しかしながら、これまでのところ、サタンは〝あくまでも〟《神》に許可された範囲内で行動しているにすぎません。
すべては、おおいなる《神》の計画のもとに、事態は進行していくのが『聖書』の世界観なのです。
そして、さらには、これから概観しようとしている〈メシヤ〉の登場シーンをみていきますと、イスラエルに敵対する王すらも《神》のしもべだというではありませんか。
それらの敵対者も、《神》のいいなりに行動しているとされているのです。
いったい、世界はどうなっているのでしょうか。
それにしても、世界には〈悪〉がはびこり過ぎているのです。
――だからでしょう。新約聖書では、この問題を解決するために、〈サタン〉が《神》に至る道を妨げる敵対者として位置づけられることになりました。
新約聖書は、キリストと呼ばれたイエスの生涯と教えを中心とする物語です。キリストは、ヘブライ語に発する〈メシヤ〉をギリシャ語で表現したものです。それがラテン語に音写されそのまま英語に引き継がれました。
説明しよう、
・ヘブライ語の〈メシヤ〉がギリシャ語〈キリストス〉に翻訳された
・ヘブライ語の〈メシヤ〉がギリシャ語とラテン語の〈メシアス〉に音写された
・ギリシャ語〈キリストス〉がラテン語〈キリスタス〉に音写された
・そうこうしているうちに音写語〈クリストゥス〉が英語の〈クライスト〉になった
・その後ポルトガル語の〈キリスト〉が日本語の〈吉利支丹⇒切支丹〉になった
・いうまでもなく以上のカタカナ表記はいいかげんなものだが参考にはなるかもしれない
ちなみに英語の〈メシヤ〉は〝メサイア〟というような発音になる。
この〈メシヤ〉という語は、それぞれ発行所の異なる『口語訳聖書』と『新改訳聖書』で用いられているもので、『口語訳聖書』と同じ日本聖書協会から発行されている『新共同訳聖書』では〈メシア〉と表現されています。
ギリシャ語にも、ラテン語にも、英語にも、〈キリスト〉と〈メシヤ〉の両方の語(ごい)がありますが、両方とも、もともと同じ言葉から作られたものですから当然同じく、「救済者」としての「救世主」を意味し、キリスト教では特に、〈インマヌエル――神は我らと共に――〉とも呼ばれたイエス個人を指し示すことになります。これは「イザヤ書」第 7 章 14 節をもとに作られた福音書の言葉(マタイ福音書 1 章 23 節)であり、由緒正しい表現なのですが、ユダヤ教では、預言された救世主は未だ現れていないことになっているので、新約聖書に基づく表現はまったく由緒正しくなどないのです。
単語としては、ラテン語の辞書に〈メシヤ〉は発見できなかったのですが……。
――さて。
新約聖書では、
「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう」
〔「マタイによる福音書」第 24 章 5 節〕と、イエス自身によって語られるごとくに
〈キリスト〉と偽預言者(にせよげんしゃ)である〈反(アンチ・)キリスト〉との最終戦争でもあります。
それが「ハルマゲドン」と呼ばれるのは、
偽預言者がハルマゲドンの丘に全世界の王たちを招集したからです(ヨハネ黙示録 16 章 16 節)。
ここでもやはり、〈サタン〉は《神》により許された期間だけ地上を支配可能となります。
「キリスト対アンチ・キリスト」これをもうひとつの表現で示せば「メシヤ VS. 裏メシヤ」とでもなりましょうか。
これこそが、キリスト教の最大テーマなのですが、少々具合が悪いので今後は〈メシヤ〉ではなく〈メシア〉としましょう。
このように、敵対者〈サタン〉はキリスト教の必需品となった次第で――
このこと(キリスト教にサタンが必要だということ)は、研究者によって、しばしば言及されていることでもあります。
敵対者からの《神》による救済が信仰の基盤にあるならば、この「キリスト対サタン」の構図は必然ともいえるでしょう。
今回は、メシア教とも翻訳できるキリスト教の肝(きも)であるところの救済者〈メシア〉の
旧約聖書における画期的な登場シーンで、それなりに衝撃的なものを提示してみました。
有名な歴史的事実らしいです。次回以降に、少し詳しく調べてみるつもりです。
で、そのことにも言及されている『七十人訳聖書入門』の引用紹介ページも作成しました。
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/Messias/Septuaginta.html
まずは先ぶれのインデックス・ページとして。
Messiah : Messias
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/Messias/
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