アッシリアが西方に勢力を拡大した紀元前 8 世紀には、古代イスラエルでは偉大な戦士なる王、ヤハウェが国民の神として崇められていた。この男性神は他の神々の上に君臨し、他の神々はヤハウェに較べると取るに足りない存在でしかなかった。この頃にはヤハウェとエルが同一視されていたと考えられる(出エジプト記 6:2‐3 参照)。エルにはアシラという妻がいたため、ヤハウェとエルが一体化した結果、ヤハウェ-エルとアシラは夫婦とみなされるようになった。
〔マーク・S・スミス「古代イスラエルにおける一神教と神の再定義」(p.12)〕
また、岩波講座 宗教 第 3 巻『宗教史の可能性』( 2004 年 2 月 26 日 岩波書店発行)所収の「読書案内」の解説には、次のようにある。
複数の遺跡で発見されたヘブライ語碑文などからは、王国時代、イスラエルの神ヤハウェにアシェラと呼ばれる配偶女神がいたことも判明した。
〔月本昭男「一神教の成立をめぐって」(p.292)〕
このような新しい研究によると、聖書の《神》が「唯一の神」であると主張されるようになったのは、旧約聖書「イザヤ書」の第二部に当る〈第二イザヤ書〉が大きなきっかけであるらしい。
果たして、「唯一の神」としての聖書の《神》は〈第二イザヤ(書)〉が創造したものなのか?
もしそうであるのなら、「聖書に創造された『聖書』の《神》」は、その『聖書』を離れて、それとは無関係に存在できるのか?――という疑問が浮かび上がってくるのだ。
つまり、たとえば、キリスト教の神は、地上にキリスト教が存在しなくても、存在するのか? と、いうことなのだ。
その《神》が疑うことなき、創造神であり、唯一の神であるのなら、無論、人類の有無とは無関係に、存在するのであるから。
そう考えれば、
「その人」が守るべきは、彼の信仰であり、彼の《神》ではないことが理解されるようになる。
他人を犠牲にしなければ守れない信仰を持つ「その人」とは、いったい誰なのか?
――疑問は、いつも新たに浮かび上がってくる。
〈第二イザヤ〉 と 唯一の神
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