2016年6月6日月曜日

旧約聖書の黙示録「ダニエル書」

 たわたわと言の葉を連ねて、ようようこたびが、101 回目となるようだものひとまずそれを記録しておき。そしてどうやら日付は 2016.6.6. である。
 特に関係するわけではないが “666” が聖書に登場するのは、「ヨハネ黙示録」第13章18節だ。
 それは獣の数字であり、人間をさしているという。

 さていつの世にも、終末の日を語りたがる新興宗教というのは、一部の人々にもてはやされるようだ。
 ――
 黙示録というのはそういう、終わりの日、終わりの時の幻視を書き留めた記録であるとも、解釈されようか。

 日本語で「黙示録」というと、ほぼ「ヨハネによる黙示録」のことである。
 英語で The Apocalypse というのは、やはり「ヨハネ(による)黙示録」のこととなる。
 つまり「黙示録」といえば、すなわち新約聖書の「ヨハネの黙示録」のことであるとほぼほぼ決まっているのだが、その「ヨハネ黙示録」に描かれる幻視の原体験は、旧約聖書の「ダニエル書」にある。
 部分的に、そっくりなのである。
 ただ、「ダニエル書」の幻視は時代的に〝バビロン捕囚〟の終わりの日を待望するものなのだけれども、「ヨハネ黙示録」に登場する、邪悪の都市〝大いなるバビロン〟というのは、当時キリスト教徒を支配していた〝ローマ〟の暗喩となっているらしい。
 つまり新約聖書で倒されるべき〝大バビロン〟とは、現実の〝ローマ〟のことであり、未来や近未来の悪の帝国のことなのではない――という解釈は、遅くとも 20 世紀以来の定説となっているようだ。
――が。まっとうな (?) 学説などが、信仰とは無関係であることは、古来からのしきたりでもある。

 学者は、いつの世にも、わかったようなことばかりをいい、しかし新興する宗教ほどには信頼を勝ち取れないでいる。
 そうして旧約聖書の黙示録「ダニエル書」はイエスの死後に練り直されて、やがて『聖書』の末尾を飾ることとなる。
 その当時はまさに、イエスの弟子たちと使徒パウロは、審判の日を待ち望む新興宗教の一派であった、のだから……。
 いまではそれが、多くの人々の信心となっていて――そうして、その待望される「審判の日」はどうやらこうやら未だ来ていない。
 ちなみに、「黙示録」と呼ばれる文書は、いにしえの時代以来いくつも作成されているとやら。


ダニエル書とヨハネ黙示録
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/quest/Apocalypse.html

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