2019年5月24日金曜日

〈暦〉と〈朱鳥〉との関係

 ○ いま一度、中国古典を辞書で調べてみましょう。。

『広辞苑 第四版』

しょきょう【書経】

五経の一。尭舜から秦の穆公(ボクコウ)に至る政治史・政教を記した中国最古の経典。二〇巻、五八編(三三編は今文尚書、二五編は古文尚書)。孔子の編という。成立年代は一定せず、殊に古文は魏・晋代の偽作とされている。初め書、漢代には尚書、宋代に書経といった。

らいき【礼記】

五経の一。周末から秦・漢時代の儒者の古礼に関する説を集めた書。初め漢の武帝の時、河間の献王が礼儀に関する古書一三一編を編述、その後二一四編となったが、戴徳が削って「大戴礼(ダイタイレイ)」八五編を作り、その甥戴聖が更に削って「小戴礼」四九編とした。今の礼記は小戴礼をいう。大学・中庸・曲礼・内則・王制・月令・礼運・楽記・緇衣(シイ)などから成る。「周礼(シユライ)」「儀礼(ギライ)」と共に三礼(サンライ)と称。

 ✥ まず『書経』の冒頭に記述されている〈暦〉の始まりを参照します。

『書経(上)』

「真古文尚書 堯典」

第二節 堯、四岳を任命し、また曆を作る

乃命羲和、欽若昊天、歷-象日月星辰、敬授民時。分命羲仲宅嵎夷曰、「暘谷、寅-賓出日、平-秩東作。日中星鳥、以殷仲春。厥民析、鳥獸孶尾。」 申命羲叔宅南交〔曰〕、「平-秩南訛(敬致)。日永星火、以正仲夏。厥民因、鳥獸希革。」 分命和仲宅西曰、「昧谷、寅-餞納日、平-秩西成。宵中星虛、以殷仲秋。厥民夷、鳥獸毛毨。」 申命和叔宅朔方曰、「(幽都)平-在朔易。日短星昴、以正仲冬。厥民隩、鳥獸氄毛。」 帝曰、「咨、汝羲曁和、朞三百有六旬有六日、以閏月、定四時、成歲。」

乃ち羲和に、欽んで昊天に若つて、日月星辰を歷象し、敬んで民の時を授へんことを命ず。分けて羲仲に嵎夷に宅(=居)るを命じて曰く、「暘谷に、出日を寅賓し、東作を平秩せよ。日は中にして星を鳥にて、以て仲春を殷せ。厥の民は析れ、鳥獸は孶尾せん」と。申ねて羲叔に南交に宅るを命じて〔曰く〕、「南訛を平秩せよ。日は永く星は火にて、以て仲夏を正せ。厥の民は因し、鳥獸は希革せん」と。分けて和仲に西に宅るを命じて曰く、「昧谷に、納日を寅餞し、西成を平秩せよ。宵は中にして星は虛にて、以て仲秋を殷せ。厥の民は夷り、鳥獸は毛毨せん」と。申ねて和叔に朔方に宅るを命じて曰く、「朔易を平在せよ。日は短く星は昴にて、以て仲冬を正せ。厥の民は隩し、鳥獸は氄毛せん」と。帝曰く、「咨、汝羲曁び和、朞は三百有六旬有六日にし、閏月を以て、四時を定めて、歲を成せ」と。

通釈
されば、〔帝堯の政をするさまといえば、まず〕羲氏と和氏とに正しく昊天〔の運行〕にのっとって、日月星辰〔の歩度〕をはかり、〔そうして〕敬[つつし]んで民の時(農耕暦)を教え〔定め〕よ、と命じた。〔すなわち〕わけて羲仲に命じて、嵎夷におらせ、暘谷から、出る日をつつしみみちびいて、東方の作[しごと](春の耕作)を順序立てよ。日の〔長さ〕では昼夜の均等により、星では〔昏[くれ]に現れる〕朱雀によって、春分の日を正せ。〔そうすれば、〕その人民は〔耕作のため野に出て〕分居し〔て耕作にはげみ〕、鳥獣は交尾し子を産んで〔繁殖するであろう〕」といった。それに重ねて羲叔に命じて、南交におらせ、「南方の化[おいたち](夏の耕芸[こううん])を順序立てよ。日では昼の最長により、星では大火によって、夏至の日を正せ。〔そうすれば〕その人民は茵[しとね]を織り、鳥獣は毛がぬけかわって〔成長するであろう〕」といった。〔また〕わけて和仲に命じて、西におらせ、「昧[まい]谷に、入る日をつつしみ餞[おく]って、西方の成[みのり](秋の収穫)を順序立てよ。夜と昼との均等により、星では玄武によって、秋分を正せ。〔そうすれば、〕その人民は〔穀物を〕刈りとり、鳥獣は羽毛が美しくはえかわるであろう」といった。〔それに〕重ねて和叔に命じて、朔方におらせ、「北方の治[おさめごと](冬の収蔵)を順序立てよ。日では昼の最短により、星では白虎によって、冬至の日を正せ。〔そうすれば、〕その人民は室内に入って〔いこい、〕鳥獣は密毛がはえそろうであろう」といった。〔かく命じおえて〕帝は、「ああ、汝、羲氏と和氏よ。朞(一年の日数)は三百と六旬と六日とし、また閏月[うるうづき]を立てて、四時(季)を整えて、一歳とせよ」といった。

語釈
 ◯ 辰 十二辰である。
 ◯ 羲仲 偽孔伝に「居-治スル東方之官」と。東方の方角神。
 ◯ 宅嵎夷 「宅」は偽孔伝は「居」と解する。
 ◯ 暘谷 説文に「暘日出也」、偽孔伝には「日出デテ於谷ヨリ、而天下明ナリ暘谷」と。ここで述べておきたいことは、この部分の全体を通観すると次の表によって明白な如く、四岳一連の記事は、四方支配神の考と、太陽の出没と、四季即ち春夏秋冬の考と、それが人間と動物に与える影響とを混合して記し、四方神が四季神と混合しておる。次に、これまでの句読では、「曰暘谷」「曰昧谷」「曰幽都」三句を、「暘谷と曰ふ」「昧谷と曰ふ」「幽都と曰ふ」と読み、羲仲から和叔までの四段の全文を、すべて地の文に読んでいるが、「曰く」以下は、帝の命じた言葉の文に読むべきである。
 ◯ 寅賓出日 「寅」は「敬」の意。「賓」は「擯」字に読んで「導く」の意。出日と入日を羲と和が導送するというのは、外の伝説で羲和が日の御者、即ち太陽の乗った車の御者と言われている所から来た言葉。
 ◯ 平秩東作 「平秩」は「辨序」で、順序立てる意。「東作」は、この羲仲が東方支配神である所から言われるので、字通りの意は「東方の仕事」で、農作業を言う。 ◯ 日中 春分の日の昼夜の時間の等しい意。鄭玄は「日中トハ者、日見之漏、与不者斉シキ也」と言う。
 ◯ 星鳥 南方の朱雀の七宿を言う。春分の昬に鶉火が悉く見えるから。 ◯ 以殷仲春 偽孔伝に「殷ハ正也」とあって、朱雀の七宿星が昬に南方に見えるによって春分の日を決めた。
〔新釈漢文大系 第25巻『書経(上)』加藤常賢[かとう・じょうけん]/著 昭和58年09月30日 初版 明治書院/発行 (pp. 21-23)

 ⛞ 『書経』の「堯典」には、太陽の運行と星宿=星座の位置に基づいて、四時=四季の巡りを示す〈暦〉が作られた、とあります。〝日中(春分)〟は〝星鳥〟、〝日永(夏至)〟は〝星火〟、また〝宵中(秋分)〟は〝星虚〟で、〝日短 (冬至)〟は〝星昴〟と、記述されているのですけれども、では二至二分(春夏秋冬)を示すそれぞれの星は、どの四象(四神)のもとにある星宿(星座)なのでしょうか?

 ○ 清少納言の『枕草子』(平安中期成立)では、「ひこぼし」とともに「星は すばる」と語られている〝〟ですが、「堯典」では冬至の星で《北方》の星宿になります。ということであれば、〝〟が所属する北の〈白虎〉は冬の星座ということになりますね。


『枕草子 紫式部日記』

「枕草子」

【二五四】
 星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。


(頭注)
すばる 昴とかく。倭名抄、一に「宿曜経ニ云フ、昴ハ六星火神也」とある。牡牛座にある散開星団。
ひこぼし 牽牛星の異名。鷲座の主星。天の川を隔てて織女星と相対し、伝説で名高い。
ゆふづつ 夕星。宵の明星、すなわち金星。
よばひ星 流星。「よばふ」は「呼ぶ」の継続表現。
尾だに …… 尾でもないならましてどんなにいいだろう。
〔日本古典文学大系 19『枕草子 紫式部日記』池田龜鑑[いけだ・きかん] 岸上愼二[きしがみ・しんじ] 秋山虔[あきやま・けん] /校注 1958年09月05日 岩波書店/発行 (p. 271)


 ✥ 《西方》の星宿〝〟は〈玄武〉に所属します。〝〟は秋分の星なので、西の〈玄武〉が秋の星座を統括しているということになります。

 ✥ そして《南方》、夏至の星とされる〝〟は解説(上の引用文では省略)に

星火 鄭注に「星火大火之属」と。夏至の昬に大火が東方に見えるを言う。

とあり、福島久雄氏の『孔子の見た星空』の 42~43 ページに掲載されている「図24 二十八宿全図」を見ると、〝大火〟には、蒼龍すなわち〈青龍〉に所属している〝氐・房・心・尾〟の四星宿が含まれています。

 ✥ さらに《東方》、春分の星である〝〟は、

星鳥 南方の朱雀の七宿を言う。春分の昬に鶉火が悉く見えるから。

と解説されていて「図24 二十八宿全図」を見れば、〝鶉火〟には〈朱雀〉に属する〝柳・星・張〟の三星宿が含まれます。春分には〝柳・星・張〟の三星宿が〝ことごとく見える〟ということは、それらが ―― すべて、みな ―― 全部はっきりと見えているということなのでしょう。

◈ ここで多少の注意をしなければならないのは、解説では「南方の朱雀の七宿」とありますが、「堯典」では先ほどの〈青龍〉夏至の星で《南方》の星宿でしたし、また〈朱雀〉に属するのは春分の星で、それは《東方》の星宿なのでした。

 ○ これら〝大火〟と〝鶉火〟の星々については『春秋左氏伝』の記述が、参考になります。


『春秋左氏伝(二)』

「襄公九年」


○ 九年、春、宋災。



晉侯問於士弱曰、吾聞之、宋災。於是乎知有天道。何故。對曰、古之火正、或食於心、或食於咮、以出-內火。是故咮爲鶉火、心爲大火。陶唐氏之火正閼伯居商丘、祀大火而火紀時焉。相土因之。故商主大火。商人閱其禍敗之釁、必始於火。是以日知其有天道也。公曰、可必乎。對曰、在道。國亂舞象。不可知也。


晉侯、士弱に問ひて曰く、吾之を聞く、宋、災あり。是に於てか天道有るを知る、と。何の故ぞ、と。對へて曰く、古の火正は、或は心に食し、或は咮に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と爲し、心を大火と爲す。陶唐氏の火正閼伯、商丘に居り、大火を祀りて火もて時を紀せり。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人其の禍敗の釁を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり、と。公曰く、必す可きか、と。對へて曰く、道に在り。國亂るれば象無し。知る可からざるなり、と。

通釈
 九年の春に、宋に火災があった。~~。
 晋の悼公は士弱(士渥濁の子、荘子)に、「わたしは宋では火災があり、それによって禍福を降す天の道があることがわかった、といっていることを耳にしたが、これはどういうわけか」とたずねた。すると士弱は、「古の火正の官にあった人は、あるいは心星の分野の地に封ぜられたり、あるいは咮星の分野の地に封ぜられたりして、火星の出没を観測して民に火の出納を命ずることをつかさどりました。このことから咮星を鶉火と呼び、心星を大火と呼ぶのです。陶唐氏(堯)の火正の官であった閼伯は商丘におって大火を祭り、火星の出没を観測して火を起こしたり消したりすべき時期を記録しました。その後、(商の祖先の)相土は閼伯の後を継いで商丘で火星の観測をしました。そこで商(殷)は大火を祭ることを重んじたのです。商の人は自国に起きる災禍の原因を調査してみると、きまって火災のことから始まっているので、そこで今度もその火災が禍を予告する天の道であるということを知ったものと思います」と答えた。そこで悼公は、「きっと禍がやってくるものか」というと、士弱は、「禍の有無はその国に道が行われているか否かによります。国が乱れていると様々な禍がおこるもので一定しておりません。だからどんな禍が起きるかわかりません」と答えた。

語釈
 ◯ 火正 火の出納をつかさどる官。火星の出没を観測して、民に火の出納を命ずる役人。杜注は、建辰の月(三月)の日暮れに、鶉火星(咮星)が南方に見えると、民に火を出させ、建戌の月(九月)に大火星(心星)が見えなくなれば、民に命じて火を納れ、火を放つことを禁じた、という。
 ◯ 或食於心、或食於咮 杜注は、心星の祭りに配食されたり咮星の祭りに配食されたりされると解する。…… なお、心星は東方七星(蒼龍の宿という)の一つで、七星中最も明るく、大火または大辰ともいう。咮星は南方七星(朱鳥の宿ともいう)の一つで柳星とも鶉火ともいう。
〔新釈漢文大系 第31巻『春秋左氏伝(二)』鎌田正[かまた・ただし]/著 昭和49年09月10日 初版発行 平成10年11月20日 18版 明治書院/発行 (pp. 878-881)


 ⛞ この解説文では「鶉火星咮星)」とあり「咮星は南方七星朱鳥の宿ともいうの一つで柳星とも鶉火ともいう」とありますので、日中(春分の)〝星鳥=鶉火〟は、〈朱雀〉の〝柳宿〟であるようにも理解できます。そしてまた「大火星心星)」とありますので、こちらは〈青龍〉の〝心宿〟となります。

 ○ ただし、『孔子の見た星空』の 46 ページに紹介されている内容では「鳥〈張〉宿」とされていて、〝星鳥〟とは、〈朱雀〉の〝張宿〟であるという解釈もあります。


『東洋天文学史論叢』

「禮記月令天文攷」

(初出:『硏究報吿第十二册』東方文化硏究所、昭和 13 年)

六 月令より觀たる堯典の天象

然らば星鳥とは如何といふに、旣に東・北・西の三方宿の中央を擧げたれば略〻南方七宿の中央を指すものとは容易に想像さるべく、而も南方七宿は、朱雀と稱せられ、卽ち、鶉首・鶉火・鶉尾の三次に當てられたり。故に其の中央の鶉火を以て星鳥を代表せしめて可なり。而して鶉火の中央は張宿の初度に當れるを以て、結局、星鳥とは張宿なりと見て可なるべし。
〔能田忠亮/著『東洋天文学史論叢』平成元年11月15日 恒星社厚生閣/発行 (p. 530)

 ✥ またいっぽうで、先に参考とした『孔子の見た星空』の「図24 二十八宿全図」と南方朱雀の項 54~55 ページに書かれている内容を合わせると、〝鶉火〟のなかでもっとも目立つ星は、〝星宿( 7 星)〟の距星(各宿の初点をあらわす星)にあたる「うみへび座 α 」であると予想されます。
―― ちなみに、〝柳宿( 8 星)〟の距星は「うみへび座 δ 」で、〝張宿( 6 星)〟の距星は「うみへび座 υ 」となっていて、全体として〝鶉火〟の星宿は「うみへび座」の構成要素となっているようです。

◉ 『書経』に記録される「堯典」の時代には、

東方 春分 朱雀(鶉火)
南方 夏至 青龍(大火)
西方 秋分 玄武(虚宿)
北方 冬至 白虎(昴宿)

だったのが、『淮南子』では、

東宮 蒼龍(房・心)
南宮 朱鳥(権・衡)
西宮 咸池(天五潢)
北宮 玄武(虚・危)

となっています。

 ⛞ 太陽の運歳差運動の関係で、四季の星座が次第にずれていくため、いつしか当時の四神(四象)と後代の季節とは、一致しなくなってしまうのです。

 ◈ かくして中国古典の記録にある〈暦〉の始まりのとき、最初に、春は〈朱雀〉の星群である〝〟と関連づけられていたということが、ここまでで理解できました。

 ○ そして、辞書で調べたもうひとつの中国古典『礼記』には、「天子(君主)は南面する」の慣例にしたがって、君主が行軍する際の先導役には《南面の朱鳥(朱雀)》が配置されるべきことが記録されています。


『礼記(上)』

「禮記 曲禮上第一」

◯ 前有水、則載靑旌。前有塵埃、則載鳴鳶。前有車騎、則載飛鴻。前有士師、則載虎皮。前有摯獸、則載貔貅。行、前朱鳥而後玄武、左靑龍而右白虎、招搖在上、急-繕其怒。進退有度、左右有局、各司其局。


◯ 前に水有れば、則ち靑旌を載つ。前に塵埃有れば、則ち鳴鳶を載つ。前に車騎有れば、則ち飛鴻を載つ。前に士師有れば、則ち虎皮を載つ。前に摯獸有れば、則ち貔貅を載つ。行けば、朱鳥を前にして玄武を後にし、靑龍を左にして白虎を右にし、招搖上に在り、其の怒を急繕す。進退度有り、左右局有り、各其の局を司る。

通釈
 ◯ 進軍の前方に川を見たら青旗を掲げて、全軍に知らせ、前方に砂ぼこりの群がるのを見たら鳴くとびの旗で知らせ、敵の戦車や騎兵を見たら飛ぶ鳥の旗で知らせ、多くの敵軍を見たら虎の皮を掲げて知らせ、また敵の用いる猛獣を見たら、猛獣の旗で知らせる。―― 行軍には、先頭の軍は朱鳥の旗を立て、後尾の軍は玄武(かめ)の旗を立て、左翼は青竜の旗を、右翼は白虎の旗を立てる。そして中軍は招揺星(北斗七星)の旗を立てる。(行軍の間に機会を見つけて)軍の闘志を激しく掻き立てることに努めるが、しかし軍の進退は必ず節度を守らせ、前後左右それぞれの持ち場をわきまえて、持ち場の任務を怠らぬようにさせねばならぬ。

語釈
 ◯ 載飛鴻 載は車上に載せあげること。鴻はがんの類。 ◯ 士師 ここでは兵士や師旅。師旅とは軍団の意。 ◯ 貔貅 虎や豹の類。 ◯ 前朱鳥 …… 招揺在上 朱鳥は朱雀とも言い、南方の象徴。行軍の現実の方向はともかくとして、君主は南面することを原則とするから、先頭の軍は南方の旗を掲げる。玄武は北、青竜は東(左)、白虎は西(右)。 ◯ 招揺 北斗七星のこと。君主は中軍に居り、北斗七星は四方を指示する位置、即ち中央の象徴。 ◯ 急繕 激しくし強くする。急は激。繕は補強。
〔新釈漢文大系 第27巻『礼記(上)』竹内照夫/著 昭和46年04月25日 初版発行 平成10年09月25日 22版 明治書院/発行 (pp. 45-46)

 ✥ まとまりつかぬ様相のまとめとして、前回にも参照した語句の意味を再掲しておきましょう。

『広辞苑 第四版』

しじんそうおう【四神相応】

四神に相応じた最も貴い地相。左方である東に流水のあるのを青竜、右方である西に大道のあるのを白虎、正面である南に汙地(クボチ)のあるのを朱雀、後方である北方に丘陵のあるのを玄武とする。官位・福禄・無病・長寿を併有する地相で、わが国の平安京はこの地相を有するとされた。四地相応。


Google サイト で、本日、もう少し詳しい内容のページ公開しました。

日告げの宮 : 北辰の星 ― ほくしんのほし ―
https://sites.google.com/view/hitsuge/arcus/hokushin

―― もう少し詳しい内容のページを、以下のサイトで公開しています。

日告げの宮 : 北の果なる《竜座 α 星》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/hitsuge/hokushin.html

日告げの宮 : 鳥の百官 /〈暦〉と〈鳥〉の職制
http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/hitsuge/ecliptic.html

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