特に関係するわけではないが “666” が聖書に登場するのは、「ヨハネ黙示録」第13章18節だ。
それは獣の数字であり、人間をさしているという。
さていつの世にも、終末の日を語りたがる新興宗教というのは、一部の人々にもてはやされるようだ。
――
黙示録というのはそういう、終わりの日、終わりの時の幻視を書き留めた記録であるとも、解釈されようか。
日本語で「黙示録」というと、ほぼ「ヨハネによる黙示録」のことである。
英語で “The Apocalypse” というのは、やはり「ヨハネ(による)黙示録」のこととなる。
つまり「黙示録」といえば、すなわち新約聖書の「ヨハネの黙示録」のことであるとほぼほぼ決まっているのだが、その「ヨハネ黙示録」に描かれる幻視の原体験は、旧約聖書の「ダニエル書」にある。
部分的に、そっくりなのである。
ただ、「ダニエル書」の幻視は時代的に〝バビロン捕囚〟の終わりの日を待望するものなのだけれども、「ヨハネ黙示録」に登場する、邪悪の都市〝大いなるバビロン〟というのは、当時キリスト教徒を支配していた〝ローマ〟の暗喩となっているらしい。
つまり新約聖書で倒されるべき〝大バビロン〟とは、現実の〝ローマ〟のことであり、未来や近未来の悪の帝国のことなのではない――という解釈は、遅くとも 20 世紀以来の定説となっているようだ。
――が。まっとうな (?) 学説などが、信仰とは無関係であることは、古来からのしきたりでもある。
学者は、いつの世にも、わかったようなことばかりをいい、しかし新興する宗教ほどには信頼を勝ち取れないでいる。
そうして旧約聖書の黙示録「ダニエル書」はイエスの死後に練り直されて、やがて『聖書』の末尾を飾ることとなる。
その当時はまさに、イエスの弟子たちと使徒パウロは、審判の日を待ち望む新興宗教の一派であった、のだから……。
いまではそれが、多くの人々の信心となっていて――そうして、その待望される「審判の日」はどうやらこうやら未だ来ていない。
ちなみに、「黙示録」と呼ばれる文書は、いにしえの時代以来いくつも作成されているとやら。
ダニエル書とヨハネ黙示録
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/quest/Apocalypse.html
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