仏教経典の『大智度論』に〈ジャータカ〉として、《一角仙人》の物語が記述されています。
ここで〈ジャータカ (jātaka) 〉というのは、サンスクリット語で、
जातक Born, produced.
V. S. アプテ『梵英辞典』(改訂増補版)〔昭和53年4月15日 複製第1刷 臨川書店/発行 p.733 〕
「生まれたる」
【漢訳】生、本生、受生
「嬰児」
「誕生時の星辰の位置又は観測」
【漢訳】[星宿]生処。生経、本生経、降誕経、本生、本生之事
【音写】闍陀伽
〔『漢訳対照 梵和大辞典』増補改訂版 昭和54年8月20日 講談社/発売 財団法人鈴木学術財団/編・刊 p.498 〕
と、辞書にあり、一般には〈本生譚(ほんじょうたん)〉という和訳も多く用いられます。
でもって、〈本生譚〉とは、修行を終えて仏陀となった釈尊の菩薩時代の前世(過去世)の物語なのですが、まずは、仏陀(ブッダ)という語などについて解説しておきたいと思います。
後に仏陀と呼ばれる、古代インドの釈迦 (Śākya) 族の王子の名前が、ゴータマ・シッダールタです。
ゴータマは姓にあたり、サンスクリット語では Gautama となり、パーリ語では Gotama となっていて、もっぱら瞿曇(くどん)と漢訳されています。
シッダールタはサンスクリット語の名で Siddhārtha という発音で書かれ、いっぽうパーリ語ではシッダッタ Siddhattha という発音になっていて、悉達多(シッダッタ)・悉陀(シッダ)など種々に漢訳されます。
仏陀を〈釈迦〉というのは〈釈迦牟尼(しゃかむに)〉の略称で、〈釈迦牟尼(シャーキャ・ムニ)〉はサンスクリット語で〝釈迦族の聖者〟の意味となります。
サンスクリット語のムニ muni はもともと〝霊感を得た人〟の意味をもち、漢訳経典では「牟尼、牟尼尊」のほかに「仙、仙人、大仙、神仙、默、寂默、寂默者、仁、尊、仏」なとど訳されているようです。
この釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタが、聖者として、シャーキャ・ムニと尊称されるわけです。
シャーキャ・ムニ Śākya-muni は、〈釈迦牟尼〉と音写され、また〈釈尊〉と漢訳されています。この漢訳は〝釈迦族の尊者〟という意訳の省略形と考えればよさそうです。
そしてサンスクリット語の過去受動分詞であるブッダ buddha が、〈仏陀〉と音写され、「覚者(かくしゃ)」あるいは「目覚めた人」と意訳されるわけです。この言葉はそもそも「目覚めた、完全に目覚めた」などという意味をもつ過去受動分詞なので、サンスクリット文献では、仏教に特有の用語というわけではないのですね。
また、仏教の場合には、悟りを求めて修行中だった菩薩 (Bodhisattva, Bodhisatta) が、修行を完成して、最終形態の如来 (Tathāgata) となるわけですが、この如来(にょらい)という最終形態も仏教以前からの用語らしく、ジャイナ経典にも登場するそうです。
ちなみに、タターガタ Tathāgata の tathā は〝その如く(そのごとく)〟というような意味で、gata は〝来れる(きたれる)〟という意味なので、合わせれば〝その如く来れる〟で〈如来〉となり、この漢訳が用いられるのは後漢の安世高に始まるようです。
そして、仏教ではたとえば〈阿弥陀仏〉=〈阿弥陀如来〉で、すなわち〈仏陀〉は〈如来〉と同等の意味をもちます。
そういうわけで、〝釈迦族の聖者である仏陀〟が〈釈迦牟尼仏〉=〈釈迦如来〉ということになります。
ここで余談になりますけれども、称名念仏(しょうみょうねんぶつ)の代表格である〝南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ・なもあみだぶつ)〟の南無はサンスクリット語のナマス namas (namo) の音写で、「帰命(きみょう=帰依すること)」の意味なので、〝南無阿弥陀仏〟では「阿弥陀仏に帰依します」の意味をもつことになります。
サンスクリット語の原典としては、『法華経』の〈南無仏〉という漢訳の部分が、
namo 'stu buddhāya
〝仏に帰依したてまつる〟として、比較的容易に確認できるようです。
〔中村元著『広説佛教語大辞典 縮刷版』平成22年7月8日 東京書籍/発行 p.1277 〕
namo 'stu buddhāya
『ブッダに敬礼(帰命)すべし』
訳注 131
buddhāya は、WT. では属格の buddhāna となっているが、その必要なし。namo 'stu buddhāya は、「仏陀に敬礼すべし」という決まり文句である。
〔植木雅俊訳『梵漢和対照・現代語訳 法華経 上』2008年3月11日 岩波書店/発行 pp.118-119, p.157 〕
さて冒頭に、仏教経典の『大智度論』に〈ジャータカ〉として、《一角仙人》の物語が記述されています、と書きましたけれども、この物語は『大智度論』の著作者が、おそらくはインドの古典『マハーバーラタ』から採用したものです。
ちなみに『大智度論』の著作者は、多少の疑いを残しつつ龍樹(ナーガールジュナ Nāgārjuna )ということになっていて、その龍樹は西暦 150~250 年頃のインドの人です。
―― でもって、それらの和訳された原典等を参照・引用したページを、以下のサイトで公開しています。
http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/veda.html
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