前回は、「照らす」とか「太陽神」を意味する〈ヴィローチャナ〉というサンスクリット語が〈阿修羅(アスラ)〉の名前に使われていて、また
〝インドの古典『マハーバーラタ』でも、〈ヴィローチャナ〉は〈アスラ〉の名前なのですけれども、〈ヴィローチャナ〉の息子を〈バリ〉といい、〈バリ〉は〈ヴァイローチャナ〉とも呼ばれるようです。〟
とかなんとか書いた最後に、
〝続けて調べていくと、未来の救世主〈弥勒菩薩〉まで出てきて、話が転転 ……〈転輪聖王〉は「てんりんじょうおう」と読むらしいのですけれど。〟
とも書きましたが、〈転輪聖王〉とは〝世界を治める理想的な正義の王〟らしいです。
というわけで今回は、〈弥勒(マイトレーヤ)〉が〈毘盧遮那(ヴァイローチャナ)〉という名前の〈転輪聖王〉であったことが述べられている仏教経典を参照いたしましょう。
現在のところサンスクリット語のみで伝わっている『マハーヴァストゥ (Mahāvastu) 』という仏教の経典は、『岩波 仏教辞典 第二版』(p.957) に、
「〈大事 だいじ〉と訳される大衆部 だいしゅぶ の説出世部所伝の釈尊 しゃくそん の伝記を伝える経典」
等と説明されていて、またその内容の一部が漢訳仏典の『仏本行集経(ぶつほんぎょうじっきょう)』に一致することが知られています。
その『マハーヴァストゥ』第 1 巻 59 ページの内容が、次のように紹介されており、それは漢訳経典では『大正新脩大蔵経』第 3 巻 656 ページの中断に該当するようです。
『渡辺照宏 仏教学論集』
〔渡辺照宏/著 昭和57年07月30日 筑摩書房/発行〕
XIX Virocana と Vairocana ―― 研究序説 ――
〔 1965 年 12 月、高野山開創千百五十年記念「密教学密教史論文集」(高野山大学)pp. 371‑390 〕
(p.420)
Mahāvastu I, p. 59: “Suprabhāso nāma Mahāmaudgalyāyana tathāgato ’rhaṃ samyaksaṃbuddho yatra Maitreyeṇa bodhisatvena prathamaṃ kuśalamūlāny avaropitāni rājñā Vairocanena cakravarti-bhūtena āyatiṃ saṃbodhiṃ prārthayamānena //”
『大正新脩大藏經』 第三卷 本緣部上
「佛本行集經卷第一」
(p.656)
目揵連。我念往昔。有一如來。號曰善思多陀阿伽度阿羅訶三藐三佛陀。於彼佛所。彌勒菩薩。最初發心。種諸善根。求阿耨多羅三藐三菩提。時彌勒菩薩。身作轉輪聖王。名毘盧遮那。
『國譯一切經』 本緣部 二
〔常盤大定・美濃晃順/譯 昭和06年12月15日 大東出版社/發行〕
「佛本行集經」卷の第一
(p.6)
(16) 目揵連よ、我念ずるに、往昔、一如來の號して [34] 善思 (Sucinta?) 多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三佛陀と曰へるありき。彼の佛の所に於て、彌勒菩薩、最初に發心し、諸の善根を種ゑて阿耨多羅三藐三菩提を求めき。時に彌勒菩薩、身、轉輪聖王と作りて毘盧遮那 (Vairocana) と名く。
【34】 善思、三本に「善念」に造り、大事 (Vol. I. 59) には Suprabhāsa(善光)とす。以下、彌勒及牢弓王に關する傳、大事卷一、五九~六〇頁に一致す。
✎ 引用に際しての付記:〝牢弓王に関する伝〟は、次のように始められています。
(17) 目揵連よ、我念ずるに、往昔、一佛あり、示誨幢如來 (Aparājita-dhvaja) と名く。目揵連よ、我、彼の佛國土の中に於て轉輪聖王と作り、名けて窂弓 (Dṛḍhadhanu) と曰ふ。初めて道心を發し、諸の善根を種ゑて阿耨多羅三藐三菩提を求めき。
✐ 上の弥勒菩薩についての内容の一部をもう少しわかりやすい日本語で書くと
「彌勒菩薩、最初に發心し、諸の善根を種ゑて阿耨多羅三藐三菩提を求めき。時に彌勒菩薩、身、轉輪聖王と作りて毘盧遮那 (Vairocana) と名く。」
は、
「弥勒菩薩が最初に菩提心を起して、種々の善因・善根を積んで《阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)》すなわち《無上の真実なる完全な悟り (anuttarā samyaksaṃbodhiḥ) 》を求めた時、弥勒菩薩は毘盧遮那(ヴァイローチャナ)という名前の転輪聖王となったのでした。」
というあたりでしょうか。
―― その他の原典等を含めて、参照・引用したページを、以下のサイトで公開していますので、引用した資料の詳しい内容は、そちらをご覧くださいませ。
http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/asura.html
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