《神の杉》とはそのまま《神》のことであり、
《神の杉の森》もまた《神》に等しい存在だ。
「ギルガメシュ叙事詩」では《神の杉の森》の番人は、
〈フワワ〉もしくは〈フンババ〉という名をもつ。
ギルガメシュは、《神》に等しいその〈フワワ〉を殺して、
〈フワワ〉の生首をギルガメシュの《神》に捧げる――。しかし、
《神の杉の森》の番人〈フワワ〉は、彼の《神》の支配下にある存在であった。
その生首を見て、《彼の神》の怒りは、ギルガメシュ彼自身に向けられる。
太古の時代、森林への人類の侵食はこのように始まったと思われる。
自然という《神》に善悪はない。
ただ〈自然の息吹〉がそこにあり、〈生命の躍動〉がそこにある。
〈フワワ〉の森はアニメ「もののけ姫」の〈シシ神〉の森と重なる。
正邪はなく――ただ〈生命〉が、そこにはある。
人類の定住と農耕(文化)は、森林破壊へと直結していく。
農耕とは「カルチャー」であり、すなわち「文化」を意味する。
それが人類の〈文明の曙〉だ。
レバノンの杉は、聖書でも繰り返し、切り倒される。
レバノンの杉は、「イザヤ書」で、バビロンの王が切り倒されるのを喜ぶ。
そのレバノン杉の、《神の杉の森》 は、世界遺産に登録されたが、
レバノン共和国全体では、いまや無惨ともいえる状況であるという。
神話「ギルガメシュ叙事詩」の課題は、21 世紀に至ってなお、解決されていない。
レバノン 《 神の杉 》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/Messias/Isaiah.html
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