〈セラフィム〉と〈ケルビム〉
ダンテ『神曲』で描かれる、地中深くに墜落した悪魔王は、六枚の翼を持つ。これは〈セラフィム〉の特徴だという。
一方、トマス・アクィナスの論によれば、悪魔王とされる伝説の堕天使は〈セラフィム〉ではなく、〈ケルビム〉だという。
〈セラフィム〉というのは「セラフ」の複数形である。そして、「ケルブ」の複数形が〈ケルビム〉なのであるが、これは「創世記」第三章で、回る炎のつるぎとともにエデンの東に置かれた守護者として『聖書』の冒頭から、いきなり登場している。
両者ともに日本語では、単体でも複数形の語が慣用として使われているようなので、この場はそれにしたがうことにする。
―― 「出エジプト記」第二十五章では、
〈ケルビム〉はまた、一対で十戒の箱を守るべく向き合ってその蓋の上(両端)に乗る、〔その解釈によれば〕人面有翼の獅子〈スフィンクス〉でもある。
―― 「イザヤ書」第六章では、
〈セラフィム〉は、確かに六枚の翼を持つと記述されている。
〈セラフィム〉は「熾天使」と翻訳されており、〈ケルビム〉は「智天使」となる。
通例というか、一般的に、みずからの知恵におごりたかぶった天使が堕天使となったという、都市伝説があるようだが、おそらくそれは、トマス・アクィナスらの説によるものであろう。
――トマス・アクィナスはその『神学大全』でも「天使論」を展開しているのであるが、その説明は、語源的に、合致しないものがある。
「ケルビム」 Cherubim とは『知の充満』 plenitudo scientiae の意に解され、これに対して、「セラフィム」 Seraphim というのは、『灼熱させる者』 ardentes 乃至は『燃えあがらせる者』 incendentes の意に解される。かくして明らかに知られるごとく、「ケルビム」なる名称は知に由来し、「知」scientia というものは然し、不治の罪 mortale peccatum と両立することができる。一方、「セラフィム」なる名称は、「愛」 caritas の「灼熱」 ardor に由来するものであり、「愛」なる徳は然し、不治の罪と両立することのできないものなのである。罪の天使の第一なる者に附せられた名称が、「セラフィム」でなくて「ケルビム」であったのはこのゆえにほかならない。
〔『神学大全』第六十三問題第七項〕
ディオニシウス『天上階序論』を援用して、このように説明されたもののようであるが、実は、
〈セラフィム〉は語源的には「蛇」のようなものであり、
〈ケルビム〉のそれは「祈る者」であるとされている。
あいにく思い上がるための「知」も燃え上がる「愛」も関係なさそうなのだ、が――。
しかしながら、当然ではあろうけれども、
語源と、都市伝説あるいは信仰ともまた、関係があろうはずもないのである。
ダンテとトマス・アクィナス : ― 魔王の墜落 ―
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/Dante.html
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