2019年8月17日土曜日

日置部と刀剣と神話


アヂスキタカヒコネの剣


◉ 古事記でアヂスキタカヒコネが帯びていた剣は「其持所切大刀名、謂大量、亦名謂神度劒。」と記述され、日本書紀では「其帶劒大葉刈、〔刈、此云我里。亦名神戶劒。〕」であった。―― 記紀神話に描かれたアヂスキタカヒコネの剣の名称を、箇条書きにしてみよう。

日本書紀

大葉刈 おほはがり
神戶劒 かむどのつるぎ

古事記

大量 おほはかり
神度の劒 かむどのつるぎ


 両方の神話でほぼ同じ名が併記されていることがわかる。――〝大葉刈・大量〟の語義を〝大刃剣〟とし、またアジスキタカヒコネ(阿遅須枳高日子命)は出雲国風土記の「神門郡(かむどのこほり)」に、二度登場するので、それ故に〝神戸剣・神度剣〟を〝神門剣〟とする解釈がある。

◎ 以上は、今年の春(3月15日)に「神度の剣 ― かむどのつるぎ ―」というタイトルで書いていたものからの引用です。


―― 今回は、日置氏の伝承にかかわって、最後のほうで〈阿遅須枳高日子命〉に関係すると思われる事項を少々述べています。


日置部の伝承


 ◯ 日置部について、日本書紀の記事を参照すると、刀剣に関わる内容となっています。

日本古典文学大系 67

『日本書紀 上』

日本書紀 卷第六「垂仁天皇 三十九年十月」

[原文] 一云、五十瓊敷皇子、居于茅渟菟砥河上。而喚鍛名河上、作大刀一千口。是時、楯部・倭文部・神弓削部・神矢作部・大穴磯部・泊橿部・玉作部・神刑部・日置部・大刀佩部、幷十箇品部、賜五十瓊敷皇子。
(補注)
日置部
日置部も前後の例と併せ考えて神事に関係ある部かとも思われる。日置部の伴造である日置氏は、のち主殿寮の殿部となり、燈燭・炭燎の仕事にあたっていたことから推察すると、この部は剣など武器鍛造の際の炭燎に当っていたものか。その分布はほぼ全国にわたる。

[訓み下し文] 一に云はく、五十瓊敷皇子、茅渟の菟砥の河上に居します。鍛名は河上を喚して、大刀一千口を作らしむ。是の時に、楯部・倭文部・神弓削部・神矢作部・大穴磯部・泊橿部・玉作部・神刑部・日置部・大刀佩部、幷せて十箇の品部もて、五十瓊敷皇子に賜ふ。

(ふりがな文) あるにいはく、いにしきのみこ、ちぬのうとのかはかみにまします。かぬちなはかはかみをめして、たちちぢをつくらしむ。このときに、たてぬひべ・しとりべ・かむゆげべ・かむやはぎべ・おほあなしべ・はつかしべ・たますりべ・かむおさかべ・ひおきべ・たちはきべ、あはせてとをのとものみやつこらもて、いにしきのみこにたまふ。
〔日本古典文学大系 67『日本書紀 上』(pp. 276-277, p. 593)


 ◯ 日置部について、しばしば引用される、上田正昭氏の論文を参照しておきましょう。

『日本古代国家論究』

 Ⅱ 部民制の展開

 第二 祭官の成立「四 日祀部と日置部」

 六世紀中・末期における中央祭官としての中臣氏の登場は、前述のような王権をとりまく国内外の状況を背景とするものであったが、それはひとり王権がひつぎのながれをうけつぐものであることを、改めて確認するために、宮廷祭祀の機構をととのえたり、ひつぎの系譜を完成していったのではない。そこには、磐井の乱に端的に描きだされるような、国造層の動向に対処するためでもあった。欽明・敏達朝の朝鮮出兵軍には、筑紫国造(「欽明天皇紀」十五年の条)・筑紫火君(「欽明天皇紀」十七年の条、『百済本記』)・倭国造(「欽明天皇紀」二十三年の条)・「国造」(「敏達天皇紀」十二年の条)などの軍が参加しているが、こうした畿内・西国を中心とする国造軍の編成を有効にするためにも、在地のイデオロギー的側面を、ひつぎとその主軸である神統へと集中化し、そして中央祭官体制をととのえることが不可欠となってくるのである。
 そのことを傍証するのが、欽明・敏達朝にかかわる日祀部・日置部の設定と拡大である。日祀部の職能および分布などについては、最近示唆にとんだ考察があり(25)、その分析によって、つぎのような諸点が明らかにされている。⑴ 日祀(奉)部の分布は、京師周辺を除いては辺境の地帯に偏在していること、⑵ 他田の宮号を冠するものがあるが、「敏達天皇紀」六年の条にみえる日祀部の設置は事実を伝えたものと考えられること、⑶ 日祀部は宗教的性格を帯びた部であって、太陽信仰との関係が深く、日祀部の設定地に象徴される国土の隅々までも天皇の奉ずる太陽神の神威の下に臣服せしめるという、呪術的効果を期待されたものであるらしいこと、⑷ 祭祀担当官司の整備の下に、あらたに独立の財源=品部を設置することが必要となり、中央では中臣の下に日奉造・日奉舎人造らがあって、地方の日祀部からは、ヒノマツリに関する費用の貢納や日奉舎人の上番ないしその資養がおこなわれたことなどがそれである。
 この指摘には、大日奉の「大」を多臣の一族と解したり、あるいは『延喜式』の「儺祭詞」を即自的に日祀部の分布と対比されるなど、その論証には若干の飛躍があるけれども、そのおよその結論には賛成すべき点が多い。このことは后妃の部民とされる私部の設定が、やはり「敏達天皇紀」六年の条にみえ、その記載がほぼ史実を伝えたものであることを考証された研究とならんで(26)、ますます敏達朝における部の編成強化の背景を具体的に推察することを可能にする。というのは、皇妃の経済的基礎としての私部の設定や、日の神のまつりとつながりをもち伊勢斎宮との関係を推定させる日祀部の設置は、前述の祭官体制整備にみる宮廷組織の確立過程と無関係のものではなかったと考えられるからである。
 このことをより明確にするために、日置部についての論究をこころみることにする。日置の古訓がなんであったかについては、その語義ならびに日置部の職能とからんで、これまでにもいろいろと論議されているが、その中でも最も注目すべき代表的見解としては、つぎのようなものがある。⑴ ヘキというのが古く、それは戸数を調べ置くの意であり、租の徴収と関係があるとするもの(27)。⑵ ヒオキというのが古く、暦法あるいは卜占と関係があるとするもの(28)、したがってこの見解では日置部は、日置祀部の略ないし日祀部は日置部の一種と解釈される。⑶ ヘキよりもヒオキが古く、浄火を常置し、神事とつながりがあるとするものなどである(29)
 しかし第一・第二の説には、つぎのような点からいって疑問がある。まず戸置きと解する説は、それを証するに足る史実を認めがたいし、後述するように、日祀部と日置部の分布状況もかなりの点で異なっていて、日祀=日置ないしあるいは日置部が日祀部と同種のものであるとは単純にはいいえない。第三の説は注目すべきものであるが、仮名づかいのうえで、日置の日は甲類であり、その字義をすぐさま乙類の火に求めるのには難点がある。
 しからば日置部の実態はいかなるものであったのか。これを可能な限りみきわめてみよう。まず日置部に関する史料としては、どのようなものが、最も注意すべきものであろうか。そのことから考えてみたい。日置部に関する史料にはつぎのようなものがある。

⑴ 石上神宮の創祀にまつわる「垂仁天皇紀」三十九年の註記にみえる一〇箇の品部、その中の日置部。
⑵ 神を審神する人を求めた時に、日置部の祖が卜にあって審神にたずさわったとする『尾張国風土記』逸文の記述。
⑶ 出雲国には日置部臣 ― 日置部首 ― 日置部の存在が『出雲国風土記』「出雲国計会帳」「出雲国大税賑給歴名帳」などによって知られるが、その職能は「政を為す所」と関係があり、日置伴部や日置志毘らは欽明朝に派遣されたものであるとする『出雲国風土記』の所伝。
⑷『三代実録』元慶六年十二月二十五日の条に主殿寮殿部の異姓入色に関して「先是、宮内省言、主殿寮申請、検職員令殿部卌人以日置、子部、車持、笠取、鴨五姓人為之」とある記載。

 もとよりこれ以外にも、日置ないし日置部に関連のある記述または所伝は、「応神天皇記」の分註祖先系譜にみえる「幣岐君」、『万葉集』『続日本紀』「計帳」『新撰姓氏録』などに散見する日置造・日置首・日置、『和名抄』『延喜式』にみえる日置郷・日置神社など、さらに『延喜式』に記す「出雲の内外日置田」などがあげられる。けれどもその職能や性格を知るのに最も注目すべきものとしては、前記の事項が重要である。
 これらの各事項から帰納される日置部の実態とはいかなるものであろうか。まず関心をひくのは、日置の古訓の多くは、ヒオキとされており、⑵ および ⑶ の所伝よりも指摘しうるように、その職能は神事ないし宗教と密接な関係にあり、⑴ および ⑷ の事項も、石上の神事や宮廷儀礼とかかわりの深いものであることである。日置部の性格には祭祀的機能が濃厚であるといってよい。次に ⑴ のいわゆる石上神宮創祀をめぐる一〇箇の品部の内容についてみると、それらは楯部・神弓削部・神矢作部・大刀佩部などのように神への貢納物としての武器製作や、玉作部・倭文部・泊橿部(泥部)・大穴磯部などというように、神事とつながりをもつ手工業関係のものが多い。これとならんで記述される日置部も、神事にかかわる職能をもっていたのではないかと推定される(30)
 ⑷ の記載についてみると、殿部が本来日置ら五姓の負名氏によって形づくられていたことが知られるが、ここにいう五姓は、「職員令」(宮内省主殿寮条文)と対比すると明瞭なように、「供御輿輦」が車持の職能であり、「蓋笠・緻扇」が笠取、「帷帳・湯沐・殿庭の酒掃」が子部、「松柴・炭燎」が鴨であって、日置のたずさわったのは「燈燭」であったことが判明する(31)。そしてそれは、たんなる火の管掌でなく、律令官司制下にあっては、庭火などは鴨に、油火・蠟火が日置の管掌するところであった(『令義解』『令集解』)
 これらの史料にみえるところを整理すると、日置部は神事や祭祀と関係のある部であって、日祀部とは職能を異にするものであったこと、律令官司にあっては中央日置は浄火の管理にたずさわるものであったことなどが示されている。日祀=日置ではなく、日の神つまり太陽霊の輝きとかげりをみる日置であって、審神や日読みなどの仕事にたずさわる形態より、やがて日の神の霊をうける日継ぎの神事とのかかわりから、その象徴としての火継ぎの行事にも関係するようになり、やがて日置のなかには、本来の日置より火置へという混同がおこり、宮内省の日置のように浄火の管掌にたずさわるものがでてきたのではなかろうか。その点では、日嗣の象徴としての火継ぎ神事の伝習を長く保持した出雲国造の関係地域に日置集団が濃厚に分布し、かつ日置田などが特設されているのは興味深いものがある。そして『出雲国風土記』のいうところでは日置伴部や日置志毘の派遣が、中央祭官組織の整備の過程で、重要な画期となる欽明朝に求めていることも見逃せない。

  註
(25) 岡田精司「日奉部と神祇官先行官司」(『歴史学研究』二七八)。
(26) 岸俊男「光明立后の史的意義」(『ヒストリア』二〇)。
(27) 栗田寛『栗里先生雑著』、太田亮『姓氏家系大辞典』。
(28) 折口信夫『全集』三・八、柳田国男「妹の力」(『全集」九所収)。松前健「日置部の一考察」(『神道宗教』三二)の論究によれば、日置部は帰化人系の団体であり、卜占暦法を主とするものであって、それが本来の姿であったと推定されている。折口・柳田説を継承した見解である。
(29) 中山太郎「日置部異考」(『日本民俗学』歴史篇)、前川明久「日置氏の研究」(『法政史学』一〇)。
(30) 前川明久「日置氏の研究」(『法政史学』一〇)。ただしこの伝承によってただちに、火の製作・管理の部としての性格が、本来的なものとすることはできないと考える。なお『釈日本紀』所引の『尾張国風土記』逸文にみえる日置部らの祖という建岡君の審神伝承も注目すべきものである。
(31) 井上光貞「カモ県主の研究」(『日本古代史論集』上)。
〔上田正昭/著『日本古代国家論究』昭和43年11月30日 塙書房/発行 (pp. 236-240)

The End of Takechan


◎ 上田正昭氏の論に紹介されていた、『釈日本紀』所引の『尾張国風土記』逸文にみえる日置部らの祖という建岡君の審神伝承と、少しばかり関連しそうな説話が出雲国風土記にあります。


 ◯ 尾張国風土記逸文には、〝タクの国の神〟である《アマノミカツヒメ(阿麻乃弥加都比女)》が登場しますが、いっぽう出雲国風土記の「楯縫郡 神名樋山」の条には、「阿遅須枳高日子命之后(アヂスキタカヒコノミコトのきさき)」である《アメノミカヂヒメノミコト(天御梶日女命)》が〝タクの村でタギツヒコノミコトを産んだ〟という古老の伝が、記されているのです。出雲国風土記「秋鹿郡 伊農郷」の条には、同じ神と思われる《アメノミカツヒメノミコト(天𤭖津日女命)》が登場しています。

 ◯ また、同じ尾張国風土記逸文では、記紀にも記録されている〝ホムツワケノミコがものを言わない状態〟が描かれていますけれども、出雲国風土記には、同様に〝アヂスキタカヒコノミコトがものを言わない状態〟が、「仁多郡 三沢郷」の条で詳しく記述されているのです。
出雲国風土記に登場する《アヂスキタカヒコノミコト》の別伝は、出雲国風土記「神門郡 日置郷」の条につづく「神門郡 塩谷郷」の条などにあって、さらに「意宇郡 賀茂神戸」には次の伝承もあります。

所造天下大神命之御子 阿遅須枳高日子命 坐葛城賀茂社 此神之神戸 故云鴨

天の下造らしし大神の命の御子、阿遅須枳高日子命、葛城の賀茂の社に坐す。此の神の神戸なり。故、鴨といふ。
(あめのしたつくらししおほかみのみことのみこ、あぢすきたかひこのみこと、かづらきのかものやしろにいます。このかみのかむべなり。かれ、かもといふ。)

―― この記録は今回参照した〝「松柴・炭燎」が〟であったり、あるいは〝日置氏燈燭・炭燎の仕事にあたっていた〟ことなどと、関連するのでしょうか。

◎ そして《ヒノキミ》の関連事項として。―― 肥前国風土記の冒頭には、崇神天皇の時代に〝肥後の国の益城の郡の朝来名の峰〟に土蜘蛛がいたので、朝廷は〝肥君らの祖〟である《タケヲクミ(健緒組)》を派遣したことが記録されています。この名称が《タケヲカノキミ(建岡君)》に少し似ていてちょいとばかり気になるのです。


Google サイト で、本日、もう少し詳しい内容のページを公開しました。

日置部・忍海部と古代の製鉄神(日置部・忍海部と製鉄の神)
https://sites.google.com/view/hitsuge/arcus/hioki


―― パソコン向けに、同じ内容のページを、以下のサイトで公開しています。

日置部・忍海部と古代の製鉄神(日置部・忍海部と製鉄の神)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/hitsuge/hioki.html

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