都、亦云豊布都神是矣」とある。

 ここに記述されているのは「神剣投下」に際して、タケミカヅチの語った言葉である。この直前に、アマテラスとタケミカヅチの会話がある。
 それが、2018年4月10日火曜日のブログ「布璢御魂(フルノミタマ)」でも紹介した場面で、抜き書きすれば次の個所となる。

 神武天皇が熊野で苦戦しているようすを見て、アマテラスが、タケミカヅチに、
「汝更往きて征て(いましまたゆきてうて)」と要請するのだけれども、
タケミカヅチは、自分が行くまでもなく「予が国を平けし剣を下さば、国自づからに平けなむ」といって、〈フツノミタマ〉を投下するのだ。こうして〈フツノミタマ〉は国家平定の宝剣として、記録に名を留めた。

 こういうことからも、日本書紀で出雲の国譲りの際に、タケミカヅチとともに使者となったフツヌシは、〈フツノミタマ〉の神格化であろうと推測される。

 フツヌシ、タケミカヅチの両者ともに、イザナミの死に際して、カグツチを斬ったイザナキの「剣の刃よりしたたる血」から生まれた神なのである。
 葦原中国の平定に送り出された神々は、破壊のうねりのなかで、それを活力として誕生した。
 そして古来、霊剣〈フツノミタマ〉は宝剣として、新しい活力を得るための、生命力再生の祭り〈鎮魂(オホミタマフリ)〉の祭祀に用いられているという。

―― という具合だが。
 創造的破壊とは、しばしばいわれる言葉だけれど、新しい基軸を創造する〈創発〉のためには、相当な活力が必要とされるだろうことは想像に難くない。
―― イノベーション (innovation) は、シュンペーターが「新機軸・刷新・革新」の意味で使った語だ。いにしえにはイノベーションを達成するために、祭政一致の方策が用いられた。それもかなり荒っぽい方法で。


Google サイト で、本日、引用文献の情報を含むもう少し詳しいバージョンを公開しました。

The End of Takechan : 布都御魂
https://sites.google.com/view/theendoftakechan/worochi/futsu-no-mitama

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