2019年5月21日火曜日

北辰の龍 ― ほくしんのりゅう ―

【前回の続きになります】
※ 前回分の修正事項(原文をコピーした文字だと、多少読みにくかったため)
CD-ROM 版『広辞苑 第四版』より
さいさうんどう【歳差運動】の項
*周期は二万五八○○年。⇒ 周期は二万五八〇〇年。
ほっきょくせい【北極星】の項
*光度二・○等の星。⇒ 光度二・〇等の星。

The End of Takechan

⛞ さて前回に書いた、いまから約 5,000 年前は、竜座の α トゥバンが〈北辰〉に 0.1° と迫った時期だったというのは、1997 年に発行された福島久雄氏の『孔子の見た星空』の 14 ページに説明されていた内容なのですけれども、その前後の記述内容につきましては、また今後に参照するとして、その少しあとのページに、天宮の四神(四象)が、重要な主題のひとつとして語られています。


『孔子の見た星空』

二 季節の星々

 (p. 40)
 二十八宿は、黄道近くにある二十八の星座(星官)である。二十八宿については次節でくわしく述べるが、大きく四象(蒼竜[そうりゅう]・白虎[びゃっこ]・朱雀[しゅじゃく]・玄武[げんぶ])に分かれる。またそれぞれの宿は、その近辺の星座を所属させる。たとえば、角宿ならば一一の星座を統括する。

 二十八宿

 (pp. 40-41)
 二十八宿とは、太陽の運行する黄道付近に二八の星座を置き、太陽や月の動きをはかる目安にしたものである。西洋の、黄道十二宮に当たるものであるが、ただ、中国の二十八宿は発生的には、座標は黄道ではなく赤道を基準とした。
 「宿[しゅう]」とは、文字通り「やどる」の意味であり、中国古典の星座をいうときに用いられているが、古くは「宿」ではなくて「舎[しゃ]」であった。『史記』律書では、「二十八舎」といい、「舎は、日月の舎[やど]る所」という。『晋書』天文志でも、「二十八舎」の項目をたてる。『史記』の唐代の注である『史記索隠[さくいん]』では、「舎は止[とどま]る。宿は次[やどり]なり」という。
 なおこの「星の宿[やどり]」、星宿の場合、とくに二十八宿の宿は「しゅう」(漢字音シウで去声)に読まれる。宿願、宿舎などの宿が「しゅく」(漢字音シュクで入声)であるのとは違うことを知っておく必要がある。
 二十八宿(舎)がいつできたかについては、正確なことはわからないが、およそ周代の初めの頃といわれており、その目的は前述のとおり星の位置により、日月惑星の運行を正しく観測することであった。二十八という数は、月が天球を回るのに恒星に対して二十七・三日かかるので、それに近い数として黄道を二十八に分け、一日一宿として二十八宿を決めていったのである。これを利用して、たとえば、昨日は月が〈角宿〉に来たとか、今日は〈房宿〉に来たとかいうようにして、月の運行を星宿を基準として記録していったのである。
 だが、月の場合はよいとして、太陽はどこの星座にあるのか直接観測することはできない。そこで、太陽の位置を知るために、月と太陽が同一星座に位置する朔日(旧暦の一日、新月)を目安にする。もちろん、朔日は闇夜で月は見えないから、三日月の位置から二日遡[さかのぼ]って星宿を推定することによって、朔日、つまりは二日前の太陽の位置を知るのである。朔という字は、月の行程を遡って太陽の位置を知る「溯[さかのぼる]」から来ているという(1)。

 (p. 45)
 では、なぜ日月の運行を知る必要があったか。それは、正確な暦を作るためである。人類は、農耕を始める以前でも、動物の移動、魚類の遡上、果物の採取等、季節を知ることは生活上重要なことであった。一方で人々は、太陽の高度の変化から、冬至・夏至を認識し一年の周期を知ったであろう。さらに一年間で太陽が黄道を一周することに気づき、黄道上での太陽の移動を観測することにより、いっそう精密に季節を知り、正確な暦を作ることが可能になったのである。

 二十八宿の四方配分

 (pp. 45-47)
 『史記』天官書は、二十八宿を七宿ずつ東西南北の四宮に分けて、蒼竜[そうりゅう]・白虎[びゃっこ]・朱雀[しゅじゃく]・玄武[げんぶ]の四象を配当する。本来、回転する二十八宿を、四方に分割することは理屈に合わないことであるが、仮に、蒼竜の象の始め〈箕〉に春分点があったときに、これらの象を決めたとすれば五行の配当により、春は東ということになる。しかし、箕宿に春分点があったのは、数万年前であり、それでは四方分割が有史以前ということになってしまいおかしい。
 では、いったいどのようにして四方を定めたのであろうか。四書五経の一つ『書経』堯典によれば、次の宿がそれぞれ二分二至(春分・夏至・秋分・冬至)に南中することを観測して暦を定めたのだという。仲春は、

日[ひる]は中[ひと]しく星は鳥、以て仲春を殷[ただ]す(昼夜の長さが等しく、鳥〈張〉宿が南中する)

続いて、仲夏は〈火〉(大火心宿)、仲秋は〈虚〉、仲冬は〈昴〉と、その目安とする星宿をあげる。清の学者戴震[たいしん]は、この「日中鳥星以殷仲春」に着目して、四象を決めたのは、堯典の時代であるという(2)。つまり、南に「鳥」朱雀があるから、蒼竜は東、白虎は西、玄武は北と決まる。
 一方で、能田博士は、時代により南中する星も変わるので、いまから歳差を逆算することによって堯典の記述の時代を推定した(3)。それによると、これらの天象は、紀元前二〇〇〇年頃見られるという。
 つまり、二十八宿の四方配分は、今から四千年前に決められたといってよい。その後、歳差によって二分二至に南中する星が変わってしまったとしても、たとえば〈角宿〉〈尾宿〉という星座名は、蒼竜のそれに由来するのであるから(図33〔引用注:図は省略〕)、東宮の蒼竜の名称は変えようがない。したがって、四象は当然のことながら現代の季節とは無関係なものである。もちろん、東西南北とも関係がない。二十八宿の星は、日周運動により、東から西へと移動するのであるから、いかに東方蒼竜の象とはいえ東にばかり見えるわけではない。しかし、ときどき注釈書で方角を示していると訳注するものがあり、読者に誤解を与えることがある。訳ばかりではなく、注釈者自身が本当にその方角にあると思っているのではないかと思われる例もある。

[注]
1 内田正男『こよみと天文今昔』(丸善)
2 戴震が「続天文略巻上」で論じた説。「続天文略巻上」の解釈は、近藤光男『戴震集』(朝日新聞社 中国文明選 8 p.460)によった。
3 能田忠亮「月令より観たる堯典の天象」(『東洋天文学史論叢』所収)
〔福島久雄/著『孔子の見た星空』より〕


The End of Takechan

《四神二十八宿》


 ○ 蒼龍の語句は『史記』に書かれていることは前にも述べましたが、いっぽうの青龍は、『淮南子』の索引を見ると三度出てきます。ここらで、四神・二十八宿の意味と、中国古典の成立年代などを辞書で調べておきましょう。


『広辞苑 第四版』

しじん【四神】

①四方の神、すなわち東は青竜、西は白虎(ビヤツコ)、南は朱雀(シユジヤク)、北は玄武(ゲンブ)の称。四獣。
②中国で、四季を神に配した称。春を句芒(コウボウ)、夏を祝融、秋を蓐収(ジヨクシユウ)、冬を玄冥(ゲンメイ)という。

しじんそうおう【四神相応】

四神に相応じた最も貴い地相。左方である東に流水のあるのを青竜、右方である西に大道のあるのを白虎、正面である南に汙地(クボチ)のあるのを朱雀、後方である北方に丘陵のあるのを玄武とする。官位・福禄・無病・長寿を併有する地相で、わが国の平安京はこの地相を有するとされた。四地相応。

にじゅうはっしゅく【二十八宿】

①黄道に沿って、天球を二八に区分し、星宿(星座の意)の所在を明瞭にしたもの。太陰(月ツキ)はおよそ一日に一宿ずつ運行する。中国では蒼竜(東)・玄武(北)・白虎(西)・朱雀(南)の四宮に分け、更に各宮を七分した。東は角(スボシ)・亢(アミボシ)・氐(トモ)・房(ソイ)・心(ナカゴ)・尾(アシタレ)・箕(ミ)、北は斗(ヒキツ)・牛(イナミ)・女(ウルキ)・虚(トミテ)・危(ウミヤメ)・室(ハツイ)・壁(ナマメ)、西は奎(トカキ)・婁(タタラ)・胃(エキエ)・昴(スバル)・畢(アメフリ)・觜(トロキ)・参(カラスキ)、南は井(チチリ)・鬼(タマホメ)・柳(ヌリコ)・星(ホトホリ)・張(チリコ)・翼(タスキ)・軫(ミツカケ)。
② 1 のうち、牛宿を除いた二十七宿を月日にあてて吉凶を占う法。宿曜道の系統の選日。

えなんじ【淮南子】

①前漢の学者。姓は劉、名は安。漢の高祖の孫。淮南(ワイナン)厲王劉長の子。淮南王をつぐ。のち叛を謀って自殺。(―~前122)
②劉安の著した「鴻烈」の現存するもの二一篇をいう。老荘の説に基づいて周末以来の儒家・兵家・法家などの思想をとり入れ、治乱興亡・逸事・瑣談を記載する。

しき【史記】

二十四史の一。黄帝から前漢の武帝までのことを記した紀伝体の史書。本紀一二巻、世家三〇巻、列伝七〇巻、表一〇巻、書八巻、合計一三〇巻。前漢の司馬遷著。紀元前九一年頃に完成。ただし「三皇本紀」一巻は唐の司馬貞により付加。注釈書に、南朝宋の裴駰(ハイイン)の「史記集解」、司馬貞の「史記索隠」、唐の張守節の「史記正義」、明の凌稚隆の「史記評林」などがある。太史公書。


 ✥ 原典として、まず『淮南子』にある《青龍》の記述を一ヶ所参照します。

新釈漢文大系 第62巻

『淮南子(下)』

「卷十五 兵略訓」

十四

所謂天數者、左靑龍、右白虎、前朱雀、後玄武。

所謂天數とは、靑龍を左にし、白虎を右にし、朱雀を前にし、玄武を後にするなり。
(いはゆるてんすうとは、せいりょうをひだりにし、はくこをみぎにし、しゅじゃくをまへにし、げんぶをうしろにするなり。)

通釈
 いわゆる天の数とは、左側に青龍[せいりょう]、右側に白虎[びゃくこ]、前方に朱雀[すじゃく]、後方に玄武が配されていることをいう。
語釈
 ◯ 天数 数は法則・道理。 ◯ 左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武 「朱雀」を、北宋本は「朱鳥」に作る。青龍・白虎・朱雀(鳥)・玄武は、東西南北の星宿の呼び名。四神獣と称し、四神は天帝の守護とされる。『呉子』治兵篇に「三軍の進止、豈に道あるか」という武侯の問いに対して呉子が答える文中に同文が見え、また『礼記』曲礼上には「行けば(進軍するときは)、朱鳥を前にして玄武を後にし、青龍を左にして白虎を前にし ……」とあり、その注に「此の四獣を以て軍陳(陣)と為すは、天に象(かたど)るなり」、疏に「此れ軍行、天文に象り、陳法を作(な)すを明らかにす」とある。以上から知られるように、この記述は前後左右の軍隊を天の星宿になぞらえることを意味するものであって、四軍は、それぞれ青龍・白虎・朱雀・玄武を画いた旗を持つことから四者は旗の名称ともなっている。
〔楠山春樹/著『淮南子(下)』新釈漢文大系 第62巻 昭和63年06月10日初版・平成10年04月01日7版 明治書院/発行 (pp. 866-868)


 ✥ 『淮南子』の解説で参照されている『礼記』曲礼上の記事は、『書経』堯典の記事「日中星鳥、以殷仲春」(日は中・星は鳥、もって仲春をただす)と合わせて、次回にあらためて確認することとし、今回の最後に『史記』で語られた四神の記述の概略を見ておきたいと思います。

新釈漢文大系 第41巻

『史記 四(八書)』

「天官書 第五」

中宮天極星。其一明者、太一常居也。旁三星三公。或曰、子屬。後句四星、末大星正妃、餘三星、後宮之屬也。環之匡衞十二星、藩臣。皆曰紫宮。前列直斗口三星、隨北端兌。若見若不曰陰德。或曰天一。紫宮左三星、曰天槍、右五星曰天棓。後六星、絶漢抵營室、曰閣道。
北斗七星、所謂旋璣玉衡、以齊七政。杓擕龍角、衡殷南斗、魁枕參首。用昏建者杓。杓自華以西南。夜半建者衡。衡殷中州河濟之間。平旦建者魁。魁海岱以東北也。斗爲帝車、運于中央、臨-制四鄕。分陰陽、建四時、均五行、移節度、定諸紀、皆繫於斗。

中宮は天極星。其の一の明らかなる者は、太一の常居なり。旁らの三星は、三公なり。或いは曰く、子の屬なりと。後ろの句する四星は、末の大星は、正妃、餘の三星は、後宮の屬なり。之を環りて匡衞する十二星は、藩臣なり。皆、紫宮と曰ふ。前列は斗口の三星に直たり、北端に隨つて兌なり。若しくは見れ若しくは不らざるは、陰德と曰ふ。或いは天一と曰ふ。紫宮の左の三星を天槍と曰ひ、右の五星を天棓と曰ふ。後ろの六星は、漢を絶り營室に抵る、閣道と曰ふ。
北斗の七星は、所謂旋璣玉衡、以て七政を齊ふるものなり。杓は龍角に擕なり、衡は南斗に殷たり、魁は參首に枕す。昏を用つて建する者は杓なり。杓は華より以西南なり。夜半に建する者は衡なり。衡は中州河濟の間に殷たる。平旦に建する者は魁なり。魁は海岱より以東北なり。斗を帝車と爲し、中央に運り、四鄕を臨制す。陰陽を分かち、四時を建て、五行を均しくし、節度を移し、諸紀を定むる、皆、斗に繫る。
(ちゅうきゅうはてんきょくせい。そのいちのあきらかなるものは、たいいつのじゃうきょなり。かたはらのさんせいは、さんこうなり。あるいはいはく、このたぐひなりと。うしろのこうするしせいは、すゑのたいせいは、せいひ、よのさんせいは、こうきゅうのたぐひなり。これをめぐりてきゃうゑいするじふにせいは、はんしんなり。みな、しきゅうといふ。ぜんれつはとこうのさんせいにあたり、ほくたんにしたがつてゑいなり。もしくはあらはれもしくはしからざるは、いんとくといふ。あるいはてんいつといふ。しきゅうのひだりのさんせいをてんさうといひ、みぎのごせいをてんぼうといふ。うしろのろくせいは、かんをわたりえいしつにいたる、かくだうといふ。
ほくとのしちせいは、いはゆるせんきぎょくかう、もつてしちせいをととのふるものなり。しゃくはりょうかくにつらなり、かうはなんとにあたり、くわいはさんしゅにまくらす。くれをもつてけんするものはしゃくなり。しゃくはくわよりいせいなんなり。やはんにけんするものはかうなり。かうはちゅうしうかせいのあひだにあたる。へいたんにけんするものはくわいなり。くわいはかいたいよりいとうほくなり。とをていしゃとなし、ちゅうあうにめぐり、しきゃうをりんせいす。いんやうをわかち、しいじをたて、ごぎゃうをひとしくし、せつどをうつし、しょきをさだむる、みな、とにかかる。)

通釈
 天の中宮は北極星座である。その中の最も明るいのは太一といい、太一(の神)がいつも居るところである。その傍らの三星は三公といい、太一の子の一属ともいう。太一のうしろで曲がって列[なら]ぶ四つの星のうち最も端の大きな星が正妃で、他の三星は後宮のものたちである。天極星をめぐって内をただし外を護る十二星は藩屛の臣で総称して紫宮という。その前列で北斗の口に当たる三星で、北の端が鋭く出っぱり、見えたり隠れたりするのを陰徳とか、また天一ともいう。紫宮の左の三星は三槍といい、右の五星を天棓という。そのうしろの六星で、天の河を横ぎり、営室まで連なているのを閣道と名づける。
 北斗七星はいわゆる旋・璣・玉衡などの七星で、日月五星(火・水・木・金・土)を斉えることをつかさどるといわれている。(七星の中の第五から第七の)杓の部分は東の方竜角に連なり、衛星は南斗に対応し、魁星は参星の先端に対している。夕方に寅の方向をさすのは杓星で、杓は土地で言えば華山から西南の地をつかさどる。夜半に寅をさすのは衡星で、中原の黄河・済水の間の地に当てられる。夜明けに寅をさすのは魁星で、渤海・泰山から東北の地方をつかさどる。北斗は天帝の乗車で、天帝はこれに乗って天の中央をめぐり、四方を統一し、陰陽を分け、四季を立て、五行の活動をなめらかにし、季節を移すなどもろもろの政法を定むるなどは皆北斗にかけられた仕事である。
語釈
 ◯ 太一 泰一。天帝の別名。天神の最尊貴名である。 ◯ 三公 太師・大傅・太保。 ◯ 後句 「句」は曲屈。 ◯ 匡衛 「匡」は内を正し、「衛」は外を守る。 ◯ 北斗七星・旋璣玉衡 書経堯典が出典。「七星」とは枢・旋・璣・権・玉衡・開陽・揺光。枢から権までの四つを「旋璣」といい、玉衡から揺光までの三星を「玉衡」という。北斗星の別称である。七星とは日・月・火・水・木・金・土で日月五星。 ◯ 杓 北斗星の杓。 ◯ 擕竜角 東方の星宿に連なる。 ◯ 衡殷南斗 玉衡星は中央にあたる。「殷」は中(あ)たる。

東宮蒼龍、房・心、心爲明堂。大星天王。前後星子屬。

東宮は蒼龍、房・心、心を明堂と爲す。大星は、天王。前後の星は子の屬。
(とうきゅうはさうりょう、ばう・しん、しんをめいだうとなす。たいせいは、てんわう。ぜんごのほしはこのたぐひ。)

通釈
 東宮は蒼竜星で、房・心の二星がその代表で、心星は天子が政治を執る明堂にあたる。その中の大きな星が天王星である。その前後の星はその子供たちになる。
語釈
 ◯ 東宮 東方の星座のことで、北極星より四十度以南にある。角・亢・房・心・氐・尾・箕の七宿を包含して総称を蒼竜星どいう。 ◯ 明堂 王者が政を執る堂。 ◯ 大星 心の三星の中の大きい星。その前の星を太子とし、後の星を庶子とする。ゆえに後文に「子属」とある。
〔吉田賢抗/著『史記 四(八書)』新釈漢文大系 第41巻 平成07年05月20日初版・平成10年04月01日再版 明治書院/発行 (pp. 145-146, pp. 148-149)

The End of Takechan


◉ 『史記』「天官書」の冒頭にある、

前列直斗口三星、隨北端兌。若見若不曰陰德。或曰天一。
その前列で北斗の口に当たる三星で、北の端が鋭く出っぱり、見えたり隠れたりするのを陰徳とか、また天一ともいう。

という記事ですが、これは『孔子の見た星空』35 ページの[注]でも参照されていて、

[注] 14
 りゅう座 κ について、『史記』天官書の〈天一〉とは、「北斗の口の先にある三星は、北に随て鋭[とが]って(三角形)おり、見えるが若く見えざるが若き(星で)陰徳といい、〈天一〉と云う」というので、りゅう座の κ λ を含む三星で、κ が〈天一〉であろう。

とあるように、その記事内容には、竜座の星々の一部が含まれていると考えられます。

 ✥ 奇(く)しくも、竜座のしっぽ、κ 星と λ 星が、北斗七星が形作るひしゃくの口の、ちょうど正面に位置するのです。α トゥバンの隣が κ で、しっぽのさきっちょが λ になります。そして、

北斗七星、所謂旋璣玉衡、以齊七政。杓擕龍角、衡殷南斗、魁枕參首。
北斗七星はいわゆる旋・璣・玉衡などの七星で、日月五星(火・水・木・金・土)を斉えることをつかさどるといわれている。(七星の中の第五から第七の)杓の部分は東の方竜角に連なり、衛星は南斗に対応し、魁星は参星の先端に対している。

の文中にある杓擕龍角 杓は龍角につらなり」の記述は、北斗七星の第七星から、その南の空へと辿れば、東方の守護神〈蒼龍〉の星宿《(すぼし)》と《(あみぼし)》がちょうど位置しているということを示しますが、ただし「龍角」の〝〟は宿星の《(すぼし)》のことではなくて〝はじまりのかどっこ〟的な意味のようです。


―― 前回と合わせ、もう少し詳しい内容のページを、以下のサイトで公開しています。

日告げの宮 : 北の果なる《竜座 α 星》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/hitsuge/hokushin.html

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