2018年3月5日月曜日

〝秩序〟の シミュレーション・モデル

 宇宙の始源を物語るカオスとコスモスの対比はギリシャ神話にはじまって現在に至る。
 漢字では、混沌と秩序と、書かれたりする。
 中国古典『荘子』で有名な〈渾沌〉は〈混沌〉の同義語とされる。
 混沌はまた、混乱と同じようなイメージで使われることがある。混乱が整序されて秩序となる。
 そういうわけでかどうか、〈カオス〉は〈無秩序〉の同義語として扱われたりしている。
 ちょうど 1 年前の 3 月、〈無秩序〉の話を調べていた。ランダムな確率の話だ。

 自然科学で扱われる〈無秩序〉とはなにか。なにが問題であったのか。
 熱力学第二法則の説明で、〝エントロピーとは系のなかの無秩序の度合いである〟などと書かれて、こういった場合、〈無秩序〉は〈ランダム〉とも表現されたりする。〈ランダム〉は日本語では〝無作為〟の意味で使われるけれど〝でたらめさ〟ともされる。
 そうなると、〈エントロピー〉は〝でたらめさの程度〟を指し示す言葉ともなる。
 まったくもって、〝エントロピーはカオスの度合いを示す〟のだといっても、完全なでたらめでもなさそうだ。

 確率の話だ。
 ボルツマン方程式のおかげで、エントロピーを統計力学で表現できるようになった。
 統計力学というのが、確率でどうたらこうたら、というボルツマン新発明の難しい話だったと記憶する。
 当時は量子力学なども相次いで登場してそうこうしているうちに、〈エントロピー〉は〝わからなさの程度〟を指し示す言葉ともなってくる。
 邦訳された資料では〝わからなさ〟は別の日本語で、〝無知〟とか〝未知〟とか表現される。
―― このあたりの説明は、マレイ・ゲルマンクォークとジャガー(“THE QUARK AND THE JAGUAR” 1994) に詳しい。

エントロピーの増加(あるいは不変)を要求する第二法則は難解であるが、エントロピーについては誰もが毎日の生活のなかでよく知っている。それは無秩序の度合である。閉鎖系のなかで無秩序が増大することを否定する人がいるだろうか?
…………
 エントロピーと情報は密接に関係している。実際、エントロピーを無知の度合を示すものとみなすことができる。系がある巨視的状態のなかにあることだけがわかっているとき、その巨視的状態のエントロピーは、そのなかの微視的状態の系について、それを記述するのに必要な追加の情報のビット数を数えることで、無知度を測定する。そのさい、巨視的状態のなかのすべての微視的状態は、等しく起こりうるものとして扱われる。
 その系は、ある確定した巨視的状態にあるのではなく、さまざまな確率をもつさまざまな微視的状態をとるとしよう。するとその巨視的状態のエントロピーは、各微視的状態にその確率をかけ、それらを平均化したものである。さらに、エントロピーには、その巨視的状態を確定するのに必要な情報のビット数も含まれている。したがって、エントロピーを、ある巨視的状態のなかの微視的状態についての無知度を平均したものと、巨視的状態そのものについての無知度を足しあわせたもの、とみなすことができる。
 詳述は秩序に、無知は無秩序に相当する。熱力学の第二法則は、エントロピーの低い(かなりの秩序がある)閉鎖系は、少なくとも非常に長い時間をかければ、よりエントロピーの高い(より無秩序な)方へと動いていく傾向がある、とだけ述べている。秩序より無秩序になるほうが、その方法は多いので、傾向は無秩序に向かって動く。
〔『クォークとジャガー』野本陽代 訳 1997年 草思社 (p.269, pp.271-272)
参照:「〈不可知〉の価値」の資料ページ『クォークとジャガー』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/entropy/unknown.html#gell-mann1994r01


 実は、これらの説明を読んでいて、よくわからなかったのは、専門家によって語られる〝秩序〟のことだ。
 上記引用文のごとく詳述は秩序にと、説明されている。詳しく記述されたものに秩序があるというのだ。
 だけどイメージされる〝秩序〟とは、この世を簡略化した、数学的モデルでしかなかった。
 その意味では、簡潔に語ることができる状態を〝秩序〟というような気がしたのだ。
―― 視点を転じて、レイ・カーツワイルポスト・ヒューマン誕生(“THE SINGULARITY IS NEAR : WHEN HUMANS TRANSCEND BIOLOGY” 2005) に、次のような記述がある。

秩序は、すなわち無秩序の反対ではない。無秩序とは、事象がランダムな順序で起こることだとしたら、無秩序の反対は「ランダムでないこと」になってしまう。…………
 したがって、秩序立っているからというだけで、秩序があるとは言えない。秩序には情報が必要だからだ。秩序とは、目的にかなった情報のことである。秩序を測る基準は、情報がどの程度目的にかなっているかということだ。
〔『ポスト・ヒューマン誕生』井上健 監訳 2007年 日本放送出版協会 (p.59)
参照:「〈不可知〉の価値」の資料ページ『ポスト・ヒューマン誕生』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/entropy/unknown.html#kurzweil2005r01


 これによれば、〝秩序〟は〝〔目的にとって〕有効な情報〟のこととなる。
 目的には当然のことながら、目的をもつ主体、の存在が前提されているわけだ。
 したがって〝秩序〟は、〝主観的な目的をもつ主体にとって有効もしくは有益な情報〟のこととなる。
 もともとの言葉では、秩序とは、目的にかなった情報のことである。近い表現でもう一度簡単に言えば、〝秩序とは有効(有益)な情報だ〟ということだ。
 そうなればこそ、必要のない情報がそこにどれほど含まれていようと、それはそれ、完全に無視すればいい。
 おそらくは、必要のない情報とは〝雑音(ノイズ)〟のことであって、主観的にそのようなノイズはないと思い込むことによって、〝秩序ある世界〟が構築可能となるだろう。

 このあたりのことを具体的な物質の例で考えてみる。
 たとえば、水素と酸素を使って水の分子はできているが、この世にある一般的な〝水〟は、水の分子だけでできているわけではない。ミネラルなど、多くの夾雑物(ノイズ)というか、混入物を含んでいる。
 適度に混ざり物が含まれていて、おいしい水ができあがる。
 また一方で空気の成分は、体積比で酸素 20 % 強、窒素 80 % 弱、その他もろもろなので、当然水が凍った氷に混入している空気もそういう構成になるだろうけど、氷のどの場所で酸素と窒素の分子が動き回っているのかなどは、話題にもならず一般的にはあまり気にされた気配もない。
 そのように無視することでもともと無いものだと思い込める情報が、どれほどあろうと、そこには〝秩序〟が紛れもなくある。

 そうなると〝秩序〟とは、数値化可能なこの世の一部の、観測し計測された部分だけを抜き出してそのように称していることともなる。
 多分そうやって簡素化して構築されたシミュレーション・モデルを使って、この世の〝秩序〟が語られるのだ。
 まったくもってそれは観測者にとって都合のいいだけの〝秩序〟でしかない。
 もしかして、都合のいい状態が、秩序ある状態、なのだろうか。
 連想的には教育機関では、先生にとって都合のいい状態が、秩序のある状態でほぼ間違いないだろうけど。
 ついでにこのあたりで、秩序しかない世界に未来の希望はもてそうもない気もしてくるけど ……。

 自分なりに、〝秩序〟の定義というか意味合いを考えていて、最近やっと納得できた説明可能な状態が、そういうようなことでもあった。
 サイコロを何度か投げて、出た目の全部の順番を、完全復元可能な圧縮データで記録できるとき、そこにはある程度の秩序があるといえるだろう。
 ここで完全に復元可能な、というのは、確率の手法を用いずに圧縮するということである。
 具体的には、1 万回サイコロを投げて、全部同じ目であれば、それがたとえば 6 だったとして、〝 6 を 1 万回記録〟する代わりに、〝 6 が 1 万回と記録〟すれば、情報量は遙かに少なくて済み、かつ完全に復元が可能である。
 実はデータ圧縮についてのこういう考え方は、ポスト・ヒューマン誕生に説明されていた。
 そうやって雑多な情報の中から、圧縮されたデータに注目していくことで、秩序は構成できる。

 かくして、主観的な〝秩序〟とはやはり、ピックアップした情報以外はないことにして都合のいい有効な情報のみで構築された世界観なのだ、ということにすれば辻褄もあってくる。
 そういう次第を経て、ようやくこの世も〝秩序〟だらけの様相を呈すこととなる。
 こんな感じで、秩序は気にいらない情報を無いものとして排除することで誕生するのだろう。無視も排除もできずに残された情報が、把握しきれない時、おうおうにして無秩序と呼ばれる。


アプリオリな体系の秩序
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/systems/order.html

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