2018年5月8日火曜日

中国の超能力研究:流体としての人体

 ひとの想念はたとえば〝音声〟という波動に乗せて発せられ、感覚器官を通じて伝達される。
 音波は、観測装置を使って計測可能なので数値(デジタル)化され、科学的な説明が行なわれる。
 同じように自然科学の研究領域には、電気的なエネルギーとして観測され数値化された〝気〟の波動も含まれるという。
 観測された〝気〟の波動は、〝気〟が体外に発せられたものであるけれども、それはたとえば想いに含まれる情報の一部が〝音声〟に変換されたように、〝気〟という想念の一部が物理的に観測可能な領域としての〝電気〟に変換されたあとの、数値なのかもしれない。

 岩波講座に収録された論稿「気の科学」に 20 世紀後半の中国で行なわれた超能力研究が紹介されていた。
―― 気の科学における「特異功能」の分野が、1930 年代からのアメリカの「超心理学」の研究と重なるという。

 ここでは、皮膚で文字・図形・色彩を認識する児童の事例について長い間調査研究をつづけている北京大学の生理学者陳守良グループの研究についてふれておくにとどめる(20)。一九七九年の調査例では、対象となった児童は一〇代前半くらいの少年少女で、四〇名の被験者のうち識別能力を発揮した例は一六名(四〇パーセント)。対象の状態(たとえば文字や図形を記した紙片を布袋に入れて手でさぐらせるか、黒いプラスチックの箱に密封したままにするか)によって的中率は変るが、大体二〇-四〇パーセントの児童が識別に成功している。また当初識別不可能でも訓練によって能力を発揮するようになる例が多い。また一人が的中させると、次々に的中者が出てきて、周囲に心理的影響が広がる。陳教授はこの点から、超能力というものにはわりに普遍性があると言っている。識別できる部位は外耳内、腋下、膝関節内側など、つまり陰ができる部分が多い。字や図形は脳の部分にイメージ化されて出現するが、書こうとするとすぐに消失する。児童は意識を集中してイメージの出現をただ待つだけである。一〇秒以内ですぐに答えられるような場合は正確に的中しており、一〇分以上かかるような場合は誤りや不正確さが増す。被験者を児童に限ったのは、一〇代後半になるとこの種の能力は消滅してしまう場合が多いからである。
 理論的見地からみてこの研究が興味をひくのは、それがいわゆる超能力者といった特殊な事例にとどまらず、ある程度の普遍性を示しているという点である。またアメリカを中心とするライン派の超心理学は、外部から観察したデータを統計的に処理して超能力の存在を推理し証明しようとするだけなので、データの解釈をめぐる批判をさけられない上に、超能力の発現に関する内面的イメージ体験や生理的メカニズムについては全く研究の手がかりがない。中国の研究はこれらの問題について示唆を与える点が多い(21)。もう一つ筆者の注意をひいたのは、これらの事例が東洋医学で重視する皮膚の感覚に関係しているという点である。この事例は精神医学でいう共感覚( synesthesia 耳で音をきくときに色彩を感じる事例)を連想させる。

(20) 陳守良・賀慕厳「関于人体特殊感応機能真実性的調査報告」、陳守良他「人体特殊感応機能的普遍性的問題」、王楚他「人体特殊感応機能的図象顕示過程」(銭学森等『創健人体科学』四川教育出版社、一九八九年)。
(21) 陳守良は日本の児童を対象に試験的調査を試み、中国の児童とほぼ同じ成績をあげている。日中の研究交流の現状は、学術的著作ではないが、次の書物に具体的に(学問的節度を守って)書かれている。TBSテレビ未知能力取材班『未知能力』青春出版社、一九九二年。
〔湯浅泰雄「気の科学」/岩波講座 宗教と科学 6 『生命と科学』所収 1993年 岩波書店 (pp.377-378)

―― この論稿では、超常現象に対する、カール・グスタフ・ユングの視点も交えて、語られている。

 ユングは、超常現象は基本的に通常の因果関係をこえた立場から理解すべきである、という見解をとっている。彼は、超常現象というものの本質は心理的出来事と物理的出来事の間に起る一種の同時的同調現象であるとし、それを共時性 (synchronicity) と名づけた。このよび方は『易経』の解釈から来たもので、本論の最初にのべたように、中国科学のまなざしが共時的ホーリズムにあるという見方にもとづいている。たとえば透視やテレパシーは、集合的無意識の領域を媒体として起る一種の遠隔作用であると考えられる。感覚可能な物質的領域には通時的な因果関係の法則が支配しているが、その背後には(感覚をこえているという意味において)超越的な領域が潜在している。そういう領域からの作用がはたらくときに共時的な同調現象としての超常現象が経験される、というのが彼の考え方である。
〔同上 (p.375)

―― 上記引用文中の中国科学のまなざしが共時的ホーリズムにあるという見方というのは、それ以前の、次の個所で解説されていた。

西洋では、まず時間の経過に注意しながら、空間内部に見出される個々の自然現象の変化の過程を観察する。そしてそこから、通時的因果関係にもとづいて現象を支配する法則を引き出そうとする。これに対して東洋では、まず空間の全体に展開しているすべての現象の全体的相互連関に注目しながら、現象の全体としてのパターン変化の様相とその意味を知ろうとする。つまり全体的様相の変化に即しながら個々の現象の意味をとらえようとするのである。このような見方は、還元主義とは正反対の共時的ホーリズム (synchronic holism) の態度とよぶことができる。
 歴史的にいうと、このような見方は、古代の『易経』や『道徳経』(老子)にみえる、「道[タオ]」(太極)のはたらきの陰陽交代の様相によって自然の運行を見る態度から来ている。その「道」のはたらきがやがて「気」とよばれるようになったのである。ユングは、『易経』の世界観が中国の哲学と科学の独特な考え方の源流になったことを指摘し、その基本的原理を共時性 (synchronicity) とよんで、西洋の科学における因果性と対比させている(6)
 医学の場合も、中国人はこのようなまなざしによって人体を観察してきた。したがって人体の組織は、宇宙に流れ動いている気のエネルギーの容器として、いわば波動論的な流体モデルに従って理解されるようになった。

(6) ユング・ヴィルヘルム著、湯浅泰雄・定方昭夫訳『黄金の華の秘密』人文書院、一九八〇年、一七頁以下。ユング著、湯浅泰雄・黒木幹夫訳「易と現代」(『東洋的瞑想の心理学』創元社、一九八三年)。ユング著、河合隼雄訳「共時性 ―― 非因果的連関の原理」(ユング・パウリ『自然現象と心の構造』海鳴社、一九七六年)などを参照。ユングのいう共時性については、湯浅泰雄『共時性とは何か』山王出版、一九八七年、参照。
〔同上 (pp.350-351)

―― ところでユングは〈集合的無意識〉という考え方でも有名だけれど、超心理学的に説明可能な「ポルターガイスト」現象にも通じるとして、〈トリックスター〉についての論考で次のように述べている。

トリックスターは集合的な影の像であり、すべての個人の劣等な性格特性の総計である。
C. G. ユング/著『元型論』[増補改訂版]所収「トリックスター元型」林道義/訳 1999年 紀伊國屋書店 (p.231)

―― 訳者による解説では、ポール・ラディンのウィネバゴ・インディアンのトリックスター神話研究をもとに、トリックスターの事例が紹介されていた。

トリックスターとは「悪戯[いたずら]者」「詐欺師」「悪漢」といった意味であるが、これは人類学や神話学において、神話の中の独特の性質をもった登場人物を指す言葉となった。
…………
ウィネバゴ物語でも、トリックスターは自分の右手と左手を争わせたり、また自分の尻に食物の番をさせておいて、尻がプープーと警告するのに眠っていて気づかず、食物が奪われると尻のせいにして尻を焼いて、結局自分がやけどするという具合に、信じられないほど愚かである。
〔同上「訳者解説」 (p.490, p.491)

 その解説のなかで、トリックスターの性質に言及して、
それは無秩序の精神、境界を無視する精神である。」〔同上 (p.491)
と語られている。
 すなわち、トリックスターは傍若無人(ぼうじゃくぶじん)をモットーとし、我が物顔に、世界を闊歩(かっぽ)する。
 そのとき、閉塞しかけた現実が、刹那に笑いで開放され、風刺が変化のきっかけを生むかもしれない。
 トリックスターの魅力は、秩序の破壊にとどまらない。秩序と無秩序の境界さえも無意味にしてしまうのだ。
 なんら悪びれもせず、この世の成り行きに、完全に無頓着(むとんちゃく)なのである。


トリックスター
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/emergence/trickster.html

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