2018年6月25日月曜日

天蠅斫之剣

〈天蠅斫之劒(アマノハハキリノツルギ)〉 とも称される、
スサノヲの 斬蛇剣にまつわる名称を あらためて原典で確認する。


 ○ 今回、原典として使用する文献は次のとおり。

 「古事記」〔日本古典文学大系 1『古事記 祝詞』(以下『大系本 古事記』と表記)〕
 「日本書紀」〔日本古典文学大系 67『日本書紀 上』(以下『大系本 日本書紀 上』と表記)〕
  ― 同 上 ― 〔日本古典文学大系 68『日本書紀 下』(以下『大系本 日本書紀 下』と表記)〕
 「古語拾遺」〔岩波文庫『古語拾遺』(以下『岩波文庫 古語拾遺』と表記)〕

 『大系本 古事記』「天照大神と須佐之男命 6 須佐之男命の大蛇退治」(pp. 86-87)
[原文] 十拳劒
[訓み下し文] 十拳劒(とつかつるぎ)

 『大系本 日本書紀 上』「神代上 第八段〔本文〕」(pp. 122-123)
[原文] 十握劒
[訓み下し文] 十握劒(とつかのつるぎ)

    同上   「神代上 第八段一書〔第二〕」(p. 125)
[原文] 其斷蛇劒、號曰蛇之麁正。此今在石上也。
[訓み下し文] 其の蛇[をろち]を斷[き]りし劒をば、號けて蛇の麁正(をろちのあらまさ)と曰[い]ふ。此[こ]は今石上[いそのかみのみや]に在[ま]す。

    同上   「神代上 第八段一書〔第三〕」(pp. 126-127)
[原文] 素戔嗚尊、乃以蛇韓鋤之劒、斬頭斬腹。~~。其素戔嗚尊、斷蛇之劒、今在吉備神部許也。出雲簸之川上山是也。
[訓み下し文] 素戔嗚尊、乃[すなは]ち蛇の韓鋤の劒(をろちのからさひのつるぎ)を以[も]て、頭を斬[き]り腹を斬る。~~。其の素戔嗚尊の、蛇を斷[き]りたまへる劒は、今吉備[きび]の神部[かむとものを]の許[ところ]に在り。出雲[いづも]の簸[ひ]の川上[かはかみ]の山是[これ]なり。

    同上   「神代上 第八段一書〔第四〕」(同頁)
[原文] 天蠅斫之劒
[訓み下し文] 天蠅斫之劒(あまのははきりのつるぎ)

 『岩波文庫 古語拾遺』「素神の霊剣献上」(pp. 125-126, pp. 23-24)
[原文]  素戔嗚神、自天而降到於出雲国簸之川上。以天十握釼〔其名天羽々斬。今、在石上神宮。古語、大虵謂之羽々。言斬虵也。〕斬八岐大虵。
[訓読文]  素戔嗚神、天[あめ]より出雲国の簸[ひ]の川上[かはかみ]に降到[くだ]ります。天十握剣[あめのとつかつるぎ]〔其の名は天羽々斬(あめのははきり)といふ。今、石上神宮[いそのかみのかみのみや]に在り。古語に、大蛇[をろち]を羽々[はは]と謂ふ。言ふこころは蛇を斬るなり。〕を以て、八岐大蛇[やまたのをろち]を斬りたまふ。

『岩波文庫 古語拾遺』 解 説  (p. 159)
 古語拾遺は、平城天皇の朝儀についての召問に対し、祭祀関係氏族の斎部広成が忌部氏の歴史と職掌から、その変遷の現状を憤懣として捉え、その根源を闡明しその由縁を探索し、それを「古語の遺[も]りたるを拾ふ」と題し、大同二年(八〇七)二月十三日に撰上した書である。

 これらの記述で問題とされるのは、スサノヲの斬蛇剣の行方だった。
 日本書紀の文中にある「石上」というのは「大和の石上神宮」であるのか、それとも「吉備の神部(備前国の石上布都之魂神社)」であるのか、ということなのだ。

 先に参照した『三種の神器』〔参考資料〕の記述には、

『三種の神器』 (pp. 122-123)
 また後に蛇の麁正は「石上に在す」、蛇韓鋤の剣は「吉備の神部の許に在り」、天羽々斬は「石上神宮に在り」といった相違も見られる。これらの所在地については、備前国に石上布都之魂[いそのかみふつのみたま]神社があるので、石上または石上神宮というのは大和国のそれではなく、備前国の石上布都之魂神社を指しているのだという意見もある。しかし大和国の石上神宮は古代にあって神宮の号が付される数少ない神社であることから、石上神宮と表記されていればやはり大和国の石上神宮のことで、備前国の石上布都之魂神社とは別だろうと思われる。

とあるけれども、古語拾遺に記された「今、在石上神宮」とは、撰上された 807 年現在での「今」であろうし、日本書紀の「今」は、それぞれの伝承が記録された時期にもよるのだろう。
 ちなみに、『三種の神器』の上記引用文中に「大和国の石上神宮は古代にあって神宮の号が付される数少ない神社である」といわれていることについては、次の資料が参考になろう。

『古代神社史論攷』 (pp. 3-4) より

 ○ 史料別の検討で、〈日本書紀〉については、まず

㋑ 固有名詞に「社」がつけられた例

として 9 例があげられ、続いて

㋺ 固有名詞に「神社」がつけられた例は『日本書紀』には全く見えない。

とあり、また、次の例を示して「神宮についてはこの三例がある」と補足される。

 ㋩ 固有名詞に「神宮」がつけられた例としては、

1  伊勢神宮 景行紀四十年。仁徳紀四十年。用明即位前紀。天武紀三、十、乙酉。天武紀朱鳥元、四、丙申。天武紀四、二。
2  石上神宮 天武紀三、八、庚辰。雄略紀三、四。
   石上振神宮 履中即位前紀。
3  出雲大神宮 崇神紀六十、七。
と、なっている。

 上記の〝 ㋑ 固有名詞に「社」がつけられた例〟というのは、出雲に関係したものでたとえば「斉明紀 五年是歳条」にある、次の記述があげられよう。

『大系本 日本書紀 下』 (pp. 340-341)
[原文] 是歲、命出雲國造〔闕名。〕 修嚴神之宮。狐嚙斷於友郡役丁所執葛末而去。又狗嚙置死人手臂於言屋社。〔言屋、此云伊浮琊。天子崩兆。〕
[訓み下し文] 是歲、出雲國造〔名を闕せり。〕 に命せて、神の宮を修嚴はしむ。狐、於友郡の役丁の執れる葛の末を嚙ひ斷ちて去ぬ。又、狗、死人の手臂を言屋社に嚙ひ置けり。〔言屋、此をば伊浮琊といふ。天子の崩りまさむ兆なり。〕
(ふりがな文) (ことし、いづものくにのみやつこ〔なをもらせり。〕 におほせて、かみのみやをつくりよそはしむ。きつね、おうのこほりのえよほろのとれるかづらのすゑをくひたちていぬ。また、いぬ、まかれるひとのただむきをいふやのやしろにくひおけり。〔いふや、これをばいふやといふ。みかどのかむあがりまさむきざしなり。〕)
【「琊」は 原文「王偏+耶」】

 ここに「言屋社」というのは、「出雲国風土記」の意宇郡にある「伊布夜社」とされ、延喜式巻十の「神祇 神名 下」では「揖夜神社」となっている。

斬蛇剣の行方についての 異なる物語の記録は、次回に追っていく予定。


Google サイト で、本日、引用文献の情報を含むバージョンを公開しました。

The End of Takechan : 天蠅斫之剣
https://sites.google.com/view/theendoftakechan/worochi/hahakiri-no-tsurugi

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