2019年5月10日金曜日

鳥の百官 /〈暦〉と〈鳥〉の職制と

○ 萩原秀三郎氏の論を参照すると、『春秋左氏伝』には鳥と暦との関係について記述が見られるとあります。それは次の通りです。

『稲と鳥と太陽の道』

第Ⅰ章 太陽と鳥の信仰 「二 太陽の樹と鳥」

 鳥官が暦を司る

 (pp. 77-78)
 鶏が時を告げれば、日が昇る。太陽の呼び出しや「時間」に鳥は重要な役割を果たす。『春秋左氏伝』には鳥の名をもつ官職=鳥官は暦の官であることを記している。『春秋左氏伝』が現行のかたちに整理されたのは前漢末以後であるが、鳥官については殷代の官職を受け継いでいるものとされている。

鳳凰氏は暦正(暦の官)なり。玄鳥(燕)氏は分(春分・秋分)を司どるものなり。伯趙(百舌鳥)氏は至(夏至・冬至)を司るものなり。青鳥(鶯)氏は啓(立春・立夏)を司るものなり。丹鳥(雉)氏は閉(立秋・立冬)を司るものなり。

とある。鳥の名をもつ官名は鳥が時間や季節を告げ、予兆するものであることから名づけられたと考えられている。なかでも季節順からいえば立春立夏の青鳥氏をあげるべきなのに、玄鳥氏を筆頭にあげるのは理由がある。
 殷では生産暦の折り目として二分(春分・秋分)が重んじられており、玄鳥はその春分に渡ってくる鳥とされていたからである。殷の始祖・舜が、玄鳥の卵から生まれたとする〝玄鳥説話〟をみても、玄鳥(または春分)の重要性がわかる。
〔萩原秀三郎/著『稲と鳥と太陽の道』 1996年07月01日 大修館書店/発行〕


○ この鳥と暦との関係を記した、萩原秀三郎氏による『春秋左氏伝』の記事引用は、2002 年の『縄文ランドスケープ』への寄稿文にもあります。記事内容を考察した語句に若干の違いがありますので、こちらも該当箇所を引用しておきましょう。

『縄文ランドスケープ』

「東アジアの民俗事例から見た立柱祭」

(萩原秀三郎)
 (p. 59)
 鳥がさえずれば、日が昇る。太陽の呼び出しや「時間」に鳥は重要な役割を果たす。『春秋左氏伝』には鳥の名をもつ官職=鳥官は歴の官であることを記している。

鳳凰氏は暦正(暦の官)なり、玄鳥(燕)氏は分(春分・秋分)を司るものなり。伯趙(百舌鳥)氏は至(夏至・冬至)を司るものなり。青鳥(鶯)氏は啓(立春・立夏)を司るものなり。丹鳥(雉)氏は閉(立秋・立冬)を司るものなり。

とある。つまり、生産暦の折り目は、二至・二分、つまり太陽が告げるものであり、太陽の周期性を知ることが、あらゆる生業活動にとって必須[ひっす]の要項だったのである。
〔『縄文ランドスケープ』 2002年10月26日 NPO法人 ジョーモネスクジャパン機構/発行〕


○ こうなればならぬか。原典確認のためには、なんと、日本語版『春秋左氏伝』という便利なものがありました。


新釈漢文大系 第33巻

『春秋左氏伝』(四)

「昭公十七年」

 (p. 1453)
[通釈
 秋に、郯子(郯の君)が魯に来朝した。昭公は郯子と宴を開いた。昭子が郯子に向かって、「少皞氏が鳥の名をもって官職につけたのはなぜでございますか」と質問すると、郯子は、「わたしの祖先のことですから、わたしは知っております。
昔、黄帝氏は(受命のときに雲が瑞祥として現れたことから、)雲を守護神として万事を統べ治めたので、みずから雲を祭る首長となって雲の名を部下の百官につけました。(黄帝氏の前の)炎帝氏は同様に火を守護神として万事を統べ治め、みずから火を祭る首長となって火の名を百官につけましたし、また、その前の共工氏は水を守護神として万事を統べ治め、みずから水を祭る首長となって水の名を百官につけ、その前の大皞氏は竜を守護神として万事を統べ治め、みずから竜を祭る首長となって竜の名を百官につけました。

わが祖先の少皞(名は)摯が位についたときは、鳳鳥がたまたま飛んで来たので、鳥を守護神として万事を統べ治め、みずから鳥を祭る首長となって鳥の名を百官につけました。かくてその部下の鳳鳥氏は暦をただす役人であり、玄鳥氏は春分・秋分をつかさどる役人、伯趙氏は夏至・冬至をつかさどる役人、青鳥氏は立春・立夏をつかさどる役人、丹鳥氏は立秋・立冬をつかさどる役人、祝鳩氏は民を教え導く役人、鴡鳩氏は法をつかさどる役人、鳲鳩氏は水土をつかさどる役人、爽鳩氏は盗賊を取り締まる役人、鶻鳩氏は農事をつかさどる役人で、以上の五つの鳩氏は民を集め安んずる役を務めました。
また、五つの雉氏を五種の工人の長に任命し、器具類を便利にし、尺度や目方の標準を正しくきめて、民の生活を安楽にさせました。
また、九つの扈氏を九種の農の長に任命して、民の欲望を抑え止めて、わがままかってなことをさせないようにしました。

ところが(少皞氏の次の)顓頊氏から後は、人事からかけ離れた雲とか竜などを守護神として万事を統べ治めることができなくなり、そこでもっと身近な人事をもって万事を統べ治めることにし、みずから民の首長となって、民に直接関係のある事柄の名を百官につけるようになったのは、人事からかけ離れたものではやってゆけなくなったからです」と答えた。

仲尼はこれを聞いて、郯子に面会して以上の故実を学んだ。やがて仲尼は人に語って、「わたしは、『天子が官制を乱してしまうと、それに関する学問は、四方のえびすに残っている』ということを聞いているが、やはり真実である」といった。
〔鎌田正/著「新釈漢文大系 第33巻『春秋左氏伝』(四)」 昭和56年10月20日 初版・平成10年04月01日 13版 明治書院/発行〕


―― 萩原秀三郎氏は『縄文ランドスケープ』への寄稿文に、「『春秋左氏伝』には鳥の名をもつ官職=鳥官は歴の官であることを記している。」と紹介されていますけれど、もう少し正しく表現するなら〈『春秋左氏伝』には鳥の名をもつ官職=鳥官は歴(=暦)の官でもあったことを記している。〉となりましょうか。

◎ 記述の根拠となる『春秋左氏伝』をひもとけば、先の資料では、

鳥の名をもつ官名は鳥が時間や季節を告げ、予兆するものであることから名づけられたと考えられている。

と記述された内容は、実は原典では、

わが祖先の少皞(名は)摯が位についたときは、鳳鳥がたまたま飛んで来たので、鳥を守護神として万事を統べ治め、みずから鳥を祭る首長となって鳥の名を百官につけました。

という意味内容の文脈をもつ記事であったことが、理解されるのです。

◉ なんということでしょう、話が違うではありませんか。つまりはその時代にその王朝では《鳥の名は、すべての重要な官職に名づけられた》のでありました。おまけにその命名方法も、時の流れとともに、新しい世代には通用しなくなってきて、次の時代には早くも廃止になったということなのであります。

◎ 革新期にはファンタジーが時勢として受け入れられても、時流が安定期になれば、現実的なわかりやすい名前が世間に好まれたということなのでしょう。

◈ しかしながらも、萩原秀三郎氏の主張にも「あらゆる生業活動」とあるように、農作業の基(もとい)となる《暦を司る官職》が《百官の筆頭》に語られるほどに重視されていたことは、おそらくは世代を超えた、継続的な事実だったようです。
―― 暦が重要なのです。この記事への着目点は、きっとたぶん、そこにあるのだと思われます。

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