2021年5月19日水曜日

弥勒菩薩が〈毘盧遮那〉という名の転輪聖王だった話

 前回は、「照らす」とか「太陽神」を意味する〈ヴィローチャナ〉というサンスクリット語が〈阿修羅(アスラ)〉の名前に使われていて、また

〝インドの古典『マハーバーラタ』でも、〈ヴィローチャナ〉は〈アスラ〉の名前なのですけれども、〈ヴィローチャナ〉の息子を〈バリ〉といい、〈バリ〉は〈ヴァイローチャナ〉とも呼ばれるようです。〟

とかなんとか書いた最後に、

〝続けて調べていくと、未来の救世主〈弥勒菩薩〉まで出てきて、話が転転 ……〈転輪聖王〉は「てんりんじょうおう」と読むらしいのですけれど。〟

とも書きましたが、〈転輪聖王〉とは〝世界を治める理想的な正義の王〟らしいです。

 というわけで今回は、〈弥勒(マイトレーヤ)〉が〈毘盧遮那(ヴァイローチャナ)〉という名前の〈転輪聖王〉であったことが述べられている仏教経典を参照いたしましょう。


 現在のところサンスクリット語のみで伝わっている『マハーヴァストゥ (Mahāvastu) 』という仏教の経典は、『岩波 仏教辞典 第二版』(p.957) に、

「〈大事 だいじ〉と訳される大衆部 だいしゅぶ の説出世部所伝の釈尊 しゃくそん の伝記を伝える経典」

等と説明されていて、またその内容の一部が漢訳仏典の『仏本行集経(ぶつほんぎょうじっきょう)』に一致することが知られています。

 その『マハーヴァストゥ』第 1 巻 59 ページの内容が、次のように紹介されており、それは漢訳経典では『大正新脩大蔵経』第 3 巻 656 ページの中断に該当するようです。



『渡辺照宏 仏教学論集』

〔渡辺照宏/著 昭和57年07月30日 筑摩書房/発行〕

 XIX VirocanaVairocana ―― 研究序説 ――

〔 1965 年 12 月、高野山開創千百五十年記念「密教学密教史論文集」(高野山大学)pp. 371‑390 〕

 (p.420)

 Mahāvastu I, p. 59: “Suprabhāso nāma Mahāmaudgalyāyana tathāgato ’rhaṃ samyaksaṃbuddho yatra Maitreyeṇa bodhisatvena prathamaṃ kuśalamūlāny avaropitāni rājñā Vairocanena cakravarti-bhūtena āyatiṃ saṃbodhiṃ prārthayamānena //”



『大正新脩大藏經』 第三卷 本緣部上

「佛本行集經卷第一」

 (p.656)

目揵連。我念往昔。有一如來。號曰善思多陀阿伽度阿羅訶三藐三佛陀。於彼佛所。彌勒菩薩。最初發心。種諸善根。求阿耨多羅三藐三菩提。時彌勒菩薩。身作轉輪聖王。名毘盧遮那。



『國譯一切經』 本緣部 二

〔常盤大定・美濃晃順/譯 昭和06年12月15日 大東出版社/發行〕

「佛本行集經」卷の第一

 (p.6)

 (16) 目揵連よ、我念ずるに、往昔、一如來の號して [34] 善思 (Sucinta?) 多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三佛陀と曰へるありき。彼の佛の所に於て、彌勒菩薩、最初に發心し、諸の善根を種ゑて阿耨多羅三藐三菩提を求めき。時に彌勒菩薩、身、轉輪聖王と作りて毘盧遮那 (Vairocana) と名く。


【34】 善思、三本に「善念」に造り、大事 (Vol. I. 59) には Suprabhāsa(善光)とす。以下、彌勒及牢弓王に關する傳、大事卷一、五九~六〇頁に一致す。



✎ 引用に際しての付記:〝牢弓王に関する伝〟は、次のように始められています。


 (17) 目揵連よ、我念ずるに、往昔、一佛あり、示誨幢如來 (Aparājita-dhvaja) と名く。目揵連よ、我、彼の佛國土の中に於て轉輪聖王と作り、名けて窂弓 (Dṛḍhadhanu) と曰ふ。初めて道心を發し、諸の善根を種ゑて阿耨多羅三藐三菩提を求めき。


✐ 上の弥勒菩薩についての内容の一部をもう少しわかりやすい日本語で書くと

「彌勒菩薩、最初に發心し、諸の善根を種ゑて阿耨多羅三藐三菩提を求めき。時に彌勒菩薩、身、轉輪聖王と作りて毘盧遮那 (Vairocana) と名く。」

は、

「弥勒菩薩が最初に菩提心を起して、種々の善因・善根を積んで《阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)》すなわち《無上の真実なる完全な悟り (anuttarā samyaksaṃbodhiḥ) 》を求めた時、弥勒菩薩は毘盧遮那(ヴァイローチャナ)という名前の転輪聖王となったのでした。」

というあたりでしょうか。


―― その他の原典等を含めて、参照・引用したページを、以下のサイトで公開していますので、引用した資料の詳しい内容は、そちらをご覧くださいませ。


リグ・ヴェーダのアスラ

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/asura.html


2021年5月14日金曜日

アヴェスターのアフラ/ヴェーダのアスラ

 ヴェーダの〈アスラ〉は、仏典で〈阿修羅〉という漢字が多く用いられ「あしゅら」と呼ばれています。


 ゾロアスター教やバラモン教についての解説書などを紐解きますれば、その昔イラン高原を目指したアーリア人が聖典として『アヴェスター』を残し、インドに進出した別のグループが聖典として『ヴェーダ』を残したと、おおむねそのように説かれています。

 イラン高原の聖典『アヴェスター』における最強の光の神が〈アフラ・マズダー〉で、その神格は「アフラ(主)」と「マズダー(叡智)」の、ふたつの語によって示されるといいます。

 かたやインドの聖典『ヴェーダ』では、〈アフラ〉と語源を同じくする〈アスラ〉はいつしか神々に敵対する側の勢力、すなわち魔軍の名前とされ、悪魔の一族とみなされるように変遷していきます。

 そしてそれらの神話を構成する、原始アーリア人社会には厳格な階級の区別があって、最上位に神官階級が設定されていたわけです。

 ひとまずここでそのあたりの事情を解説書から抜粋しておきましょう。


『新ゾロアスター教史』

〔青木健/著 2019年03月28日 刀水書房/発行〕


「プロローグ 原始アーリア人の民族移動」

 第一節

 (p.11)

 マルギアナ・バクトリアまで南下した原始アーリア人は、紀元前一五〇〇年ころに再びなんらかの理由で第二次民族移動を開始し、東方のインド亜大陸をめざすグループと西方のイラン高原をめざすグループに分かれた。前者は、インダス文明を築いたとみられる先住のドラヴィダ人の居住空間に入りこみ、インド亜大陸の支配者となった。インダス文明の滅亡と原始アーリア人の侵入の時期は微妙に重なるものの、両者の間に因果関係があったとは証明されていない。ともかく、地味豊穣のインド亜大陸に定住したアーリア人は、先住民族ドラヴィダ人の宗教を吸収してバラモン教を創案し、後世それをヒンドゥー教へと脱皮させながら、長くインド亜大陸の文化的規範を創りあげた。


 第二節

 (pp.14-15)

 神官階級が祈りを捧げるべき神格は多岐にわたるが、大別すれば、倫理的機能を司るアフラ神群(サンスクリット語でアスラ神群)と、自然的機能を司るダエーヴァ神群(サンスクリット語でデーヴァ神群)に二分することができる。

  • アフラ神群 ―― ミスラ、ヴァルナ、アルヤマンなど
  • ダエーヴァ神群 ―― インドラ、ナーサティヤなど

 のちに、原始アーリア人がイラン高原とインド亜大陸に分かれると、どちらの神群を重視するかの取捨選択がはっきりと分かれた。イラン高原のアーリア人は、アフラ神群を尊んで人間の倫理的規範を重視し、善と悪を峻別した。この選択で損をしたのはダエーヴァ神群で、本来はアフラ神群と対立するような存在ではない別系統の神々だったのが、一転して悪魔の地位にまで貶[おとし]められた。ゾロアスター教の善悪二元論の教えも、起源をさかのぼればこの選択の中に胚胎している。これに対し、インド亜大陸のアーリア人は、デーヴァ神群を尊んだものの、アフラ神群を排斥したわけではなかった。その結果、ヴェーダの宗教から、バラモン教、ヒンドゥー教へと、多神教的な発展を遂げていくことになる。



―― 勝てば神軍、負ければ魔軍、なのは世の常、神話の常。つまるところ、もともとは対等の神々だったふたつの神群が、その後の事情で、片方が〝悪いヤツ〟にされてしまったということのようです。

 ようするに仏教経典にも登場して、のちに《天龍八部衆》の一員にあげられる〈阿修羅〉は、そもそも単独の神ではなく、神々の派閥の名でした。バラモン教の『リグ・ヴェーダ』では、霊力の強い神々〈アスラ〉の代表として、ヴァルナとミトラが特に讃えられています。また初期の仏典でもいろいろな名前の「阿修羅王」が話題の中心にしばしば出てきます。

 そして、興味深いことには、イラン高原において〝光の神々〟であった〈アフラ〉の位置づけは、インドでも〈アスラ〉にその影響を残していたらしく、「照らす」とか「太陽神」を意味する〈ヴィローチャナ〉というサンスクリット語が、『チャーンドーグヤ=ウパニシャッド』で〈アスラ〉一族の代表者の名に用いられています。「ウパニシャッド」というのは『ヴェーダ』の〝奥義書〟とされる文献です。


 ここでさらに興味深いことにインドの古典『マハーバーラタ』でも、〈ヴィローチャナ〉は〈アスラ〉の名前なのですけれども、〈ヴィローチャナ〉の息子を〈バリ〉といい、〈バリ〉は〈ヴァイローチャナ〉とも呼ばれるようです。

 でもって、奈良・東大寺の大仏〔奈良大仏〕を〈盧舎那仏(るしゃなぶつ)〉といい、これは〈毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)〉に同じであるとされていて、〈毘盧遮那仏〉は最終如来である〈大日如来〉の別名なのですね。

 そしてこの漢訳された〈毘盧遮那〉は、サンスクリット語の〈ヴァイローチャナ〉であるという次第です。


 続けて調べていくと、未来の救世主〈弥勒菩薩〉まで出てきて、話が転転 ……〈転輪聖王〉は「てんりんじょうおう」と読むらしいのですけれど。


2021年5月7日金曜日

ウルヴァシーとフラワシもしくは魂のウルヴァン

 もはや先月のことになりますけれども、仏教経典の『大智度論』に〈ジャータカ〉として、《一角仙人》の物語が記述されている、ということを書きました。〈ジャータカ (jātaka) 〉というのは、もともとサンスクリット語で、一般には〈本生譚(ほんじょうたん)〉という和訳も多く用いられるわけです。

 この、《一角仙人》の物語はインドの古典『マハーバーラタ』では、次のようになっています。


『マハーバーラタ』 第二巻

〔山際素男/編訳 1992年05月15日 三一書房/発行〕

 森の巻 ❖ ヴァナ・パルヴァン[第三巻]

「ユディシュティラの巡礼」 角のある聖仙の話

 (pp.144-145)

 更に彼らは、大聖仙カシュヤパの息子であるヴィバーンダカの子、リシュヤシュリンガ(かもしかの角をもつものの意、仏教では一角仙人といわれる)聖仙の隠棲地に辿りついた。

 ローマシャは、そこでリシュヤシュリンガの行った奇跡について物語った。

「昔、聖仙ヴィバーンダカが長く厳しい苦行を行い、疲れた体を癒そうと湖に行き、体を洗った。その時、天界一の美女と謳[うた]われたアプサラス、ウルヴァシーの姿を見、欲情を覚え思わず水中に射精してしまった。ちょうどその時梵天ブラフマーの命[めい]で牝鹿になったウルヴァシーが渇きを癒そうと、その水を飲み聖仙[リシ]の精液も一緒に飲んでしまったのだ。そして身籠[みごも]ったのがリシュヤシュリンガである。生れつき彼の額には小さな角がありそのためリシュヤシュリンガ(鹿の角を持つ者)と呼ばれるようになった。



 ここで物語の舞台はインドを離れて、その西側の、とある湖へと移ります。

 興味深いことには、ゾロアスター教の伝説によると、ザラスシュトラ(ゾロアスター)の末裔が、救世主として 3 人生まれるというのです。

 というのは現在ではハームーン湖と呼ばれる湖(伝承ではカンス海)に、ザラスシュトラの精子がおそらくは〝冷凍保存〟されているからであって、世界が終末期を迎えると、その始まりから 1000 年ごとに、由緒ある 15 才の少女が、その湖の水を飲んでサオシュヤントと呼ばれる救世主をそれぞれ受胎するからなのでした。


 ⛞ そして、そのザラスシュトラの精子をフラワシ(守護霊・守護天使)がその間ずっと守り続けているということが、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』の「フラワルディーン・ヤシュト」に記述されているのでした。


『ゾロアスター教』神々への讃歌

〔岡田明憲/著 1982年10月25日初刷 1998年04月30日四刷新装版三刷 平河出版社/発行〕

「フラワルディーン・ヤシュト」 第二十節

 (pp.284-285)

62

義なる者たちの、善き、強き、聖なるフラワシを我らは祭る。

彼らは、彼の義なるスピターマ・ザラスシュトラの精子を見守る〔註150〕

九万九千九百九十九〔柱のフラワシ〕は。


註150 中世ペルシア語書『ブンダヒシュン』によれば、ザラスシュトラが彼の第三夫人たるフウォーウィーに近づいた際に大地に落ちた精子を、ナルヨー・サンハが受け、アナーヒターがカンス海へ運んだとされる。そして、このカンス海で水浴したる乙女によってサオシュヤントが出生するのである。



 ⛞ いっぽう、漢訳された仏教経典では「天女」などとされている、サンスクリット語のアプサラス (apsaras) の、もともとの意味は「天上の水精女」であることが辞書に書かれています。

 そして、『マハーバーラタ』の物語において、湖の水を飲み、一角仙人を生んだ、ウルヴァシー (Urvaśī) は、そのアプサラスたちの中でも特別扱いされていて、リグ・ヴェーダにも登場して半神族のガンダルヴァらと人間界をつなぐ役目をする、代表的な存在でした。


  そして「フラワルディーン・ヤシュト (§62) 」で、救世主の誕生までを見守るフラワシ (fravaši) は、


 フラワシを祭るハマスパスマエーダヤ(万霊節)は、ゾロアスター教の七大祭の一つであった。一年の最後に祝われるこの祭りの夜、フラワシは生ける人びとのうちに帰ってくるのである。

〔ちくま学芸文庫『宗祖ゾロアスター』前田耕作/著 2003年07月09日 筑摩書房/発行 p.216〕


と、位置づけられ、イランの言語で「霊魂」を意味するウルヴァン urvan(ソグド語 rw’n, ’rw’n )は《盂蘭盆》の原語であったとも考えられている、という次第であることが、そのほかのさまざまな文献からみえてきたのでした。


―― でもって、和訳された原典等を参照・引用したページを、以下のサイトで公開しています。


アヴェスターの救世主サオシュヤント

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/avesta.html


2021年5月1日土曜日

2021年4月27日火曜日

アミターバはアミダババアのプロトタイプ

 日本にはゴジラに匹敵する有名な怪獣に憑依した、アミダババア(阿弥陀婆)という魔物、ないしは妖怪変化(ようかいへんげ)が棲んでいる。

 棲んでいる、というのは、ひとびとの脳裡にひそんでいるという意味になる。


 このアミダババアの正体を探るために、ためしにサンスクリット語で書いてみると、


अमिदबभ Amidababha


とでもなろうか、これは、〈阿弥陀仏〉のサンスクリット語である、


अमिताभ Amitābha


と非常によく似ている。―― というのは、あえて論ずるまでもない話ではあろうが、

 説明しよう。

〈阿弥陀婆〉はアミダくじを介して〈阿弥陀仏〉をそのプロトタイプ(原型)としているからなのだ。


 ⛞ というわけで、前回、〝南無阿弥陀仏〟の〈南無〉について多少語ったので、〈阿弥陀仏〉についても少々調べてみることにしました。

 そもそも〝阿弥陀(あみだ)〟には、〝アミターバ〟と〝アミターユス〟の二種のサンスクリット語があって、それぞれ、〝アミターバ〟は〝無量光〟、〝アミターユス〟は〝無量寿〟と漢訳されています。

 ですから、〈阿弥陀仏〉には〈無量光仏〉と〈無量寿仏〉という別名があります。

 とりあえずはここで、〝アミターユス〟のサンスクリット語のデーヴァ・ナーガリー文字の紹介と合わせ、いま一度、〝アミダババア〟と〝アミターバ〟も併記しておきましょう。


अमिदबभ Amidababha

अमिताभ Amitābha

अमितायुस् Amitāyus


 さて、〝アミターバ〟と〝アミターユス〟のサンスクリット語の構成は、次のように解釈されています。


अमित-आभ amita-ābha  無量・光明

अमित-आयुस् amita-āyus  無量・寿命


 まずはさきに、最後の〝アーユス(寿命)〟の部分について辞書をみると、


आयुस् āyus  生命・寿命・長寿 【漢訳】命・寿・寿命・寿量


と、なっているわけです。そして、〝アーバ(光明)〟は、


-ābha  似たる ⇒ ābhā  【漢訳】如・光

आभा ābhā  光沢・光;色・美 【漢訳】光・光明・威光

ābhā ⇒ ā-bhā

ā  近く(……の中に・……の近くに)

bha = bhā  外観・類似

bhā  光輝・光明・壮麗光 ⇒ bha  【漢訳】光明


というような具合で、構成が少々ややこしくなっています。

 最後に、共通する〝アミタ(無量)〟の語を調べてみると、これもふたつの語に分解され、のみならず、かなり複雑な構成になっていました。


a-mita  無量の

 【漢訳】無量・無有量・無極・無尽

अ a-  〔母音の前では一般に an- 〕[否定的接頭音]

 【漢訳】不・非

मित mita  [過去受動分詞]量られた ⇒ Mā

 【漢訳】有量

मा   量る;測定する、区分する;横切る

 【漢訳】量度・量知多少・検量知多少


 つまり、〝マー(量る)〟という動詞が過去受動分詞の〝ミタ(量られた)〟に変形したところに、〝ア〟という否定の接頭辞が合体して、〝アミタ(量られない・無量)〟という語が完成し、さらにはそこから、最終形態の〝阿弥陀如来〟もしくは〈阿弥陀仏〉ないしは〈無量光仏〉〈無量寿仏〉という仏陀・如来が、仏教経典に登場する次第なのですな、なるほど。


2021年4月13日火曜日

ジャータカ:仏陀の〈本生譚〉のことなど

 仏教経典の『大智度論』に〈ジャータカ〉として、《一角仙人》の物語が記述されています。

 ここで〈ジャータカ (jātaka) 〉というのは、サンスクリット語で、


जातक Born, produced.

V. S. アプテ『梵英辞典』(改訂増補版)〔昭和53年4月15日 複製第1刷 臨川書店/発行 p.733 〕


「生まれたる」

【漢訳】生、本生、受生

「嬰児」

「誕生時の星辰の位置又は観測」

【漢訳】[星宿]生処。生経、本生経、降誕経、本生、本生之事

【音写】闍陀伽

『漢訳対照 梵和大辞典』増補改訂版 昭和54年8月20日 講談社/発売 財団法人鈴木学術財団/編・刊 p.498 〕


と、辞書にあり、一般には〈本生譚(ほんじょうたん)〉という和訳も多く用いられます。

 でもって、〈本生譚〉とは、修行を終えて仏陀となった釈尊の菩薩時代の前世(過去世)の物語なのですが、まずは、仏陀(ブッダ)という語などについて解説しておきたいと思います。


 後に仏陀と呼ばれる、古代インドの釈迦 (Śākya) 族の王子の名前が、ゴータマ・シッダールタです。

 ゴータマは姓にあたり、サンスクリット語では Gautama となり、パーリ語では Gotama となっていて、もっぱら瞿曇(くどん)と漢訳されています。

 シッダールタはサンスクリット語の名で Siddhārtha という発音で書かれ、いっぽうパーリ語ではシッダッタ Siddhattha という発音になっていて、悉達多(シッダッタ)・悉陀(シッダ)など種々に漢訳されます。

 仏陀を〈釈迦〉というのは〈釈迦牟尼(しゃかむに)〉の略称で、〈釈迦牟尼(シャーキャ・ムニ)〉はサンスクリット語で〝釈迦族の聖者〟の意味となります。

 サンスクリット語のムニ muni はもともと〝霊感を得た人〟の意味をもち、漢訳経典では「牟尼、牟尼尊」のほかに「仙、仙人、大仙、神仙、默、寂默、寂默者、仁、尊、仏」なとど訳されているようです。


 この釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタが、聖者として、シャーキャ・ムニと尊称されるわけです。

 シャーキャ・ムニ Śākya-muni は、〈釈迦牟尼〉と音写され、また〈釈尊〉と漢訳されています。この漢訳は〝釈迦族の尊者〟という意訳の省略形と考えればよさそうです。


 そしてサンスクリット語の過去受動分詞であるブッダ buddha が、〈仏陀〉と音写され、「覚者(かくしゃ)」あるいは「目覚めた人」と意訳されるわけです。この言葉はそもそも「目覚めた、完全に目覚めた」などという意味をもつ過去受動分詞なので、サンスクリット文献では、仏教に特有の用語というわけではないのですね。


 また、仏教の場合には、悟りを求めて修行中だった菩薩 (Bodhisattva, Bodhisatta) が、修行を完成して、最終形態の如来 (Tathāgata) となるわけですが、この如来(にょらい)という最終形態も仏教以前からの用語らしく、ジャイナ経典にも登場するそうです。

 ちなみに、タターガタ Tathāgata の tathā は〝その如く(そのごとく)〟というような意味で、gata は〝来れる(きたれる)〟という意味なので、合わせれば〝その如く来れる〟で〈如来〉となり、この漢訳が用いられるのは後漢の安世高に始まるようです。


 そして、仏教ではたとえば〈阿弥陀仏〉=〈阿弥陀如来〉で、すなわち〈仏陀〉は〈如来〉と同等の意味をもちます。

 そういうわけで、〝釈迦族の聖者である仏陀〟が〈釈迦牟尼仏〉=〈釈迦如来〉ということになります。


 ここで余談になりますけれども、称名念仏(しょうみょうねんぶつ)の代表格である〝南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ・なもあみだぶつ)〟の南無はサンスクリット語のナマス namas (namo) の音写で、「帰命(きみょう=帰依すること)」の意味なので、〝南無阿弥陀仏〟では「阿弥陀仏に帰依します」の意味をもつことになります。

 サンスクリット語の原典としては、『法華経』の〈南無仏〉という漢訳の部分が、

 namo 'stu buddhāya

〝仏に帰依したてまつる〟として、比較的容易に確認できるようです。

〔中村元著『広説佛教語大辞典 縮刷版』平成22年7月8日 東京書籍/発行 p.1277 〕


 namo 'stu buddhāya

『ブッダに敬礼(帰命)すべし』

 訳注 131

 buddhāya は、WT. では属格の buddhāna となっているが、その必要なし。namo 'stu buddhāya は、「仏陀に敬礼すべし」という決まり文句である。

〔植木雅俊訳『梵漢和対照・現代語訳 法華経 上』2008年3月11日 岩波書店/発行 pp.118-119, p.157 〕


 さて冒頭に、仏教経典の『大智度論』に〈ジャータカ〉として、《一角仙人》の物語が記述されています、と書きましたけれども、この物語は『大智度論』の著作者が、おそらくはインドの古典『マハーバーラタ』から採用したものです。

 ちなみに『大智度論』の著作者は、多少の疑いを残しつつ龍樹(ナーガールジュナ Nāgārjuna )ということになっていて、その龍樹は西暦 150~250 年頃のインドの人です。


―― でもって、それらの和訳された原典等を参照・引用したページを、以下のサイトで公開しています。


一角仙人と天女ウルヴァシー

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/veda.html