出雲神話は、スサノヲ(素戔嗚)のヤマタノヲロチ(八岐大蛇)退治にはじまり、その子孫であるオホクニヌシ(大國主・おおくにぬし)の国造りを経て、出雲の浜での国譲りに終わる。
古事記では、国譲りの命を完遂した天からの使者は、タケミカヅチ(建御雷)とアメノトリフネ(天鳥船)とする。
そもそも一般的なこのストーリーだと、因幡の白兎でも有名な大国主の神は、天神由来の血を持っている。
スサノヲの蛇退治によって、神(天神)と祇(地祇)という対比での支配者の交代劇が語られているのだから、天神の血はすでに出雲の血脈となったわけだ。で、日本では古来、この「血(ち)」が「霊(チ)」と同じ、活力源とされる。日の霊の場合は「霊(ヒ)」という。
蛇退治におけるヒロイン、クシナダヒメ(奇稻田姫)の〈霊力〉については、すでに触れた。
その呪力は、忌串すなわち、斎串(いぐし)であると考察されてもいる。クシナダヒメの化身であるこの〝櫛〟は、一般にイメージされる「櫛」ではなく、〝かんざし〟のような「串状のもの」であるという。
と前回書いたのだけれども、このことについて、少しばかり掘り下げるなら。
―― たとえば、三品彰英「出雲神話異伝考」の付記を見ると次のような記述がある。
すなわち神霊の憑依する聖性的な人間は、俗性者と区別するために、大切な「しるし」として櫛をさしたのである。とすれば神を招ぎ迎えるイナダヒメが、その聖女的象徴として櫛を挿し、また櫛そのものに化[な]ったのは当然といえる。奇[くし]イナダヒメであるとともに、まさしく櫛イナダヒメである。この場合の櫛はすき櫛ではなく指し櫛であり、櫛の最も古い形式である指し串のことである。それが巫女的女性の呪力を象徴する「忌み串」ともされた。
〔三品彰英『建国神話の諸問題』1971年 平凡社 (pp.27-28) 〕
―― 同じ論者であるが三品彰英「神武伝説の形成」では、呪杖の話題から考察が展開されていた。
むかしイハタツヒコノミコトとイハタツヒメノミコトが水路を争い、ヒメ神が「指櫛[さしぐし]を以ちて、其の流るる水を塞[せ]きて岑の辺より溝を闢[ひら]きて、泉の村に流して相あらそひたまひき」とある。指櫛(今日のすき櫛ではなく串状のもの)は女性の呪能を示す道具でもあるが、指櫛は指串に通ずる水の呪杖と解釈してよい。……
女神の櫛が一層神話的に語られている例としてスサノヲノミコトのヤマタノオロチ退治における櫛名田比売(クシイナダヒメ)の話がある。スサノヲノミコトがオロチを退治する時、「ここにスサノヲノミコトすなわちユツツマグシにその童女[をとめ]を取り成[な]して、みみづらに刺して」(「記」)オロチに立ち向ったという。「書紀」では「化奇稲田姫、為湯津瓜櫛」とあり、意味するところはともにイナダヒメが櫛によって象徴されているのである。古い言い方をすれば櫛はイナダヒメの物実[ものざね]であった。ユツのユは斎(イ)・忌の意で、すなわち聖女の名は忌串に通意している。イナダヒメはヒノ川(神霊の川)のほとりの稲田宮主の女であり、神田の聖女ないしは水の巫女とも解釈されよう。
〔三品彰英『日本神話論』1970年 平凡社 (pp.313-314) 〕
なぜだかこの引用文中の、〝「書紀」では「化奇稲田姫、為湯津瓜櫛」と〟されている個所に、誤植がある。
―― 岩波文庫での、白文と訓み下し文は、次のようになっている。
故素戔嗚尊、立化奇稻田姫、爲湯津爪櫛、而插於御髻。
故、素戔嗚尊、立ら奇稲田姫を、湯津爪櫛に化為して、御髻に挿したまふ。
(かれ、すさのをのみこと、たちながらくしいなだひめを、ゆつつまぐしにとりなして、みづらにさしたまふ。)
〔『日本書紀(一)』1994年 岩波文庫 (p.446, p.92) 〕
なぜかこの「爪」が「瓜」になっていたのだ。
ちなみに岩波文庫からの引用部の、訓読前半にある「たちながら」は「たちどころに」とも訓まれるらしい。
―― キーワードともなる〝爪櫛(つまぐし)〟について『広辞苑』を見ると「歯のこまかい櫛」とあり、そこで例文として挙げられていた日本書紀「神代上 第五段 一書〔第六〕」を、岩波文庫の訓み下し文・注釈で参照すれば次の通り。
伊奘諾尊、聴きたまはずして、陰に湯津爪櫛を取りて、其の雄柱を索き折きて、秉炬として、見しかば、膿沸き虫流る。
(いざなきのみこと、ききたまはずして、ひそかにゆつつまぐしをとりて、そのほとりはをひきかきて、たひとして、みしかば、うみわきうじたかる。)
湯津爪櫛/ユツはイツに同じ。神聖なるもの。タブーされたものの意。ツマはツマム(爪む)の語根。手先に持つ意。
雄柱/ホトリは辺。はずれの所。ハは歯。櫛の両端の太い大きい歯をいう。古代の櫛はカンザシのように長かったので、その先に火をつけて物を見るに適した。
秉炬/手に持つ火。
〔『日本書紀(一)』 (pp.42-45) 〕
これでみる限りでは、イザナキの櫛は 1 本の串状ではなく、そこから折り取った〝歯〟の部分が〝串〟に相当するようだ。
(話題は異なるけどここで気がついたことがあるので参考に書いておく。「いざなぎ」とウィンドウズで書けば、〝伊弉諾〟という変換候補がでてくる。これは、日本書紀の「伊奘諾尊」の漢字とは違うので調べてみると、神社の名前にあった。)
さて先に引用した、三品彰英「出雲神話異伝考」の 36 ページには、〈ヤマタノオロチ〉について付記があって、
「オロチのオロは朝鮮語の泉・井の古訓 …… と同語、チも日本・朝鮮共通の古語で神霊を意味している。」
と、いうことが書いてあった。
ここでにわかに、イザナミ(いざなみのみこと・日本書紀では「伊奘冉尊」と書いてある)が生前に生んだ、日本書紀「神代上 第五段」の冒頭に出てくる〈野槌〉の神の名が問題となる。この神の名は、古事記では〈野椎〉となっているが、ともに読みは同じで「のつち」とされている。
一般的には、「のつち」は「の」と「ち」に意味があって、真ん中の「つ」は、今でいう「~の」に当たるらしい。
すなわち「野の霊(チ)」である。しかしながら、これを「野+槌(椎)」であるとする解釈もある。
―― たとえば谷川健一『古代海人の世界』での論はこのようだ。
野槌(ノツチ)のツは助詞であり、チは勢威あるものという解釈もあるが、『新撰字鏡』には、野に棲む蝮[まむし]や蝎[さそり]の類をいうとされており、『俚言集覧[りげんしゅうらん]』には「野槌 信濃黒姫妙光(高)山の間の山に野槌ヘビといふ物あり、三尺ばかりなるもあり至[いたつ]て大なるもあり、芋虫の如くにて、ころころしたるもの也、といへり」とある。……
『古事記』によると、スサノオは出雲国の肥[ひ]の河上[かわかみ]で、国つ神の大山津見[おおやまつみ]の子の足名椎[あしなづち]と妻の手名椎[てなづち]に出会い、その願いをいれてヤマタノオロチを退治している。椎(ツチ)は蛇を意味するから、足名椎・手名椎は肥の河の主である蛇であったと思われる。あるいは河の主の蛇に奉仕する祠官であったのかも知れない。
〔『谷川健一全集 4』2009年 冨山房インターナショナル (p.296) 〕
今年のはじめに『広辞苑』の最新版が出て話題となったけど、初版以外では、
「雷(イカヅチ)」は、「イカ(厳)ツ(助詞)チ(霊)の意」と、解釈がほどこされている。
―― このことについて以下のような指摘がある。
新村出はツチを一語と考えて、神威を示す語としていたが、『広辞苑』は、新村出編と銘打ちながらも、ツを助詞とし、チを霊格としている。
〔三浦茂久『銅鐸の祭と倭国の文化』 (p.316) 〕
――その「註」にあった、新村出「雷の話」(昭和 23 年 9 月 18 日「新聞苑桃」)を参照すれば、次の通り。
イカツチ、今は濁ってイカヅチとなり、イカズチと無理にもズチと書けと強制されるが、実はイカヅチのツチは、夕立のタチ等とおなじく、神威を示す語で、ツチもタチも共に接尾語の一種とみることが出来る。
〔『新村出全集 第十三巻』1972年 筑摩書房 (pp.384-385) 〕
あああ、ららら。―― 話の収拾がつかなくなってきた。
一応、「ヲロチ」は「ヲロ+チ」だろうし、「イカヅチ」は「イカ+ツチ」もあるとして。
足名椎(アシナヅチ)・手名椎(テナヅチ)も古事記の表記では「~+ツチ」のパターンと思われるのだけど、日本書紀での表記は「脚摩乳・手摩乳」となっている。
では、大山津見(オホヤマツミ)はどうなのだろう。日本書紀では、「大山祇(オホヤマツミ)」もしくは「山祇(ヤマツミ)」と表記されている。
漢和辞典を調べると〈祇〉は、「くにつかみ」という訓が記されていた。
これは霊(チ)に対しての、祇(ミ)という霊格となろうか。
けれど、これもまた「ヤマ+ツミ」のパターンがあるかもしれない。
また神(カミ)に対しての、祇(ミ)であるかもしれない。
かくして、日本の〈カミ〉の霊についての謎は深まるばかりなのだ。
かてて加えて中国渡来の、魍魎(もうりょう)・山の神、魑(チ)や魅(ミ)もあったりして、これを古くから〈すだま〉というらしい。
霊(靈・たま)といえば、神武東征の際にタケミカヅチが天より投下した霊剣〈フツノミタマ〉の名称は、スサノヲがヲロチを斬った斬蛇剣、韓鋤(からさひ)の別名である、ともいう。
境界(臨界)領域
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/emergence/liminal.html
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