このことについて、中村雄二郎氏が現代文で解説されている一節があります。
すなわち、本居宣長や平田篤胤などの国学者は古い御陵やことばを探索する一種の考古家にすぎず、したがって天地自然の理についてはまったく暗い。他方、伊藤仁斎や荻生徂徠などの儒学者たちは、聖人のことばについて新しい解釈を生み出したが、所詮はただ昔の聖人の教えをあれこれとあげつらっているだけにすぎない。わずかに仏教の僧侶中には、創意をもって新しい宗派を開いたものがあったが、それとても宗教家の域を出でず、純粋の哲学とは言えない。明治以後になると、加藤弘之や井上哲次郎などがみずから哲学家と称しているが、実はただ西洋の学説を輸入し知識をひとりじめしているだけのことにすぎない。哲学は誰にでもわかるようにすぐ役に立つわけではないが、無用の用をなしており、哲学を欠いた国民はなにごとにも思慮が乏しく浅薄であるのを免れない。
…………
兆民はなにも、日本における哲学の可能性を否定し去ろうとしたのではない。むしろ、その可能性を願っていたために、日本人として厳しい自己批評を行なったのである。
〔岩波現代文庫『西田幾多郎 Ⅰ』 (pp.11-12) 〕
中村雄二郎氏の、この本は、
《本書は、岩波書店より 1983 年 7 月に刊行された『西田幾多郎』(20世紀思想家文庫)を改題した新編集版である。》 と、「原著『西田幾多郎』あとがき」の、次のページに書いてあって、
その「あとがき」には、つぎのような記述があります。
〈20 世紀思想家文庫〉の一冊として『西田幾多郎』を私が書くことが新聞広告などの予告に出てから、何人もの人たちから意外なことばを聞いた。みんな私に向かって言うのである。
《中村さん大丈夫ですか》と。
はじめは私も耳を疑った。それがなにを意味するのか皆目見当がつかなかった。が、やがて、みんなそれぞれに心配して下さっていることがわかった。
…………
《どうせ挑発的な西田論をお書きになるんでしょう》ということばにもひっかかった。私はものを書く場合、書くことで発見がないようなものは書きたくないと思っているし、読者になにがしかの知的刺激を感じていただくには、書いている本人自身のなかにたえず発見がなければならないと思っている。しかしそれは、徒らに鬼面ひとを驚かすというのとはちがうのである。
また、氏により紹介されていました、小林秀雄「学者と官僚」(昭和 14 年)を、新しい文庫本で探しましたところ、その最後に印象的な句があり、それは以下のように結ばれていました。(辻褄 [つじつま] 合わせでただ合理化する理論が思想の正しさとは無関係であるという一文に続いて。)
行為の合理化という仕事が、思想というものだと思っている。思想が行為である事を忘れて。
過去の行為を合理化するのはやさしい仕事だ、未来の行為を合理化するのもやさしい仕事だ。予想出来る未来などというものは、一種の過去に過ぎないからだ。仕事がやさしいから、学者達は飛んでもなく遠くの方に馳け出して了う。世界史の運命まで行かないと承知しない。併し、人間は世界史などというものを、本当には了解した例しはなかったし、将来も絶対にないのである。そんなものの前で、人間は判断する事も、決心する事も、行為する事も出来ない。
〔講談社文芸文庫『小林秀雄全文芸時評集 下』 (p.226) 〕
哲学とか思想というのは、先人の注釈や解説書を書いて終わったり、予定調和的に――予測可能な未来の――、その、予測できることばかりを語ることではないのだと、このたび、あらためて知らされたように思います。
結果論で語られる〈あと出しジャンケン〉のような理屈が〈哲学〉と無関係であることは、まあ当然かと……いうわけで。
きっと、哲学を学ぶことと、哲学者になることとは、おおいに異なるのでしょう。
〖明治の末期〗日本の哲学の黎明
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/modernAge.html
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