2018年3月11日日曜日

アプリオリな「場所認識」能力

 ずっと以前に参照した資料唯脳論には、こんなことが書いてあった。

脳という物質塊から、心というわけのわからぬものが出てくるというのは、変と言えば変である。したがって、この点を問題として指摘する習性が、文科系の人たちには、昔からあった。
 唯脳論は、この素朴な問題点について、それなりの解答を与える。脳と心の関係の問題、すなわち心身論とは、じつは構造と機能の関係の問題に帰着する、ということである。
〔養老孟司『唯脳論』1989年 青土社 (p.30)

―― 次のページには、こんなことも書いてある。

 心を脳の機能としてではなく、なにか特別のものと考える。それを暗黙の前提にすると、「脳をバラしていっても、心が出てこない」と騒ぐ結果になる。それは、おそらく間違いである。「出てこない」のは正しいのだが、その意味で言えば、循環だって、心臓から出てくるわけではない。心が脳からは出てこないという主張は、じつは「機能は構造からは出てこない」という主張なのである。それは、まさしくそのとおりである。ただし、それは、心に限った話ではない。心は特別なものだという意識があるから、心の場合に限って、心という「機能」が、脳という「構造」から出てこないと騒ぐ。
〔同上 (pp.31-32)

―― ずっと先のほうでこういうことも書いてあった。

 言語を用いれば、相手の考えがある程度わかる。なぜか。それは言語を表出する側と、それを聞いている、あるいは読んでいる側で、似たような脳内過程が生じているからである。言語の場合、その類似の厳密性は数学よりも弱い。したがって、数学はより明確に脳の機能を反映する。あるいは、より基礎的な脳の機能を示す。
〔同上 (pp.115-116)

 はじめのほうの引用文に関しては〝「構造」から「機能」が創発する〟と、読むことができる。
 あとのほうは、ようするに、〝共通の構造から発生する共通の機能が相互理解を可能とする〟ということだ。
―― そういう人類に共通する理解力というか理性について、エドムント・フッサールは幾何学の起源で、次のように語った。
* Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie, Eine Einleitung in die phänomenologishe Philosophie, (M. Nihoff, La Haye 1954) Beilage III zu 9 a, ss 365‑385.

 <このアプリオリの開示において>のみ、あらゆる歴史的事実性、あらゆる歴史的環境、民族、時代、人間性を越えたアプリオリな科学が存在しうるのであり、このようにしてのみ、「永遠の真理」としての科学も登場することができる。このような基礎のうえにのみ、時をへて空虚になった一科学の明証から本源的明証へ問いかえす確かな可能性がもとづいているのである。
 いまやわれわれは、理性の広くかつ深い問題地平、すなわちまだいかに原始的であっても、「理性的動物」であるあらゆる人間のうちで働いている同じ理性の問題地平の前に立っているのではないだろうか。
〔新版『幾何学の起源』田島節夫(他)訳 2003年 青土社 (pp.303-304)

 かくして、まさに〝共通の脳構造〟という〈進化によって刻まれた歴史性〉が、アプリオリに認識される共通の感性の基盤なのだともいえる。
 アプリオリな空間認識能力への興味と研究は、哲学だけでなく、脳科学の分野に及んだ。
―― その、実験がもらたした成果について、理化学研究所 脳科学総合研究センター編集のつながる脳科学に次のような記述があった。

 18 世紀にドイツで活躍した哲学者のイマヌエル・カントは、彼の著書『純粋理性批判』の中で、「空間はアプリオリに( a priori : 経験に先立って)脳の中で認識される」と提唱しました。つまり人間の心には、あらかじめ空間を直感的に認識できる能力があるというのです。別の言い方をすれば、我々の外にある空間とは、我々の心が作るものであり、どのように世界を捉えているのかは、我々の認識そのものにかかっている、と考えたわけです。
 もちろん現代科学では、心の在り処を脳にあると考えます。カント哲学に触発された神経生理学者のジョン・オキーフ博士は、視覚や聴覚のために脳の感覚野があるならば、空間認識のための脳部位が存在するに違いないと考えました。そして 1970 年代に、空間情報をつかさどる「場所細胞」と呼ばれるニューロンを見つけたのです。この功績で、オキーフ博士は 2014 年度のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
〔『つながる脳科学』藤澤茂義「第 2 章 脳と時空間のつながり」2016年 講談社ブルーバックス (p.60)

 ノーベル賞を受賞するに至る、きっかけとなったカントの主張は、世界に存在するだろう〈物自体〉を直接認識することはできないけれど、感覚を通じて捉えられる現象で、ある程度の概念を得ることはできる、ということのようだ。それはあくまで〈物自体〉ではなくて、その印象に過ぎないけど。
 そのように、世界に対する客観的な概念も基盤となるアプリオリな感性がなければ、経験からだけではそもそも妥当には認識できないだろう、という、とても難しい哲学の話も、自然科学の実験で追試可能な場合もあるのだった。
 これらアプリオリな認識能力は、空間だけでなく、時間にも適用される。時間は、生命のリズムだ。
 スーパーストリングの振動が、いのちの鼓動になった、リズムの起源なのだろうか。


偶然と必然の蓋然(がいぜん)性
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/systems/probably.html

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