2018年2月9日金曜日

実験モデルは単純化された 仮想現実である

 サンタフェ研究所の研究員でもあったメラニー・ミッチェルの著書ガイドツアー 複雑系の世界(“COMPLEXITY: A GUIDED TOUR, FIRST EDITION” 2009) の第 14 章にコンピューターモデリングの注意点として、次の引用文がある。

どんなモデルも間違っているが、なかには有用なものもある。
 ジョージ・ボックス、ノーマン・ドレイパー[*23]
*23 Box, G. E. P. and Draper, N. R., Empirical Model Building and Response Surfaces. New York: Wiley 1997, p. 424.
〔『ガイドツアー 複雑系の世界』高橋洋訳 2011年 紀伊國屋書店 (p.367)

―― これはそのあとの本文で、次のように、解説される。

つまり正しくない側面をまったく含まないモデルなど存在しないが、高度に複雑なシステムの探究に取り組むにあたってきわめて有用なモデルも存在するということだ。追試によって、簡単には見分けられない非現実的な仮定をあぶり出したり、どんな理想化されたモデルにもパラメーター設定が必須であるが、それに対するシステムの鋭敏さを明確化したりできる。もちろん追試は実験科学の場合と同様に、何度も繰り返されなければならない。
〔同上 (p.370)

 現実を単純化して問題点を明確に捉えようとするのが、モデル化の大きな目的のひとつだ。
 モデル構築の際、問題点の洗い出し作業という洗練を行なっている最中に、重要な要素を気がつかずに削り落としてしまう場合も想定される。
 だから、繰り返しの追試が必要になるのだ。
 どうしたって、シミュレーション・モデルは、本物ではない。
 それに加えて、複雑系の科学では「初期条件に対する鋭敏さ」が強調される。
 だからパラメーターなどの初期設定をさまざまに変更して、現実に即した条件を見つけ出そうとする試みが繰り返される。
 最大のあやまちは、モデルを現実と、混同してしまうことだろう。
 つまり、モデルが現実そのものの表現であると、思い込む罠だ。
 けれどもしもその仮想空間が現実の完全な写像であれば、それはすでにモデルではない。つまり現実それ自体となる。
 イデアの理想を現実と思い込めば、研究者自身が、カオスと化す。
 モデリングの落とし穴がそのあたりにあるらしい。

―― 金子邦彦と津田一郎の共著複雑系のカオス的シナリオでは、モデルが虚構であることを積極的に捉えた、仮想世界の構築というアプローチが語られる。

仮想世界の構築によるアプローチは特に、進化のような歴史性という要素の入った現象の理解には欠かせないのではないかと考えられる。歴史的に一つのパスを通って起こってきたような現象は再現性を重んじる従来の科学の俎上にはのらないのではないかという議論がしばしばなされてきた。これに対し、人工的な世界をつくることは、ありえたかもしれないパスを眺観していくことを可能にするので進化や脳のような発展、変化する系の問題への新しい切口を開きうるのではないだろうか。
 まとめると、複雑系の理解においては次のような特徴があるように思われる。―― 現象により密着してたてられたモデルが必ずしも普遍的記述力をもつとは限らない。逆に現実からやや距離をおいたモデルが大きな記述力をもちうる。そこで、仮想世界を計算機の中に構成し、その仮想世界を研究することで逆によりよく現実の系を理解できる。―― この特性はフィクションによって真実がより伝えられるという小説の特徴を思い起こさせる。
〔『複雑系のカオス的シナリオ』1996年 朝倉書店 (p.26)

 モデルを、現実を再現するものではなく現象を記述するものとして構築しようというのだ。
 それは複雑系を複雑な要素の集合ではなく、複雑な現象として、記述しようとする試みだ。


協調進化の アルゴリズム
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/systems/algorithm.html

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