2015年10月8日木曜日

ファブラボとっとり 見学記

というわけで、今日は「ファブラボとっとり」というところに、
見学に行き、そこでお話を伺ってきました。

ファブラボとっとり
http://www.fablab-tottori.jp/

鳥取大学が運営する「ものづくり協力会議」の主導のもと、
鳥取県と鳥取市が協力して、「鳥取市文化センター」に開設されたものです。
(開設日: 2014 年 5 月 17 日)

現在の入会対象年齢は、小学校5年生以上となっていますが、
開設当初の半年間は「年齢制限ナシ」だったということで、

2015 年 10 月 8 日現在の会員数 210 名の年齢幅は、

7 ~ 72 才となっているそうです。

今年、鳥取県中部と西部にも、拠点が増え、ますますの発展が望めそうな勢いを感じますが、
地元の、若い世代の力が、もっともっと必要だとのことです。

簡単なレポートですが、ホームページで情報収集し、実際に、足を運んで、
自分の目で、実地の(リアルな)、活動内容は、ご確認ください。

パソコン用の、高価な、「リアル物作り」の設備が、整っている場所です。

FabLab(ファブラボ)とは世界のものづくりネットワークです。

と、ホームページにも、そう書いてありまする。

2015年10月1日木曜日

三木清の『省察』

 三木清著『人生論ノート』(新潮文庫)という一冊の薄い文庫本がいつからか本棚にある。
 どういうわけで、そこに並んでいるのか、買った覚えがない。また読んだ覚えもない。
 しかしながら、今回、デカルトの邦訳に三木清がかかわっていることを知って、手に取ってみた。
 昭和 29 年に発行されたものが、昭和 42 年の改版を経て、昭和 51 年に 53 刷とある。カバーにある定価は、160 円である。
 三木清の記した「後記」には、「昭和十六(一九四一)年六月二日」とある。
 徴兵され、戦禍をくぐり抜ける以前の、記録である。
 敗戦後まもなく獄死。と、辞書(『広辞苑』)にあるので、死後に新潮文庫に収録されたものと思われる。
 その三木清の遺作のひとつが、デカルト『省察』の、邦訳である。
 創元社版『デカルト選集』が、それでやっと完結した。
 そのいきさつは、死んだ三木清にはもう書けぬが、「解説」と「後記」に詳しい。
 岩波文庫の一冊として、その後刊行された。


三木清・訳/デカルト『省察』 のこと
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/MikiKiyoshi.html

2015年9月29日火曜日

神という形而上学

 17世紀初頭というのは、徳川家康が江戸に幕府を置いたころのことになる。
 日本の「江戸時代」は、1603年から始まっている。
 その、2年後、西欧では 1605年に、ベーコン『学問の進歩(学問の発達)』を出版している。
 それは自然哲学を「自然学」と「形而上学」に分離しようとする最初の試みだったと、いえるかも知れない。彼は、想像力ではなく、実験による結果をもとに、「自然の解明」を行うべきであると、繰り返し主張した。

 ニュートン『自然哲学の数学的〔諸〕原理』(1687) を発表したのは、デカルト「幾何学」を附した『方法序説』(1637) 刊行の、ちょうど 50年後のことになる。

 ニュートン力学は、「重力」の説明以外には、神を必要としないものであった。――が、このように幾何学的(数学的)に美しい宇宙体系は、神の実在なしには考えられないといって、ニュートンとしては、確実に神が存在する証明になったと思ったのである、らしい。
 だが、後世、ラプラスにより、神が必要でなくなったのは、ニュートン力学のおかげです、と、彼(ラプラス)はいっているようである。

 このように錯綜する 17世紀の〔神の〕形而上学について、当事者たちはどのように考えていたのか、その文献を追っていて、ガリレオはさすがにそうそうは、書き残していないだろうと思っていたら、20世紀のローマ法王、ヨハネ・パウロ二世により引用されるような、文献を遺していたのである。
 とんでもないことには、それはもともと教会側の人物による言葉であったにもかかわらず、さも、ガリレオの創意であるかのように流布しかねない勢いが、その言葉にはある。

 無論、ヨハネ・パウロ二世は、正しく「バロニウス」による警句とされている、として、引用している

まったくもって、散惨、調べ倒してから、次のような便利なものがあることに、気づいたのであった。

ヨハネ・パウロ2世によるガリレオ・ガリレイの名誉を回復する講演の掲載資料。(国立国会図書館(National Diet Library))
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000006-I000126457-00

――

そういうわけで、思いもかけず「天〔へ〕の道程[みちのり]」。


自然学とメタ自然学 《 Physica et Metaphysica 》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/metaphysica.html

天の行き方と天への行き方 《 How the Heavens Go 》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/HowtheHeavensGo.html

2015年9月25日金曜日

続・神という仮説

もう、三カ月も前の話です。夏は、台風とともに去りました。

―― 覚え書き

2015年6月22日月曜日
ラプラスの「神という仮説」に関する資料

ラプラスの魔
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Laplace.html

『数学をつくった人びと』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Bell.html

――

 それから、ゼロとアリストテレスとデカルトとラプラスに関係しそうな資料を積み重ねてきました。

 結局、ライプニッツの「充足理由律」で、いったんしゅうそくの運びです。

 あと――、
資料がけっこう散乱してきたので、グーグルのカスタム検索機能を使った
「サイト内検索窓」を設置しました。


ライプニッツ「充足理由律」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/monadologie.html



追記:http://theendoftakechan.web.fc2.com/

トップページにも「Google カスタム検索」ボックス装着完了しました


2015年9月18日金曜日

すべての現象には 必ず理由がある 《 Leibniz 》

この表題の語句の言いだしっぺは――いまや、誰かはわからないんですけれど、

慣用句の如くに有名にしたのは、まぎれもなく、――それはガリレオではなくて、

その数十年後に登場したライプニッツ、なのであります。

この天才の物語は、戦禍に荒廃した祖国ドイツを出て、花の都パリへと出張したあたりから、
次第に加速して、始まるようです。
――伝記は、まだ読んでいません、が下村寅太郎『ライプニッツ研究』に、そう書いてありました。

フランスの都、パリに上京した当時のライプニッツはまだ、

デカルトの「幾何学」さえ、知らなかったといいます。
それが数年にして、世界的な、数学の最先端に位置するようになったという、天才ぶりです。

彼が、その画期的な微分法を開発したのは、ニュートンとほぼ同時期で、
現在の微積分の方程式の記号には、ライプニッツの方式が使われています。
ライプニッツは、記号学の覇者でもあったのです。

その「微分積分」にかんしては、
風の噂によりますと、ニュートンの祖国イギリスでは、ニュートンの先取権に拘泥するあまり、
世界の風潮に逆らってニュートンの「流率法」のやり方に従ってその後の数学を運用しようとして、
世界の数学界から、かなり水をあけられてしまった、という話です。
――あくまで小耳に挟んだ、風聞にすぎませぬが。

ちなみに、表題の、
ライプニッツの主張は、「充足理由律」と、いいます。


ライプニッツ『形而上学叙説』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Leibniz.html

2015年9月7日月曜日

カントのデカルト批判

このところ、ベーコンからデカルトへの思想の流れを追ってきたわけなのですが、
整理のためもあって、いま一度、関係資料を〔再度〕ピックアップして、

その典拠なども並べた挙げ句に、

キリスト教の最初期に「異端」宣告を受けた、オリゲネスのことなども、調べてみました。


さて――。

デカルトの何がいけなかったのか、カントがじっくり詳しく、その
『純粋理性批判』 に書き記しているので、そのあたりを、引用してみたところ、

ライプニッツに行き当たったため、次は、「充足理由律」つまり、

  すべてのものには、必ず原因がある。

などという話になろうかと、思われます。


哲学の系譜 ―哲学に属するもの―
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/philosophiae.html

2015年9月2日水曜日

デカルトの座標と「デカルト座標」

かつて、
デカルト『幾何学』(ちくま学芸文庫)という本をめくってはみたけれど、
そこに所謂―いわゆる―「デカルト座標」は皆目、見受けられなかった。

――にもかかわらず、デカルトの座標は「デカルト座標」でなければ、
どうにも説明がつけられず、その当座(今年の7月)に、自身でそう決着をつけた。

デカルトは、直交するふたつの数直線を幾何学に合体させることで、図形の長さやらなにやらを、それらふたつの数直線の交点を基準とする、二種の数値で表現してしまったのだ。

このように書いたのである。

――が、やはり、未確認の情報を勝手に決めつけるのは、誤謬の元である。

このたび、デカルトの座標は「デカルト座標」ではないと書いてある、
文献に出くわした、のである。

いま一度探してみたところ、デカルトの座標がどのようなものであり、
そこからデカルトはどのように解析幾何学を創出していったのかが解説してある、
『近藤洋逸数学史著作集 [ 2 ]』「数学思想史序説」というありがたい書物に辿りつけた。

そういうわけで、このたび情報の修正されたページをアップする、ことができた。
幸いなことである。

デカルトの座標と「デカルト座標」についての修正
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/geometrie.html#tetsugaku5r01


ページのトップは、こちら。

デカルト「幾何学」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/geometrie.html